ロゼオ神話
「この弱虫野郎! 女みたいな顔しやがって!」
「お前なんかが森の外に出られるわけねーだろ!」
「うっ、ぐすっ……ぼくだって、ぐすっ……」
目を赤く染め、次から次へと溢れる涙を必死に拭っているのは、村で一番気弱な性格の蛍という子供である。
透き通るような白い肌を持ち、陽の光に輝く長い金の髪は右肩で結ってある。まさに女のような見た目だった。そんな彼は、同じ年の3人の子供に囲まれ、とうとう耐えきれなくなってしゃがみ込んでしまった。
「うぅ、怖いよぅ……」
「お前、ほんとすぐ泣くよな」
「てめぇら――!! 俺の弟に、何してんだ――!!!」
「っ!」
突然の大声に、4人は肩をびくりと揺らせた。
「おい、凪谷だ!」
「なんだ、凪谷かよ」
3人の子供たちは声の主へと気を取られる。現れたのは蛍の双子の兄、名を凪谷といった。
「お前ら、森の外に行きたいとかおかしんだよ!」
「そーだ! そーだ! 母ちゃんが森の外には化け物がたくさんいるって言ってたぞ!!」
凪谷は彼らの間を強引に進み、蛍の前に来ると手を差し伸べた。
「……ありがとう」
自らの手をつかんだ弟を立たせてやると、蛍は小さくはにかんだ。その姿を見た凪谷は少しほっとした表情を浮かべたが、すぐに眉間にシワを寄せ、3人に向き直る。
「うるせぇ! 化け物にビビッてる弱虫はそっちだろ!!」
ふんっと鼻を鳴らし、凪谷は言い放った。しかし相手は3人。凪谷1人に凄まれたところで臆する様子はない。
ちなみに蛍は、既に凪谷の背中にすっぽりと隠れてしまっている。
子供たちの言い争いはだんだんと激しくなり、どちらかの手が当たったとか当たらなかったとかで、今度は取っ組み合いの喧嘩になってしまった。
「てめぇ! 離せよ!」
「お前こそ離せよ!」
「お兄ちゃん、ダメだよ!!」
蛍の制止も虚しく、彼らの喧嘩は勢いを増すばかりであった。
そのうち、泣きじゃくりながら「助けてくれ」と村を駆け回る蛍。そんな彼に驚いた大人たちによって、ようやく彼らの喧嘩は引き離されたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「くそー、俺もロゼオみたいに強くなりてぇなー」
鬱蒼と生い茂る木々。深い森の奥に隠されるようにある小さな村、ベルガ村に、双子の兄弟がいた。
兄の凪谷は書物を読んだり体を動かしたりすることが大好きな子どもで、弟の蛍は好奇心旺盛だがちょっぴり泣き虫な性格。2人は見た目こそ全く似ていないが、とても仲の良い兄弟だった。
「うっ、ぐすっ……」
「おいおい。もう泣くなよ」
騒動の後、あちこちに砂埃をまとった双子は、とぼとぼと帰路についていた。
「だって、お兄ちゃん、怪我いっぱいしてるもん……僕のせいだ」
兄に手を引かれ、ポタポタと止まらぬ涙を流す蛍に、凪谷は眉を寄せ、歩みを止める。
「何言ってんだ、俺は兄ちゃんだぞ? 弟を守るのは当たり前だろ」
「でも、怪我したら痛いよ……」
もっともなことを言われ、凪谷は一瞬言葉を詰まらせた。それから少し考える仕草をしてから、こう答える。
「じゃあ、怪我しないように強くなる!」
「強く?」
「ああ! 俺はロゼオみたいに強くなって世界を旅するんだ。今は修行中だから怪我もいっぱいしちまうが、それは男の勲章ってやつだ! だから蛍は気にすんな!」
「強く……そっかぁ。お兄ちゃんはすごいね! お兄ちゃんなら絶対誰よりも強くなれるよ!」
「当たり前だ。さあ、早く帰ろうぜ! 母さんが心配する」
そう言って差し出された手を強く握り、弟は今日一番の笑顔になった。
◆◇◆◇◆◇◆
森の中にある小さな集落。ぽつりぽつりと民家が立ち並ぶ中に、少し離れるようにして彼らの家はあった。小さな畑と大きなリンゴの樹が、彼らの家の目印だ。窓から灯りが漏れ、中からは夕飯の食欲をそそる匂いが漂っている。
「母さん!! ただいま!!!」
「ただいま!!!」
「凪谷、蛍、おかえりなさい。あら、凪谷、怪我してるのね」
母の小春は、鍋をかき混ぜる手を止めて2人に近づいた。
ぽんぽんと2人の頭を優しく撫でると、小さなかすり傷をたくさん作った凪谷を近くの椅子に座らせる。
「今日は誰と喧嘩したの?」
「あんまり喧嘩しちゃダメよ」と言いながら、母は穏やかに微笑んだ。傷口を綺麗な布で拭いてから、薬を丁寧に塗り込んでいく。
「いっ……!」
「ほら、じっとしていなさい」
「ねぇ、母さん」
「どうしたの?」
「どうしてあの本のこと、誰にも言っちゃダメなの?」
そばで凪谷の手当てを見ていた蛍がそう言った。
“あの本”とは、彼らが崇拝するロゼオの冒険譚のことである。
タイトルは『ロゼオ神話:START。』。植物図鑑や絵本とは違い、主人公のロゼオが実際に世界中を旅した話を書き記したものであった。不思議なことに、この本は小春が読み聞かせる時にだけ文字が浮かび上がってくる。幼い双子にはどういった仕組みなのか分からなかったが、普段はただの真っ白い本が、小春の手によって未知の世界への入り口になることに、2人は夢中になっていた。
小春は「そうねぇ」と呟くと、蛍の頭をそっと撫でる。
「森の外には、熊さんより強い生き物がたくさんいるの。私たち人間じゃ太刀打ちできない生き物がね。例えばね、村の皆さんや子供たちがあの本を読んだら、どう思う?」
「村から出てみたい! ロゼオみたいに世界を旅したいって思う!」
「僕も! 色んなところに行ってみたい!」
「ふふっ、でしょう? でもね、森の外は素敵な出会いや素晴らしい世界が広がっている反面、危険もいっぱいあるの。だからね、あの本のことは内緒。子供たちが勝手に外に出てしまったら、命を落としてしまうかもしれないの。凪谷も蛍も、お友達が怪我をしたり死んでしまったりしたら嫌でしょう?」
「うん……悲しいの、嫌だよ」
「いい子ね。2人も大きくなったら、ロゼオのように世界に旅立ちなさい。でもね、今は強くなるために、大人たちの言い付けをしっかり守るのよ?」
「俺たちもロゼオみたいに世界を旅して、仲間もいっぱいできるかな」
「そうね、あなたたちは優しいもの。強くなりなさい。誰よりも強くなれば、きっと素敵な旅ができるわ」
小春の言葉に、2人は大きく頷いた。
「さて、夕飯にしましょうか。2人とも手を洗って着替えていらっしゃい」
「よし! いくぞ蛍!!」
「うん!!」
元気よく手を洗いに行った2人を、母は目を細めて見送った。
「どうか、彼らに神のご加護を――」




