第18話「保護という名の捕縛」
光の一件から五日が経っていた。
ルッツは生きている。
傷口はまだ塞がりきっていないが、内臓の損傷は消えていた。
ヘルマンが毎日傷を確認しに来ている。
何も言わない。
ただ確認して、何も言わずに去っていく。
あの男なりに、受け入れられない現実と格闘しているのだろう。
兵士たちの間では、すでに噂が広がっていた。
「女先生の手が光った」「ルッツの傷が塞がった」「治癒の力だ」「聖女だ」。
包帯を替えに行くと、兵士たちの目が変わっている。
以前は「下働きの口なし」だった視線が、畏れを含んだものになっている。
ある若い兵士は、私が通ると頭を下げた。
別の兵士は、遠巻きに見ながら胸の前で祈りの印を切った。
嬉しくない。
怖い。
声が出ないことには慣れた。
でも「聖女」と呼ばれることには、慣れたくない。
『噂が広がるのは止められない。でもイリス、「聖女」はまずい。目立てば目立つほど、あなたを欲しがる人間が増える』
玲子の言葉は正しかった。
その日の昼過ぎ、野営地の入口に馬車が現れた。
護衛の騎兵が四人。
馬車の側面に、メルヴィス家の紋章。しかしその隣に、もうひとつ。
見覚えのない意匠だが──王家の紋章に似ている。
『……あれ、ただの家の使者じゃない』
玲子の声が緊張している。
馬車から降りた男は、五十がらみの痩せた文官だった。
灰色の長衣に、胸元に銀の徽章。書類を抱えている。
目が笑っていない。
指揮天幕に入っていくのが見えた。
胸騒ぎがした。
*
一刻ほどして、衛生兵が走ってきた。
「女先生、指揮天幕に来てくれって。副団長からです」
指揮天幕。入ったことのない場所だ。
天幕の前で足が止まりかけたが、中からゼクスの声がした。
「入れ」
短い一語に背中を押されて、布をくぐった。
中は広かった。
地図が広げられた卓。
その周りに、グレゴール、ゼクス、そして──さっきの文官。
文官が私を見た。
頭の先からつま先まで。
品定めするような目だった。
「この娘か」
グレゴールが頷いた。
文官が書類を卓の上に広げた。
「メルヴィス家からの正式な要請書だ。前線における平民女性の保護を目的とし、王都への身柄移送を求めるもの。先日は副騎士団長殿が却下されたと聞いているが──」
文官が一枚の紙を取り出した。
「今回は、宮内省の連名がある」
空気が変わった。
グレゴールの目が細くなった。
ゼクスの顎が引き締まった。
宮内省。
それは王家の意思が介在しているということだ。
「加えて」
文官が私を見た。
「先日、この娘が治癒に類する異能を行使したとの報告がある。事実であれば、王都にて然るべき調査を行う必要がある」
知っている。
あの光を、この人たちは知っている。
『やっぱり。あの商人が報告したんだ』
玲子の声が低い。
ゼクスが口を開いた。
「その報告の出所は」
「それを副団長殿にお伝えする義務はない」
「義務でなければ答えられんということか」
「質問を変えろと申している」
空気が張り詰めた。
ゼクスのその瞳が、戦場で敵を見る時と同じ光を帯びている。
グレゴールが、ゆっくりと立ち上がった。
「一つ確認しよう。この娘は、わしの権限で騎士団の軍属として登録済みだ。軍属の身柄移送には騎士団長の許可が要る。宮内省の副署があろうと、手続きを踏んでもらわねばならん」
文官の目が、わずかに動いた。
想定外だったのだろう。
「……騎士団長殿。この件は貴殿の一存で済む話ではない」
「手続きの話をしている。書面で正式に請求し、騎士団の査問を経て、わしが判断する。それが王立騎士団の規則だ」
グレゴールの声に怒りはない。
淡々と、規則を述べている。
だがその淡々とした声が、文官の言葉をひとつずつ封じていく。
文官は長い間、グレゴールを見つめていた。
それからゼクスを見た。
ゼクスは腕を組んだまま、壁のように立っている。
「……わかった。書面で改めて請求する。だが騎士団長殿、これは忠告だ」
文官が書類を揃え直しながら言った。
「時間稼ぎには限度がある。上の意思は、手続きで止められるものではない」
天幕を出ていく文官の背中を、三人で見送った。
沈黙が落ちた。
グレゴールが椅子に深く座り直した。老いた体が、一瞬だけ小さく見えた。
「時間は稼いだ。だが長くはもたん」
ゼクスが壁から背を離した。
「どれくらいだ」
「早ければ半月であろうな。書面の往復と査問の手続きを引き延ばしたとして、一ヶ月が限界だ」
一ヶ月。
三十日の猶予。
それが過ぎれば、王家の力でグレゴールの防壁を突破される。
ゼクスが私の前に来た。
蒼い瞳が見下ろしてくる。
「聞いたな」
頷く。
「一ヶ月だ。一ヶ月で、何が起きているのか全部解き明かす。お前の手の光も、家系のことも、なぜ連中がお前を欲しがるのかも」
『イリス……あの人、一月で全部片づけるって言ってる。無茶だよ。でも──』
でも、この人は本気だ。
蒼い瞳にあるのは、覚悟だ。
紙に書いた。
──私も 調べる 自分のこと
ゼクスが読んだ。
眉間の皺が深くなった。
反対されるかと思った。
「……勝手にしろ」
口は反対している。
でもその瞳が──ほんの一瞬だけ、柔らかくなった。
『メルヴィス家の要請に宮内省が承認を出した。つまりあの令嬢の背後に、王家の誰かがいる。あなたの光を知って、動いた。この一ヶ月、向こうも黙ってない』
天幕を出ると、午後の風が吹いていた。
ルーゲンの城壁が夕日に照らされて赤い。
一ヶ月。
三十日で、私は私の秘密にたどり着かなければならない。
お読みいただきありがとうございます。
グレゴールの一ヶ月という防壁がいつまで持つか。
持っている間に、イリスは何を見つけられるか。
次話、ルーゲン攻城戦が動きます。
今回とは空気がまるで違う話になります。
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