第31話「Slip of the lip」
今にも滑走路から飛び立とうとする飛行機のような歪んだうねりが駆け抜ける。
私と弦奏者の二人は、それぞれの持つ楽器を手にその場でタイミングを合わせて、その場で一斉に跳躍した。
「ッ!?」
「ジャンプすんの!?」
「まんまMVじゃねーか……」
「てかすごくねあのギターの子」
「ああ、めっちゃスカートが翻って……」
「そこじゃねぇよバカッ!」
「──なんで飛びながらあんな安定して弾けるんだよ!?」
前の方にいた、多分軽音部の部員たちが声を挙げて驚いている。
驚くのはそうだろう。
だって春野さんは、その場でピョンピョン飛びながら一定のリズムでギターリフを奏でているんだから。
いわゆるペダルトーン奏法。
春野さんが言うには、
『激しい音楽と言えば激しいパフォーマンスでしょ? だからウチはギターがちゃんと弾けないときも、こうしてギターを手に持ちながら動き回って弾くイメージをしてたんだ〜っ!』
って楽しそうに語っていたから、たぶん本人も何で飛びながら弾けるのかはよくわかっていないと思う。
ただ弾けるから弾くんじゃなくて、楽しいから弾いている。
メガネをかけていないから横目に映る春野さんはボヤがかかっていてよく見えないけど、誰よりも楽しそうに弾いているのはわかる。
わかるよ春野さん。
本当に楽しい。
私も心からそう思うよ。
これまでライブどころか、人前で歌うことすら出来なかった私も、今この光景や演奏している事実が夢のように感じられる。
でも、これは紛れもない事実だ。
嘘でも幻想でもない。
最高のバンドが作った音楽を、私たちの鳴らす音で観客の心に届ける──いや、ぶつける。
マリナたちのバンドの演奏は確かにすごかった。
これも嘘偽りのない事実。
だけど、私たちの鳴らす音も負けていない。
今、誰よりも音楽をヤッてるのは、他ならぬ私たちなんだ。
強い想いと感情が込み上げた瞬間、後方で花火が打ち上がるようなバスドラムの音。
その直後、疾走感溢れる歪んだオクターブと、アタック感マシマシな低弦が絡みついてゆく。
──爆発。
そう表現する以外に適切な言葉が見つからないくらい、私たちと、そして今まさに音をぶつけられている観客の声が轟いた。
前にいる部員達は、男も女も関係なく腕を振るって「オイ! オイ!」と声を挙げている。
そして能面を外した演出にやられたのか、それとも聴き馴染みのない音楽に興味をそそられたのか、後ろの方で聴いていた人達も全員前に押し寄せてくる。
実際私を除いた全員が美女だからね。
別にそれでいい。
顔きっかけで曲を聴こうって思うんから、それでも全然構わない。
もっと前に来て欲しい。
何がきっかけかなんてどうでもいい。
だってこんなに楽しくて、こんなにカッコいい音楽なんだよ?
後ろでひっそり聴くのもいいけどさ、今だけは前に来てみんなで楽しもうよ。
そんな想いを胸に、地に足をつけた私はそっとマイクを口元に近づけた──
芯まで凍えそうな夜
漂う君を遠くから見上げながら
さぁ、向こう岸へ渡ろう
真っ黒に塗り潰された夜
前より声が出るようになった気がする。
多分これは、これまであった筈の緊張が完全に解けて消えたからだろう。
これまでの私は、ひとりぼっちで何も出来なかった。
でも春野さんや真先輩、そしてずっと私の背中を支えてくれた華蓮先生がいるから、こうして私は一歩を踏み出せたんだ。
今の私は、目の前にいる観客の心を惹きつける事ができている。楽しませることが出来ている。
これまでの真っ暗で凍えそうな夜から、私はみんなの力を借りて、向こう岸に渡ることが出来るんだ。
一日が終わりを迎えるとき
虚無感を燃やしながら、僕は解放されるんだ
ひとつの考えに囚われるな
過去に心を奪われるな──
ひと息つく間に、先行して駆ける春野さんのペダルトーンリフ。
静寂を切り裂くように、本来の声域からさらに高くしたhiG相当のミックスボイスでマイクに歌を込めた。
「A lie and a lie and a lie」
(嘘と嘘と嘘)
「And a slip and a slip and a slip of the lip──」
(誤りと誤りと言い誤り)
爪弾かれるベースの低音。
ふと横を見ると、真先輩がこちらを横目に見ながら頷いているのが見えた。
真先輩も私たちと同じ気持ちなんだ。
真先輩は、これまでのクールな一面を剥ぎ取って、純粋に音楽を楽しんでいる。
そして、確かに感じている手応え。
それがまるで幻想では無いことを証明するように、華蓮先生の打ち鳴らすドラムのグルーブが上がってゆく。
確かな音の振動が、心臓のリズムと一緒に共鳴している。
その共鳴にさらに音を重ねるみたいに、観客たちの声はどんどん大きくなっていく。
ライブハウスみたくモッシュやサーフをしている人はいないけど、それでもステージに立つ私たちに向かって飛んでくる声や伸ばされた手は、まるで打ち寄せる波のようだった。
訪れる二回目のサビでは、この曲を知ってる人がいるのか何人かの生徒が声をあげて歌っていた。
圧倒されて思わず私は息を呑んでしまうけど、それでも歌うことはやめなかった。
マイクを観客側に向けて一緒に歌うよう煽る。
その煽りに乗って、わからないながらも歌ってくれる人たちが増えてゆく。
──楽しい。
元々ラウドロックやメタルとかハードロックとか激しい音楽が大好きだったけど、まさか自分がこうしてステージに立って客を煽る側にまわるなんて思いもしなかった。
そもそも私はまだちゃんとしたライブを見に行った事もない、素人中の素人だ。
でも、ラウドロックが──音楽が好きだって気持ちは嘘じゃない。
誰に否定されようとも、私がそれを肯定するし、仮に否定されてもみんなが私を認めてくれる。
だから私はみんなの期待を裏切りたくないし、何よりもっとヤりたい。
もっと音に乗っていたいし、この時間がもっともっと続けばいいのにって思ってる。
でも、これは私たちのバンドの存続をかけた戦いだ。
私たちが負ければ、マリナの手によって真先輩がとられてしまう。
マリナが侮辱した春野さんのギター。
それを認めさせる事も出来なくなってしまう。
そんなのぜったいに嫌だ。
絶対に奪わせない。
このバンドは、この音は、私たちのものなんだから──!
雨が君の枯れた涙を流してくれる
ただ何かを探していて
見失って息もできないよ
いっそすべてを消し去ってくれ
伝う汗を拭う間もなく、流れた汗は涙みたいに頬を伝って床を濡らした。
揺れるホログラムの世界の中で、私は手を天井に向かって伸ばした。
その手に釣られてか、春野さんも真先輩も上を見上げる。
そして観客全員が私たちに向かって手を伸ばしていた。
私は今、手にしているんだ。
どれだけ伸ばしても届かなかった光に、私の居場所をこの手に掴んでいる。
離したくない。
ギュッと握り締める拳を、自分の熱で濡れて熱くなっているSuper55を両手でそっと包み込んだ。
春野さんが爪先で【BOSS BF-3 Flanger】を操作し、うねりを効かせたジェット機みたいな音が体育館全体に鳴り響く。
まだ終わってない。
私たちは飛べる。
遠くから滑走しようと鳴り響くギターの音。
春野さんと視線がかち合い、「一緒に跳ぼう!」そんな熱い感情すらインプットしてしまうくらいに共鳴しあっている私たちは、ラスサビに向けて全てを出し切る。
たとえ見つけられなくても、ここは僕の居場所なんだ
だから君の中にそっと居てもいいだろう?
そう、僕の言う事を心に刻み込んでくれ──
ラストスパートに向けて羽ばたいた瞬間、華蓮先生の高速ツインペダルが撃ち鳴らされる。
最後の最後まで曲全体を支えていた真先輩も、オーバードライブでブーストさせて音圧を上げてくる。
そして春野さんのギター。
疾走感に満ちたオクターブが前に前にと飛び出してゆく。
振り上げられた金髪が差し込んだ太陽光に照らされて、音の波形がそのまま形になったみたいだ。
見惚れそうになる私の方へ、春野さんは向き直ってギターのストロークを加速させている。
楽しい。ただそれだけを伝えるために、春野さんは私に笑顔を向けていた。
私もだよ。春野さん。
私も今、この瞬間が楽しくて仕方がない。
だから行こう。
証明しよう。
私たちの全部を乗せて。
「This is where I belong even if I can’t find it」
(たとえ見つけられなくても、ここは僕の居場所なんだ)
ここが私たちの居場所だって、みんなに認めさせるんだ。
最後の最後まで、お腹の底から声を吐き出した。
残ったのは微かな呼気と、その後で漏れ出る吐息だけ。
ふぅ、と息を吸い込みながら髪をバサっとかき上げて正面を見ると、ドッと鼓膜が震えるほどの感性が飛び込んできた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「いいぞ〜ッ!!」
「よかったぞノーメンズ〜!!」
「マジで最高にカッコよかった!!」
「FACT演るガールズバンドとか存在すんのかよ……!!」
「やべぇ、小学校と時に行った最後のライブ思い出して泣けてきたわ……」
「つーか全体的にクオリティ高くなかったか?」
「ああ。これオリジナルとかやったらどうなんだよ……!」
驚愕と称賛の声。
どちらも私が生きてきて浴びたことのない声だった。
パチパチと拍手は鳴り止まず、私は目の前で起きている光景が、体育館全体に響き渡る残響が信じられなかった。
そんな私を現実に引き戻してくれたのは、左手に感じる熱と、かちかちとした硬い指先の感触。
「……あやち。やっぱバンドって、さいっこうに楽しいねっ!!」
隣に立っている太陽みたいな笑顔が、ボヤけた世界の中で照らされて、私の眼窩の奥に埋まっている目玉に焼きついた。
ああ、そうだ。
私は多分、この人とずっとバンドがしたいんだ。
だからあのとき、春野さんが否定されたのを見て腹が立ったんだ。
「おいおい。これまでお前たちの演奏を影で支えてきた私の事は仲間はずれか?」
「もうっ、そんなことする筈ないじゃないですか!」
右手の方は、真先輩の指先が手のひらに絡みついてくる。
春野さんはストレートにぎゅっと握ってくるのに対して、真先輩の手はなんというか……すごくイヤらしい手つきだった。
さっきまでの余韻が台無しだよ。
──でも、真先輩の手のひらから感じられる熱には、邪な感情は一切感じられない、ベーシストとして、バンドの一員として、演奏をやり遂げた者の熱さをしていた。
「──綾女。すごく良かったよ。カッコよかった」
「……華蓮先生」
そして最後に、背後からギュッと手を腰に回して抱きしめてくれる華蓮先生。
首筋に流れる熱い雫が何なのか──わかっているけど、そこはまぁふれないようにした。
だって意識しちゃったら私まで泣きそうになっちゃうじゃん。ただでさえ今泣きそうなのに!
せっかくカッコいいライブをやり遂げたんだ。
ここで泣いてカッコ悪い姿見せたくない。
それに──
「どうせ泣くなら、マリナ達に勝った後にしたいから」
私の言葉に、バンドメンバー全員が頷いた。
そう。
まだ終わった訳じゃない。
「……」
体育館の二階席を見上げると、そこにいたのは、無言で私たちを見下ろしているマリナの姿だった。
マリナは今にも飛びかかってきそうな、苦虫を何百匹も噛み潰したような表情を浮かべていて、周りの人たちはもちろん一緒に演奏していたバンドメンバーも怯えた顔をしていた。
そっか。
そんな顔を浮かべちゃうくらい、私たちの演奏は良かったんだ。
そう思った途端に、私はこれまでマリナに対して抱いていた怒りや憎しみの感情が何処かへ飛んでいくような気がした。
いや、むしろ過去の自分をその場に置く用意ができたっていうか……。
ダメだ。ライブ後の熱に浮かされた脳みそじゃ、何を考えても上手く結論を出せそうにないや。
「……それじゃあ、行きましょうか」
とにかく私たちはやりきった。
出せる限りの全てを出し切った。
私たちは最後にもう一度観客に頭を下げてから、みんなで手を繋いで壇上から廊下側に回る。
今からどっちのバンドが良かったかの投票が始まる。
この投票で、私たちの今後が決まると言っても過言ではない。
マリナは手強い。
そしてそれは、投票結果を待つこの間にもそう思う。
でも、私たちのバンドだって負けてない。
むしろ勝ってる。
私たちのバンドが、マリナ達以上に輝いていた。
カッコよかった。
すごかった。
そう思えるだけの確信が、両手で握り締める手のひらの熱で感じていた。




