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紅き箱庭のフィロソフィア  作者: 高柳神羅
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万工房の鍛冶職人

「施術用の祭器?」

 カウンターを隔てて自分のことを真上から見下ろしてくる女に対して、彼はゴーグルの内側に隠れた双眸を気だるげに向けた。

 蜘蛛の糸のように色素のない白銀の髪に、これまた全くと言って良いほど日に焼けた様子が欠片も見られない白い肌をした小柄な青年だ。黒いタンクトップに、黒いアーミーパンツを身に着け、銀色の車椅子に腰を掛けている──そんな全身モノトーンの出で立ちの中で唯一色が付いたゴーグルのレンズの緋色が強烈な存在感を主張している。そんな男である。

「そいつはまた随分と厄介な注文だな。普通の術師に持たせるような代物とは訳が違うのを分かってて言ってるのか、あんた」

「……此処でなら、そういう難物の作成も請け負っていると伺っておりますが──」

 昆虫の脚のように不自然に長い人差し指を口元に添えるポーズを取りながら、小首を傾げて女が微笑む。

 柔らかな笑みに細められた双眸の間で菱形に並んだ4個の白い瞳が、縦長の瞳孔を細めて男の目線をぎょろりと見つめ返していた。

「引き受けないとは言ってない。……そもそも俺にそういう選択肢がないことくらい、あんただって知ってるだろう」

 ふ、と短く息を吐いて、男は座を直した。

 今までどういう扱いをしてきたのか疑問視したくなるような傷だらけで形状も何処となく歪なこの鉄の城は、主が何かしら身じろぎする度に必要以上の大きな物音を立てていた。横手から蹴りのひとつでも叩き込めばあっさり大破してしまいそうな危うさを感じられる。

 脚が使い物にならなくなったら代わりの脚を工面する──それが当たり前となっているこの御時勢で、治療も交換もせずに手押しの車椅子を乗り回す生活を選ぶのは世界中の何処を探してもこの男くらいのものだろう。

 彼が『変わり者』と揶揄される最大の理由であると言える。

 無論──揶揄の理由はそれだけではないのだが。

「報酬さえ貰えれば、何だろうが作ってやるさ。それが俺の仕事だ。──ただ、すぐには無理だな」

 特別な材料が要る、と言って、彼はカウンターの裏側に備えられた棚のひとつに手を伸ばした。

 日に焼けて変色した紙を1枚取り出すと、それを女の方に差し出す。

「そっちで工面してくれるなら、ネイティオに取りに行かせる。こっちで調達しろと言うのならそれでも構わん。その場合はアルティマにやらせる。……ただあいつはネイティオと違って『良し悪し』の区別は付かないからな。何を『調達』したとしても文句は言うなよ」

「…………」

 彼女は紙面に目を通し、しばし考え込んだ後に、唇の間から白い歯を覗かせながらそれを男へと返却した。

「……良いでしょう。素材はこちらの方で提供致しましょう。2日ほど頂ければ、必要な量は用意できるかと存じます」

 続けて懐から掌を広げたくらいの大きさの布袋を取り出すと、カウンターの上へとそれを静かに置いた。

「それでは──宜しくお願いしますね」

「ああ」

 外套の裾を翻して建物の外へと出て行く彼女と入れ違うように、洗いたてのモップと木のバケツを携えたニコルが庭から中へと入ってきた。

「ニコル=ルーヴィエ」

 彼が開口するよりも早く、男が彼の名を呼ぶ。

「ネイティオに此処に来るように伝えろ。仕事の話があるとな。あんたもだ」

「あ……はい。分かりました」

 ニコルは反射的に頷いて、──ふと引っ掛かりを覚えたその一言に、問い返す。

「……あの。僕も……ですか?」

「此処に俺とあんた以外に誰がいる。あんたと言ったらあんたしかいないだろう」

「それは、……そうなんですけど……」

「あんたを此処に置いて一月経った」

 反論は認めない、とでも言うように、ニコルの言葉を遮る形で男は続けた。

「そろそろ、裏方以外の仕事も覚えてもらわないと困るんだ」


 男の名はアノンと言った。

 世界の全てが戦争の渦中に飲み込まれ、敵と味方とに綺麗に二分されたこの地で、唯一「中立」を名乗り万工房を営んでいる職人マイスターである。

 ゴーグルと車椅子が唯一無二のトレードマーク。鍛冶職人の肩書きとは無関係に代価さえ貰えば薬剤でも儀式用品でも何でも作る知識と技術を備えている。

 アルティマが愛用しているブーツやネイティオの全身を飾っている宝飾品アクセサリーも彼の作品である。

 それだけではない。工房の敷地内にあるほぼ全てのものを、彼はその腕ひとつで作り上げたのだ。

 身内が平穏に暮らせる家を。一時でも外の戦火を忘れられる庭を。生きている実感を持てる暮らしを。

 皮肉なことに、それらがかえって『異端』の存在を顕著化していることを、果たして当人は気付いているのだろうか──

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