万工房の少女
「ネイティオさん──」
白法衣姿を探して屋内外をあちこちうろついたニコルが彼を発見したのは、庭の片隅にある薔薇園の中だった。
主に香油を採取する目的で育てられている可憐な花の群れの中心で、彼は胡坐をかき、若草色に染めた短い髪を時折左手で撫でる仕草をしながら、右の人差し指を何もない虚空へと向けていた。
彼の目の前に、小さな風の渦がある。風自体は目には映らないものだが、それに乗っかるようにしてその場を旋回しているきらきらとしたものが、はっきりとその姿を描いていた。ネイティオの指先が宙を掻く度に風の渦は形状を変化させ、花瓶のように細長くなったり皿のように平たくなったりとしていた。
「さ。次はエルの番」
「はーい」
彼の正面には、幼子が1人、座っていた。
小さな少女である。帽子を斜めに被るように右目と頭の半分を数多の薔薇の花で飾り、そんな頭部の派手さとは対照的に何の装飾もない質素なデザインのワンピースを身に着け、裸足。それらの色は全て白だ。ただし太陽の光を浴びた箇所が時折薄い緑に見えたり紫に見えたりすることからして、純粋な白ではないのだろうが。
彼女はネイティオから差し出された木桶を自分の正面に置き、それに向けて小さな掌を翳した。
両手で何かを掬い上げるように、掌を器の形に変えながら頭上まで掲げて──
「あ、お兄ちゃん」
ぱっ、と花開いたような笑顔を見せて、動作を中断するとニコルに対して大きく手を振ってきた。
その様子でネイティオもようやく背後に立つ彼の存在に気付いたらしく、柔らかな微笑で彩った顔をのんびりとこちらへと向けてきた。
「ああ、いたんスね。エルに注目してて気付かなかったっス」
「いえ」
ぺこ、と頭を下げられて、別に邪魔をしたかったわけではない、とニコルは慌てて首を振った。
「何をしてらしたのですか?」
と、宙で未だに存在を誇示し続けている風の渦に興味の目を向ける。
「これっスか? 『フローター』ってゲームっスね」
言いながら、ネイティオは風に乗って回転している煌めきの粒をひとつ指で摘まみ取ると、それをよく見えるようにとニコルへと差し出してきた。
「風の渦に、色々なものを乗っけてく遊びなんスよ」
魔術師の間では割とポピュラーな遊びなんだ、とネイティオは言った。
魔術で小さな竜巻のような風の渦を作り、その上に弾き飛ばされたり逆に飲まれたりしないように上手くバランスを取りながら様々なものを乗せていき、最終的により多くのものを浮かべ続けていられた者の勝ち、という集中力が試されるゲームらしい。
乗せるものは基本的に自由だが、火の欠片や氷の粒など、自らの魔術で生み出したものに限られる。風に乗せる際に身体を用いてはならない。当たり前だが他人に迷惑を掛けるようなものを浮かべてはいけない。……と、一応ルールも幾つか存在する。他人に迷惑が掛かるものとは一体どういう代物なのかという疑問が浮かぶも、ネイティオからは公害みたいな存在だとよく分からない回答しか返ってこなかった。きっと深く追求しない方が良いことなのだろう。
元々は小さな子供に対して魔術の基礎を学ばせるために用いられていた教材のようなものだったという。その際には、今此処で彼らがしていたように、水で満たした器などを傍らに用意しておき、そこから子供に器の中身を適当な大きさにして取り出させることから教えるらしい。
昔、軽くて小さなボールを乗せたパイプを吹いてボールを吐息で浮かばせる──そんな子供向けの玩具があったことをニコルは思い出した。あれと似たようなものなのだろう、と彼はそんな風に納得することにした。
自分が住んでいた環境には、魔術などというものは実在していなかった。比喩の一種として言葉が存在していたくらいだ。
理解できないものを理解するには、時間と根気が必要なのだ。科学者とはそういう人種なのである。
自分の主張を貫こうとすれば周囲と衝突する。相対したくなければ、自分が理解できるものの中から限りなく近いものとそれを紐付けて「それと似たようなものだ」と自分で自分を納得させてしまえばいい。そうすれば角が立たずに済むことを、彼は長い人生経験の中で嫌と言うほどに体験し、学んできた。
それが幸いだったかどうかは分からないが、その考え方が今の彼をこの『環境』に適応させていることは事実だ。そう考えれば、彼のこの持論はひとつの意味で正解なのかもしれない。
ネイティオに渡された小さな氷の欠片を額の辺りに翳して覗き込みながら、ニコルはふっと微苦笑した。
氷は体温ですぐに溶けてしまった。指の腹を伝い落ちていく雫をくしゃくしゃと擦りながら、彼は此処に来た用件を口にする。
「アノンさんが、仕事の話があるから店の方に来るようにと仰ってました」
「おれ?」
怪訝そうに小首を傾げ、アルティマさんじゃなくて?と訊き返してくるネイティオに、頷く。
それだけで、おおよその仕事内容の見当が付いたらしい。何やら小さく唸りながら、ネイティオはのんびりと腰を上げた。
「まーた変な注文入ったんスねぇ……まぁいいんスけど」
「ネイティオ、お仕事?」
術者の制御力を失って霧散していく風の渦からぽろぽろと零れていく氷の粒を掌で受け止めながら問う少女に、申し訳なさそうに笑いながら、言う。
「ん。エルは、いい子でお留守番してるんスよ」
「はぁい」
いってらっしゃい、と無邪気に笑って手を振る彼女の頭を指先で撫でて、彼は吐息と共に肩をたらりと落としながら口内で小さく呟いた。
「これもお役目、お役目……仕方ないっスね」
まるでその呟きは、自分自身に暗示を掛ける呪いのようだった。




