第15話「人間のままで」
第15話「人間のままで」
怪人たちとの激闘から、数日が過ぎていた。
アナグマドリルによって掘り返された道路では、復旧工事が進められている。
大きく陥没した路面は仮設の柵で囲まれ、重機が土砂を運び出していた。地中には怪人が掘り進んだ穴が複雑に残されており、表面を埋め戻しただけでは安全を確保できない。
作業員たちは地盤の状態を確かめながら、慎重に工事を進めていた。
道路脇には迂回路の案内が並び、車や歩行者が少し遠回りをして通り過ぎていく。
あの日、コヨーテライダーとアナグマドリルが暴れ回った場所だ。
二体はキッドとサクラによって戦闘不能となり、CASHを苦しめたシロアリ怪人の増援も退けられた。
ヨミだけは逃走したものの、今回の襲撃そのものには、ひとまず決着がついている。
事件直後には規制線の外から現場を見つめる人々であふれていたが、今ではその数も減っていた。
工事の音を気にしながら買い物へ向かう人。
迂回路を確認して足早に通り過ぎる会社員。
友人と話しながら帰宅する学生たち。
街は少しずつ、いつもの生活を取り戻そうとしていた。
「こっち、もう少し掘って確認してくれ!」
現場責任者の声が響く。
怪人が通り抜けたと思われる場所では、地面の下にまだ空洞が残っていた。土を取り除いては確認し、安全を確かめてから次の作業へ進む。
地味で時間のかかる仕事だった。
「……ん?」
一人の作業員が、突然手を止めた。
崩れた土の奥に、何かが埋まっている。
最初は古い配管か、掘削で壊れた設備の一部だと思った。
しかし、土を少し取り除いたところで、違和感を覚えた。
「……おい、ちょっと来てくれ」
近くにいた同僚を呼ぶ。
「どうした?」
「これ、何だと思う?」
二人はしばらく黙って地面を見つめていた。
やがて、一人が慌てて立ち上がる。
「監督! ちょっと確認してもらえますか!」
呼ばれた現場責任者は、掘り返された場所をのぞき込んだ。
その表情が変わる。
「……作業を止めろ」
「え?」
「いいから、いったん全部止めてくれ。警察に連絡する」
周囲の重機が、次々と動きを止めた。
それまで響いていた機械音が消え、現場には作業員たちの戸惑った声だけが残る。
怪人によって壊された道路を修復するはずの工事現場で、思いがけないものが発見されてしまったのだった。
*
CASHの施設では、事件の後始末が続いていた。
怪人との戦いが終われば、すべてが片づくわけではない。
現場の被害状況の確認、戦闘記録の整理、使用した装備の点検と補充。関係者への聞き取りも必要だった。
そして今回、もう一つ、大きな問題が浮かび上がっていた。
「……つまり、実際に金銭の受け渡しがあったということですね」
東は机の上に広げられた資料を見つめ、険しい表情で言った。
向かいに座るのは、警察上層部の真壁宗一郎と榊原慎吾だった。
真壁は上層部との調整を、榊原は現場を含めた新しい対怪人体制の整備を担当している。
どちらも、これまでの警察組織の対応に問題があったことを認識し、CASHとの協力関係を立て直そうとしている人物だ。
真壁は重々しくうなずいた。
「ああ。今回、怪人に狙われた三人に、不審な金銭授受という共通点が見つかった」
すでに殺害された二人の警察幹部。
そして、最後に標的となり、CASHが警護に当たった杉山。
その三人に、外部から資金が流れていたのである。
「ただし、三人だけではない。ほかにも関係していた人間がいることが分かっている」
「……ほかにも、ですか」
東の声が低くなった。
「残念ながらな。現在、関与した人物と金銭の流れを調べているところだ」
真壁の表情は苦々しかった。
組織内部の不正を認めることは、決して簡単なことではない。
しかし、今回は金銭授受を裏づける記録が残されていた。もはや、単なる疑惑として片づけることはできなくなっていた。
榊原が資料を一枚めくる。
「それだけではありません。過去の怪人事件に関する報告の扱い、それからCASHへの情報提供が不自然に遅れていた件についても、今回の金銭授受との関連が確認されています」
「……やっぱり」
東は思わずつぶやいた。
これまで、どれだけ現場から報告を上げても、怪人の存在を認めようとしない人間たちがいた。
怪人との戦闘で特別殲滅部隊が全滅した事件は、銃乱射テロとして公表された。
その後の火災では、必要な情報が共有されず、CASHが事態を把握した頃にはすでに鎮火寸前だった。その事件では、逃げ遅れた老人が命を落としている。
さらに公園で起きた事件では、正式な連絡を待っていては間に合わず、CASHが独自に捜査を進めた。その結果、現場で隊員一名が殉職した。
すべてが金銭授受によって引き起こされたと断定できるわけではない。
しかし、怪人事件の隠蔽や、必要な情報を現場へ伝えない判断の一部に、不正な金銭が関わっていたのは事実だった。
「……私たちは、何度も報告を上げていました」
東は静かに言った。
「怪人の存在も、実際に現場で起きていたことも。危険性についてだって、繰り返し伝えてきたつもりです」
「ええ。その記録も確認しています」
榊原が答えた。
「報告書は上層部まで届いていました。問題は、そこから先です。情報がなかったのではなく、届いた情報が適切に扱われなかった。今回の調査では、その判断に不正な金銭授受が関係していた事例も見つかっています」
東は唇を結んだ。
もし、情報がもっと早く共有されていたら。
怪人の存在が、最初から正しく扱われていたら。
少なくとも、対応の仕方は変わっていたはずだ。
もちろん、すべての被害を防げたと断言することはできない。
それでも、現場に必要な情報が届かないまま戦わされてきたことへの怒りは、簡単に消えるものではなかった。
「……ずいぶんひどい話だね」
同席していたシラメ博士が、珍しく低い声で言った。
「ボクたちが何度も報告してたのに、話が進まなかった理由の一つが、お金をもらってたからってこと?」
「少なくとも、そうした事例があったことは確認されている」
真壁の答えを聞き、博士は露骨に顔をしかめた。
「……そんな理由で人が死んでたんじゃ、たまったもんじゃないよ」
「博士……」
東が小さく声をかけた。
しかし、今回は博士をたしなめる気にはなれなかった。
自分も、同じことを考えていたからだ。
真壁も反論しなかった。
「今回の調査で、警察として認めなければならない事実が明らかになった。関係した者の責任は追及することになる」
その言葉を聞いても、東の気持ちが晴れることはなかった。
あまりにも遅すぎる。
そう思わずにはいられなかった。
だが、ようやく問題が表に出たことも確かだった。
これまでなら、警察内部の判断として処理され、詳しい経緯すら明らかにならなかったかもしれない。
今回の事件は、結果として、長く隠されていた組織の暗部をあぶり出すことになったのである。
「……それで、三人が狙われた理由については?」
東が尋ねた。
真壁は別の資料を手元へ引き寄せる。
「現時点では断定できない。ただ、捜査側では一つの可能性が浮かんでいる」
「……口封じですか」
真壁は、ゆっくりとうなずいた。
「三人は、すでに用済みになっていたのかもしれん。あるいは、不正が明るみに出た際に、自分たちの知っていることを話されるのを恐れた者がいたのか……」
「尻尾切り、ということですね」
「ああ。そう考えれば、三人が標的になった理由にも説明がつく」
真壁はそこで言葉を区切った。
「だが、あくまで仮説だ。実際に誰が何を命じたのか、怪人たちがどういう意図で動いていたのかまでは分かっていない」
東は資料に目を落とした。
殺害された二人と、最後に狙われた杉山。
その三人に共通していた金銭授受。
偶然にしては、あまりにも気になる一致だった。
しかし、仮に口封じが目的だったとしても、それで事件を納得できるわけではない。
「……不正に関わっていたことと、殺されていいかどうかは別の話です」
東は、はっきりと言った。
「家族や幼い子どもまで犠牲になっています。使用人だって巻き込まれている。何も知らなかった人たちまで殺されているんです」
「そのとおりだ」
真壁の表情が険しくなった。
「仮に口封じだったとしても、殺人が正当化されるわけではない。不正の追及と殺害事件の捜査は、それぞれ続けなければならん」
榊原も静かにうなずいた。
不正が発覚したからといって、怪人たちの行動に正当性が生まれるわけではない。
むしろ、何も知らずに命を奪われた人々のことを考えれば、なおさら真相を明らかにする必要があった。
「それと、資金を提供していた側についても調査が進められています」
榊原が次の資料を机へ置いた。
「ただ……」
そこで、言葉が途切れた。
「何か問題でも?」
東の問いに、榊原は苦い顔をする。
「取引記録から資金の流れを追ったところ、ある法人へたどり着きました。ですが、その会社には事業の実態が確認できなかったんです」
「……ペーパーカンパニーですか」
「ええ。書類上は存在していますが、誰が実際に資金を用意していたのか、そこから先がつかめていません」
真壁が言葉を継いだ。
「もちろん、これで捜査を打ち切るわけではない。だが、今ある情報だけでは、相手の正体に迫ることが難しい」
「……なるほど」
東は腕を組んだ。
金銭授受の事実は見つかった。
その金によって、怪人事件の隠蔽や情報伝達の妨害が行われていたことも分かった。
しかし、誰が金を渡し、何のために警察内部の人間を動かしていたのか。
肝心な部分は、まだ見えてこない。
「結局、相手の正体は分からないままなんだね」
シラメ博士がぼやいた。
「……そういうことになる」
真壁は苦々しく答えた。
警察組織の内部で行われていた不正の一部は、今回の事件によって表面化した。
それでも、背後にいる相手までは届かなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、榊原が口を開いた。
「ただ、今回の件で、これまでの情報共有の仕組みに問題があったことは明らかになりました」
「……ええ」
「今後は、怪人事件に関する情報が、一部の幹部の判断だけで止まらないようにする必要があります。CASHへ直接共有する仕組みも含めて、見直しを進めたいと考えています」
東は顔を上げた。
「それが実現するなら、ありがたいです」
「すぐにすべてを変えられるわけではありませんが、少なくとも、今までのやり方を続けるわけにはいきません」
真壁もうなずく。
「CASHの力が必要だということは、今回の件ではっきりした。現場の報告を軽視する組織では、次の怪人事件に対応できん」
東は静かに息を吐いた。
これまで、怪人への対処だけでも手いっぱいだった。
それなのに、実際には怪人と戦う以前の段階で、組織の問題にも足を引っ張られていたのだ。
その問題が、ようやく正面から扱われようとしている。
失われた命を取り戻すことはできない。
だが、これから失われるかもしれない命を守るために、変えられることはあるはずだった。
「……お願いします」
東は真壁と榊原を見つめた。
「もう、情報が届かなかったせいで手遅れになるようなことだけは、繰り返したくありません」
二人は真剣な表情でうなずいた。
今回の事件は、皮肉にも、警察組織の暗部を明るみに出すきっかけとなった。
それが今後の対怪人体制を変える第一歩になるのかもしれない。
ただし、改革はまだ始まったばかりだった。
そして、今回の事件が残した問題も、これだけでは終わらなかった。
*
さらに数日後。
CASHへ、新たな調査結果が届けられた。
「……警察官の遺体?」
東は受け取った報告書を見て、思わず聞き返した。
「はい。アナグマドリルが掘り返した道路の復旧工事中に、土の中から発見された男性の遺体です」
報告を持ってきた捜査員が説明する。
工事現場で発見された遺体は、その後の身元確認によって、警察官の一人であることが判明したという。
東は資料をめくった。
そこには、警察官の所属や経歴、失踪に関する記録がまとめられていた。
「この人、行方不明になっていたんですね」
「ええ。ただ、問題はそこではありません」
捜査員が別の資料を差し出した。
「検視の結果、死亡したと推定される時期が、記録上の失踪時期よりもかなり前だったことが分かりました」
「……どういうことですか?」
「つまり、この警察官は、失踪するよりもずっと前に死亡していた可能性が高いんです」
東は思わず顔を上げた。
「待ってください。それなら、失踪するまで勤務していたのは……?」
「そこが問題なんです」
資料には、死亡したと推定される時期より後にも、その警察官が勤務していた記録が残されていた。
書類上では、本人はその後もしばらく警察官として働き、ある時点で突然姿を消したことになっている。
ところが、発見された遺体の男性は、その時点ですでに亡くなっていた可能性が高い。
では、警察官として勤務していたのは、いったい誰だったのか。
「……まさか」
東の脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。
人間の姿をそっくりそのまま再現し、周囲に気づかれず行動する怪人。
これまでにも、CASHは何度もそんな相手と遭遇している。
「ミラーカメレオン……?」
そばで報告を聞いていた川出が、小さくつぶやいた。
「可能性はありますね」
東もうなずく。
ミラーカメレオンなら、人間の姿に擬態して警察内部へ入り込むことも考えられる。
それどころか、警察官という立場を利用すれば、怪人事件に関する情報へ接触する機会もあったかもしれない。
「……厄介ですね」
川出が腕を組んだ。
「もし警察官として行動していたのが怪人だったなら、内部の動きを把握されていた可能性があります。所属や担当していた仕事によっては、捜査の進み具合まで知られていたかもしれません」
「そうね……」
東は資料を見つめた。
ただでさえ、警察内部での情報の扱いには大きな問題があった。
その原因の一部は、外部からの金銭授受だったと判明している。
ところが、今度は警察内部に怪人が入り込んでいた疑いまで浮かび上がったのだ。
「……でも、ちょっと待って」
シラメ博士が口を挟んだ。
「ミラーカメレオンならできそうだっていうのは分かるけど、それだけで今回もそうだったとは言えないよ」
博士は報告書へ目を落とす。
「ほかにも擬態できる怪人がいるかもしれないし、まだ誰がなりすましていたのかまでは分かってないんだろう?」
「ええ。そのとおりです」
東はうなずいた。
警察官の死亡時期と勤務記録には、明らかに説明のつかない食い違いがある。
何者かが本人になりすましていた疑いは強い。
しかし、その正体がどの怪人だったのか、何を目的としていたのか、そして今どこにいるのか。
分からないことばかりだった。
さらに、今回の汚職事件と擬態による潜入が、同じ相手によって引き起こされたものなのかどうかも不明である。
「……どこまで入り込まれていたんでしょうね」
東のつぶやきに、誰もすぐには答えられなかった。
警察内部には、金銭を受け取って情報を止めていた人間がいた。
そして今度は、警察官の姿をした何者かが、内部で活動していた疑いまで出てきた。
怪人の姿をしていなくても、怪人である可能性がある。
それが、今回の発見によって突きつけられた現実だった。
「……とにかく、調査を続けるしかありませんね」
東は気を取り直した。
「勤務記録や当時の関係者への聞き取りを、改めてお願いします。それと、今後CASHへ届く情報の確認方法についても、見直す必要がありそうです」
「分かりました」
捜査員がうなずく。
東は資料を閉じ、深く息を吐いた。
今回の怪人事件には、ひとまず決着がついた。
しかし、その裏にある問題は、想像していた以上に複雑だった。
情報が届かないことを警戒してきた。
だが、これからは届いた情報が本当に信用できるものなのかも、考えなければならない。
「……まったく」
東は小さくつぶやいた。
怪人との戦いは、相手を倒せば終わるというほど単純ではないらしい。
それでも、手を止めるわけにはいかなかった。
*
その日の帰り道。
紀人とサクラは、夕方の通りを並んで歩いていた。
制服姿の学生たちが笑いながら通り過ぎ、買い物袋を下げた人々が信号待ちをしている。
店先からは夕食の支度をする匂いが漂い、交差点では車が途切れることなく行き交っていた。
二人もまた、そんな街の風景に自然と溶け込んでいる。
少なくとも、外見だけなら。
「……まさか、警察官の中にまで怪人が入り込んでたかもしれないなんてな」
紀人がつぶやいた。
東から聞いた調査結果が、まだ頭に残っていた。
「そうね……」
サクラも静かにうなずく。
「しかも、本物の警察官は、ずっと前に亡くなっていたんでしょう?」
「ああ。だったら、あの人の姿で働いてたのは、いったい誰なんだって話だよな」
紀人は肩をすくめた。
「人間そっくりになれる怪人がいるのは知ってたけどさ。警察の中にまで入り込めるとは思わなかったぜ」
サクラは何も答えなかった。
少しだけうつむき、自分の手を見つめている。
「……どうした?」
「え?」
「いや、何か考えてるみたいだから」
「……ううん。ちょっとね」
サクラは小さく笑った。
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
紀人にも、なんとなく分かっていた。
あの戦いが終わってから、サクラの様子が少し変わった。
もちろん、連戦の疲れもあるのだろう。
だが、それだけではないような気がしていた。
そして、それは紀人自身にも言えることだった。
「……なあ、サクラ」
「何?」
「お前、まだあいつのこと考えてんのか?」
サクラの足が止まった。
「……ヨミのこと?」
「ああ」
紀人は前を向いたまま続けた。
「俺もさ、あいつに言われたことが、まだ引っかかってんだよ」
サクラは少し黙ってから、小さくうなずいた。
「……私も」
それ以上、言葉は続かなかった。
しかし、二人とも何を思い出しているのかは分かっていた。
『俺もお前も、怪人と変わんねえじゃねえか!』
あの言葉だ。
ヨミは、自分たちを怪人と変わらない存在だと言い切った。
紀人はその場で、はっきりと言い返した。
『姿が変わったからって、人間じゃなくなるわけねえだろ!』
あのときの自分は、本気でそう思っていた。
いや、今だってそう思っている。
少なくとも、そう信じていたい。
けれど……。
「……ねえ、紀人」
サクラが静かに口を開いた。
「私たちって、どこまでが人間なんだろうね」
紀人は思わず彼女を見た。
「……何だよ、急に」
「ううん。ずっと、ちょっとだけ気になってて」
サクラは自分の手を持ち上げた。
見た目は、ごく普通の手だ。
指を曲げれば曲がるし、何かに触れれば感触もある。
こうして街を歩いていても、周囲の人間と何も変わらないように見える。
それは紀人の手も同じだった。
だが、二人とも知っている。
自分たちの身体が、普通の人間とは違うことを。
機械や、仕組みのよく分からない技術が身体の中に組み込まれている。
それぞれの変身道具を使えば、身体は人間とはかけ離れた異形の姿へ変わる。
翼が現れたり、動物の脚になったり、頭部の形状すら変化することがある。
普通の人間には、そんなことはできない。
「……まあ、普通じゃねえのは分かってるけどさ」
紀人は自分の手を見下ろした。
「でも、こうして普通に生活できてるだろ? 学校にも行けるし、飯だって食えるし」
「そうね」
「だったら、人間でいいんじゃねえの?」
口にしてから、紀人は少し引っかかった。
人間でいい。
自分で言っておきながら、何だか妙な言い方だと思った。
まるで、本当は人間ではないかもしれないけれど、そういうことにしておこうと言っているみたいではないか。
そんなつもりではなかった。
それでも、一度気になってしまうと、簡単には振り払えなかった。
「……私も、ずっとそう思ってた」
サクラが静かに言った。
「普通に生活できるし、誰かと話したり、笑ったりもできる。だから、そんなことを深く考えたことはなかったの」
「……うん」
「でも……」
サクラはそこで言葉を止めた。
「でも?」
「……身体の中まで、普通の人と同じってわけじゃないでしょう?」
紀人は答えられなかった。
確かに、そのとおりだった。
普通に歩ける。
普通に食事ができる。
学校へ行き、友人と話し、笑うこともできる。
それでも、自分の身体の内部に何が組み込まれているのか、すべてを知っているわけではない。
どんな技術が使われているのか。
どこまでが元の身体で、どこからが改造された部分なのか。
考えてみれば、分からないことだらけだった。
「……どこまで改造されたら、人間じゃなくなるんだろうな」
紀人が小さくつぶやいた。
サクラは何も言わなかった。
腕が機械になったら?
脚が動物のものに変わったら?
身体の中に、人間には本来存在しないものが組み込まれていたら?
どこまでなら人間で、どこから先は人間ではないのか。
そんな境界が、本当にあるのだろうか。
今まで、二人はそのことを深く考えずにいた。
変身していないときは、人間の姿で暮らせる。
自分たちが普通の人間とは違うことを知っていても、それで日常生活に困ることは、普段それほど多くない。
だから、人間であることまで疑う必要はないと思っていた。
だが、変身していないからといって、身体の中の改造がなくなるわけではない。
そこに気づいてしまうと、今まで当然だと思っていたことが、急に不確かなものに感じられた。
サクラは、そっと唇を結んだ。
紀人よりも、彼女には切実な理由があった。
一度、本当に怪人になったことがある。
あのとき、自分の身体に何が起きたのか。
どこまで変えられてしまったのか。
そして今、どこまで元に戻っているのか。
考え始めれば、いくらでも疑問が浮かんでくる。
こうして人間の姿で暮らしている。
食事をして、誰かと話し、笑うこともできる。
それは確かに嬉しいことだった。
だが、普通の生活ができることと、以前と同じ身体に戻れたことは、必ずしも同じではない。
(……私、本当に戻れたのかな)
その考えが浮かび、サクラは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
考えたくなかった。
今の生活を疑いたくもなかった。
それでも、一度浮かんだ疑問は簡単には消えてくれない。
「……サクラ?」
紀人に呼ばれ、彼女は顔を上げた。
「え?」
「大丈夫か?」
「……うん。大丈夫」
サクラは小さく笑った。
紀人も、それ以上は聞かなかった。
自分自身も、似たようなことを考えていたからだ。
身体が改造されている。
それは分かっている。
だが、どこまで改造されたのかは分からない。
自分でも知らない技術が、身体の中で働いている。
そのことを考えているうちに、紀人の頭へ、さらに嫌な考えが浮かんできた。
(……もしさ)
自分の身体だけじゃなくて。
今の自分の考え方や、覚えていることまで。
もし、誰かに……。
「……っ」
紀人は思わず首を振った。
「……何考えてんだ、俺」
「え?」
「いや、何でもねえ」
慌ててごまかす。
そんなことまで考えたくなかった。
自分が何を考え、何を感じ、何を正しいと思っているのか。
それすら本当に自分自身のものなのかと疑い始めたら、きりがない。
そもそも、そう考えなければならない証拠など、どこにもないのだ。
だが、証拠がないからといって、可能性そのものが消えるわけでもなかった。
紀人は自分の手を握りしめた。
この手を動かそうと考えたのは、自分だ。
動かしたのも、自分だ。
そう信じている。
でも――。
そこまで考えかけて、紀人は慌てて思考を止めた。
これ以上は、考えたくない。
隣を歩くサクラも、どこか落ち着かない様子だった。
彼女もまた、自分の中に浮かびかけた考えを、必死に押し戻そうとしていた。
身体の中に、何が組み込まれているのか。
それだけでも分からないことだらけなのに。
もし、自分が覚えていることや、大切に思っていることまで……。
(……やめよう)
サクラは心の中でつぶやいた。
今は、そんなことを考えたくない。
自分が自分でなくなるような気がして、怖かった。
二人はしばらく、何も話さず歩いた。
周囲では、いつもどおりの日常が続いている。
学校帰りの学生たちが笑いながら歩き、店先では買い物客が商品を選んでいた。
車が行き交い、信号が変わる。
誰も、二人を特別な目で見たりはしない。
見た目だけなら、どこにでもいる普通の若者たちなのだ。
やがて、紀人が小さく息を吐いた。
「……そういや、腹減ったな」
サクラが顔を上げる。
「え?」
「いや、ほら。何か食って帰ろうかなって」
「……さっきも何か食べてなかった?」
「食ったけど、もう腹減ったんだよ」
「今日は戦ってないでしょう?」
「この前の疲れが残ってんだって!」
紀人が少し大げさに言い返す。
サクラは思わず笑ってしまった。
「もう。そういうところは、いつもどおりね」
「何だよ、それ」
「別に」
サクラは軽く首を振った。
いつものような、何でもないやり取りだった。
紀人も、つられて笑う。
二人はそのまま、並んで歩き始めた。
何を食べるか。
どこへ寄るか。
そんな他愛もない話をしながら、夕方の街を歩いていく。
今回の事件には、ひとまず決着がついた。
警察内部で起きていた不正も、一部が明らかになった。
その裏にいる相手や、警察官になりすましていた何者かについては、まだ分からないことが多い。
それでも、調査は続けられる。
街の復旧も進んでいる。
怪人との戦いで壊されたものが、少しずつ元へ戻っていく。
紀人とサクラもまた、普通の日常を続けようとしていた。
けれど、二人の中に生まれた疑問だけは、簡単には消えてくれなかった。
自分たちは、人間なのか。
それとも、もう人間とは呼べない存在なのか。
そして、自分が今こうして考え、笑っていることさえ、本当に自分自身のものなのか。
考えたくない。
答えを出すことも、今はできない。
だからこそ、二人はいつもどおりに歩き続けた。
ごく普通の若者として。
少なくとも、今はまだ。
――章・完
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




