18. 悪党貴族は見ていました
長い話になるだろうからと、中庭へ移動しました。床に這いつくばっていた旦那様が真顔で立ち上がる姿は真剣な雰囲気を壊しました。
メイドが紅茶や茶菓子を持ってきて、全てをセットしたのちに下がります。旦那様は顔や言動からして夜が似合う気がしていましたが、今はなんとなく、この木漏れ日の中が一番馴染んでいる気がします。
紅茶の中に、木の葉が落ちました。
「全部、知っていたんだ」
風が吹いて、木々のざわめきの中でも、その言葉ははっきりと耳に届きました。
「ラッセルが我が家を疑い、取り込もうとしていたことも。フレヤが俺を警戒していたことも」
木の葉など気にせず、旦那様は紅茶を飲み干します。穏やかで、凪いでいて、私の胸の内だけが、異物のようでした。
私は、旦那様は何も知らないと思っていたのです。でなければ、私を愛するはずがありません。ここまで近い距離を許すはずがありません。
「……では、なぜ」
結婚したのですか、とはまでは言えませんでした。
私を見る旦那様……エイダン様の顔が、あまりにも、優しかったから。
「好きだから、だけじゃダメか?」
ゲイル・ブルックスは、私に恋焦がれたと言った。旦那様も、同じだと言っていた。
それでも、私は恋なんて知らなくて、私には関係ない何かで、不都合な煩わしいもので、飲み込めていなかった。
「だって、そんなの、まったく……」
侯爵家の一人娘である私の容姿は完璧でした。様々な制限とコルセットに耐えた末に得た見目は、身の程知らずな恋を抱かせるほどでした。学園で働く使用人や下級貴族からの色目を、感じ取ったことは幾度となくありました。
でも、エイダン様は、一度もそんなことはなかった。結婚してからでさえ、なかったのです。
「最初はあった。でも、フレヤは恋されるのが嫌いだろう?」
エイダン様が語り始めたのは、私の知らない片想いの話でした。
学園の高等部に入学した当初から、今に至るまでの。私も知らない私と、私よりも私を見ていた貴方の話。私よりも私を愛していた人の話。
あまりにも深く膨大な恋愛でした。恋も愛も分からない、私には不相応な気がして、俯くことしかできませんでした。
「……エイダン様、好きとは、愛とは、何ですか」
「その質問は、難しいな」
私に顔を上げるように促して、エイダン様は困ったように眉を下げます。
「だが、一つ言えることはある。婚約を結んだ時、愛することはない、とフレヤは言ったな」
確かに言いました。エイダン様は灰になっていましたし、かなり傷を負わせていたようでした。
こんな風に変わるとは知らない、愛されていることすらも知らなかった当時の私の本心でした。
「そんなことはない。フレヤは最初からずっと、俺を愛してくれていた」
驚きのあまり、瞬きすらも忘れます。私の頭は真っ白になりましたが、エイダン様はとても嬉しそうでした。
「フレヤもずっと、俺を見ていてくれただろう。俺を心配するし、服の袖を掴むときは嫉妬しているときだ」
情けないことに、俺もあの舞踏会のキスで気づいたんだがな、とエイダン様が続けます。
「愛していない相手に、こんなことはしない。知らないから、わからなかっただけだ」
悔しさの正体が嫉妬だと知りました。複雑だった気持ちは、心配でした。朝の無防備な旦那様に近寄りたかったのは、抱きつきたかったからでした。
「私、これから貴方を愛するのだと思っていたのに」
「ハッ! 今更だ」
エイダン様は笑いました。
ご自分も、私が私を理解して、その先で他の誰かを愛しても良いと思っていたのだと言います。そんなことがあり得るわけもないのに。
「だが、フレヤがやりたいことをやってほしいという気持ちは変わっていないからな」
その言葉を聞いた私は、紅茶をテーブルに置いて、席を立ちました。戸惑うエイダン様に近づいて、跳ねた黒髪をわしゃわしゃと撫でました。額にキスを落として、頭ごと抱きしめました。エイダン様は「スゥ……」と短く息を吸って、さらさらと灰になりました。
言われた通り、やりたいことをやっただけですのに、なぜでしょう。
後日、私はまた手紙をしたためていました。旦那様がやってきてきたので、一度ペンを置きます。
「まだ送ってなかったのか?」
「ええ、最後の一文が決められなかったので」
お父様への報告の手紙を書き終えて、ボーモント家の封蝋を押しました。
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「……これは想定外だったな」
珍しく一人の執務室で、俺は顔を手で覆った。勘弁してほしかった。




