第1話 掟破りの逆回り
昼ご飯を飯屋で食べて表通りに出ると、向こうから顔なじみの雑貨屋の店主、サブさんの声が飛んできた。
「お~い、ソラ~! 今夜は親父のおかんきやけん、よろしくなぁ~」
「は~い、日が落ちる前にはウミと一緒にうかがいますね~」
僕はそう答えながら手を振った。
「おかんき」とは、49日まで7日ごとに行われる読経供養のこと。亡くなった方への弔いのために、親戚や近所の人が集まってお経を唱えるのである。
本来ならそこに坊主は来ず、地区のリーダー格のベテランが導師となって執り行うものだ。でもこの世界では、そこまでできる人がまだいない。なのでこの僕、ソラと、まだ未成年のなんちゃって坊主のウミが7日ごとに訪問して、読経の真似事をしているのだった。
僕がこの世界に来て、もうすぐ10日目になろうとしている。
この世界……さんざんアニメやラノベで見てきた異世界? 平行世界? パラレルワールド? なんて呼べばいいかわからないけれど、あの世じゃないことは確かだ。だって腹も減るし、ケガすれば痛い。
来たのもなんともバカげた話で、トラックにはねられたわけでも、VR装置をつけて寝たわけでも、職場で心臓発作になったわけでもない。
**呼ばれたから、自分で来た。**
そう、さっき出てきたなんちゃって坊主のウミに。
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少し話が前後するけれど、そもそも僕が何者かというと。
葬祭プランナーの仕事をしていた、大卒2年目の24歳。
1年目は見習いで先輩について回り、受注の仕方、祭壇の組み方、生花の活け方を覚えた。司会のやり方もそこで身につけた。
大学出たての若輩者だから、先輩たちみたいに人々を感動させるナレーションはまだできない。でも、ご遺族から故人の人となりを丁寧にヒアリングして、まっすぐな言葉で送り出せるようになってきた——そう思い始めた矢先の出来事だったのである。
会社は冠婚葬祭互助会。葬式も結婚式も、喜びも悲しみもどっちもOK。……とはいえ最近はホテル婚が増えて、仕事のメインは葬儀。まあそんな話はどうでもいい。
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ウミは、僕が働く町にある大きな寺の三男坊で、高校3年生だった。
兄二人はすでに仏教系の大学を卒業してそれぞれ修行に出ており、ウミは「将来は好きにしていい」と言われていた。寺のことは後回しで、陸上部の八種競技に全力を注いでいた。
僕とは葬儀の仕事でその寺によく行くうちに仲良くなった。僕が祭壇や黒白の幕を片付けていると、檀家からもらったのか缶コーヒーを差し入れてくれたりした。
「なあ、ソラさん。俺、将来どうしようかな? 陸上してたから推薦で東京の大学にも行けるって言われてるけど、この町離れるのイヤやしなぁ。ソラさんの会社って高卒雇ってないの? うちの寺とパイプできたらめっちゃええと思うけど」
「いや、お前……高校出てすぐ葬儀屋は勧めんぞ。そもそもうちの会社は葬儀屋ちゃうし。冠婚葬祭互助会って言って、葬式も結婚式も両方やるんやぞ。俺も時々ネクタイ変えて結婚式の配膳したりしてるがな」
「へえ~。でも部活も終わってヒマやし、ソラさんとこでバイトしながら将来考えようかな」
「バイトか。社会勉強としては有りやけど、お前、この辺で葬儀あったら顔さされるんちゃうか?」
「ほな裏方でええよ。祭壇運んだり幕張ったり花輪届けたり……って俺、免許持ってなかったわ」
「そんなん俺のサポートでもええけどな。社長に言うとくわ。いつから来れる?」
「明日からでも行けるよ」
「じゃあ初日は俺が迎えに行くわ。9時頃に門の前でな」
そう言って、その日はウミと別れた。
ちなみにウミの実家は、泣く子も黙る四国八十八か所の総本山、善通院である。住職さんはガレージにレクサスとベンツを置いているような人だ。東京の港区に行けばタワマンにだって住めるだろうに、ウミは「親の金には頼りたくない」とあっさり言い切った。
なかなか骨のある奴だと、僕は思っていた。
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翌日、9時ちょうどに寺の門の前に到着。
……おらん。
5分経過。来ない。10分待ったら僕が遅刻してしまう。どこやねん。
しょうがない、母屋に行って聞いてみよう。
「お世話になっております、善通院葬祭のソラです。ウミ君、今日からうちでバイトすることになっていて、迎えに来たんですが」
インターフォンからお母さんの心配そうな声が返ってきた。
「昨日の夜から姿が見えないんですよ。防犯カメラを確認しても出た形跡がなくて……」
マジか。神隠し? 自分の家の庭で?
境内はとんでもなく広い。近くの自衛隊駐屯地の半分くらいある。隠れる場所はいくらでもある。でも昨日約束したのにいきなりすっぽかすか? なんか緊急事態な気がする。
会社に電話を入れてから、めぼしをつけていた場所へ向かった。
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この寺には、割と有名な地下道がある。
修行のための暗闇を一周するのだが、ウミから「子供の頃のトラウマがある」と聞いていた。暗闇の奥に行くと、他の人には聞こえない話し声が自分にだけ聞こえてくると。言葉はわからないけれど、あれはきっと悪霊だと言っていた。
そこに呼ばれたのでは、と思ったのだ。
大人一人がやっと通れる暗い穴を、かがんで進む。現代社会ではほぼ経験することのない漆黒の闇。ポケットにはライターがあるけれど、使うと負けな気がしてあえて使わず進む。
「ウミ~! ウミ~!」
声をかけるが、僕の声は一周して後ろから追いかけてくるだけ。ここじゃなかったのかな……と不安になった頃、突き当たりの壁から声が聞こえた。
「ソラさん!?」
マジか。
「ウミ! どこや? 隠し部屋でもあったんか?」
「なんとなく昨日の夕方、戒壇巡りを逆回りしたら光が漏れてて。そこの板の継ぎ目押したらなんか広いとこ出てん」
「広いとこてなんやねん! はよ戻れや。おかん心配しとったぞ」
「いや、戻り方わからへん。こっち明るいから継ぎ目も見えへんし。ソラさん、なんか明かりある?」
スマホのライトを最大にして板から漏れる光の方に向けて振ってみる。
「うぉ、なんか空中にうっすら白い筋見えた。わらける」
「空中ってお前……そっち寺の下の隠し部屋ちゃうんか?」
「うん。広っぱ? 見たことあるような山も見えるけど、善通院ではないなぁ。あの山の形、象頭山ちゃうかなぁ。川も見えるし、向こうの方に煙も見える。人はおるんちゃうかな」
この状況でよくのんきに言えるもんだ。
「で、お前そこで何してたの?」
「昨日の夕方から来て、この辺ウロウロしたけど基本原っぱと瓦礫。昔教科書で見た空襲の跡みたいやわ。水は川で飲んだ。生水怖い……」
そりゃ腹壊すわ。
「廃墟みたいなんがあって、屋根あったからそこで寝てた。スマホのライト酷使したら電池切れた」
「つながるんやったら電話したらよかったやろ!」
「めっちゃしたわ! おかんにもおとんにも! でもかけてもすぐツーツーやねん。電源入ってへんって。あの人ら何時から寝とるねん! おかげで充電切れたっちゅーねん!」
なるほど、まとめるとこうだ。
昨日バイトの話をして別れた後、ウミはこの戒壇巡りを逆回りした。通常とは逆の角度から進んだら、暗闇の中で光が漏れているのに気づき、興味本位で板の継ぎ目を押したら——異世界に迷い込んだ。
でも、かろうじて両世界はつながっていて、電波が1本だけ届く。水も酸素もあって、人の住んでいた形跡もある。スマホの充電は切れた、と。
わかった。わからん。
「よし、ウミ。状況はわかった。あとはおやっさんとおかあさんと学校には事情を説明しとく。強く生きろ。後のことは心配いらん」
「いや、ちょっと待ってよ! 今日から一緒に働こって昨日誓ったやん! こっから引き上げてよ」
「引き上げるったって……」
「ちょっと壁の隙間見えるでしょ? そこに指入れてみて」
言われて近づけた瞬間、ものすごい勢いで吸い込まれそうになる。ダイソンの比じゃない。台風の冠水でマンホールに吸い込まれたトラウマが一瞬よぎって、思わず手を引いた。
指一本でこの威力。手を入れたら完全に持っていかれる。
「ウミ~、無理。俺がそっちに引っ張られる。異世界に迷い込んだバカが2人になる未来が見える」体育座りで空をぼーっと眺めてる2人が浮かぶ。うん、やめとこ。
「マジか……しゃーない。ほんだらとりあえず僕の部屋に置いてある避難リュックと、あと色々持ってきてよ。食べ物……マクドでええわ。あと調味料とかナイフとか——」
「贅沢言うな。まぁ異世界無双できるくらいのあれやこれやを持ってきてやるわ。ドラえもんみたいに、ちゃっちゃらーん♪、らいたぁ~!村人うぉおお!みたいな?」
「どのくらい発展してるかわからんよ。人が空歩いてるかもしれんし、魔法でファイヤーとかしとるかもしれん」
「まあええがな。ダイソーで適当にあれこれ買って差し入れしたるわ」
「わかった。なったもんはしゃーないし前向きに生きるわ。親にはウミは死んだもんと思ってと伝えといて」
「らじゃ!」
「……軽いなあんた」
「ふふふ、自分の身に起こったことではないので割と俯瞰で見れますね」
「楽しんどるやん」
笑いながらその場を後にした。
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ウミのお母さんへの説明、ご住職との面談——全部済ませて善通院を後にする。
ご住職はこちらの話をひと通り聞いて、こう言った。
「ほう、戒壇を逆回りしたと。よくわからん世界に迷い込んで戻れない、携帯がつながる……わけわからん話ですな。でも実際いなくなったのは事実ですし、君が私たちにウソを言うメリットも無い。わかりました。あいつはいないもんとして考えときます」
「え、あなた……」
お母さんはそりゃそういう反応になるよな、と思った。
ご住職はさらに続ける。
「あいつの部屋から必要そうなもんは全部自由に持っていってください。いつか必ず帰って来れると信じて、あっちの世界でもきちんと勉強してこいと伝えてください。あいつ、般若心経すら適当にむにゃむにゃごまかしていたので、数珠と経文も一緒に渡してください」
「あの、僕が一人で行くだけでよろしいので?」
「ははは、僕の身体じゃあそこの地下の奥はちょっと窮屈ですわ」
……納得。途中で詰まるな、これ。
お母さんはまっすぐな目で僕を見て言った。
「何かあったら自分の身を第一に。ウミは体力もありますから。まずはあなた自身を大切にしてくださいね。あなたのお母さんも、きっとそれを願っていると思います」
いや、うちの親はしばらく仕事で出張してるくらいにしか思ってないと思います……なんかすみません。
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次に向かったのは職場。社長に事情を説明すると、意外にもあっさり受け入れられた。
「そうか~。まあ月にロケットが行く時代やが、不思議なこともあるもんやのぉ」
「で、ちょっとボンのために買い出し行くけん、軽トラ借りるで。荷物渡したら夜勤には間に合うようにするわ」
「夜勤? そんなもんええぞ、お前」
「いや、僕おらんかったらどうすんのさ?」
しばらくやりとりした後、社長はぼそっと言った。
「業務や」
「……は?」
「業務や。給料はこれまで通り出す。出張手当もつけてやる。家賃も借上げ社宅扱いにするから気にすんな。車のローンは引き落としやろ? 善通院の花輪の倉庫に置いておけ。バッテリー外しとけよ」
「社長? なにそれ、僕にあっちの世界に行けと? なんでやねん」
「お前、善通院のボンになんかあったらわしらここで商売できんようになるぞ? 八十八か所の総本山のご住職のご子息様やぞ? お前がうまい事立ち回ったらうちの会社は安泰じゃ! 無事戻ってきたら2階級特進!」
「それ死んだ前提では? 平社員が2階級上がっても係長?今、平社員僕だけやん! 係長なっても周り課長とか店長とかの肩書ばっかで一番下っ端のままやん!」
「お前が戻るまでに新卒なんぼか採用しとくやん」
……何年スパンで考えてるんでしょうかね、これ。
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業務命令が出たので、自分の荷物も用意することにした。ウミもいるからってのもあるのかな、不思議と怖さを感じない。逆に妙な高揚感を感じていた。
Tシャツ3枚、ジーンズ1本、礼服一式、デニムのエプロン、スニーカー。スマホとモバイルバッテリーと防災セット。そして南海トラフに備えて買っておいたAnkerの携帯型ソーラーパネル!まだ使ってないからめっちゃ楽しみ。
あと、おかんに連絡しとかないと怒られるな。
トゥルルルル……「ただいま近くにおりません、御用の方は——」
はいはい、オレオレ対策ね。知ってるよ。
「あ~、ソラやけど。これから仕事でちょっとしばらく留守にします。来月戻るのか年単位なのか戻れないのかようわからんけど、今までありが——」
電話が切れた。
……しまらんのぉ。最後の挨拶になるかもしれんのに、留守電、しかも途中で切れるとか。めっちゃハズい。
スーパーとコーナンで買い出しして、大荷物を抱えて善通院へ。キャンプ気分やな。簡易テントも買ったし。経費、経費。あ…領収書いつ渡そう。
エベレストにでも挑みそうな格好の僕を見て、ご住職も少し引いていた。
「ど、どしたんそれ?」
「色々わけありで、僕もあっち行こうかなぁ~ってなりまして」
「……社長の指示で?」
口ごもっていると、ご住職が親指を立ててグッジョブのサイン。
あはは、社長、わが社は安泰ですよ。
お母さんとご住職からそれぞれ手紙を預かった。袈裟など一式と数珠など道具一式も。
「君にウミを頼むとは言えない。君に責任は何もない。ただ、ありがとう」
ご住職のその言葉だけ受け取って、僕は戒壇巡りを——逆回りにした。
ひとつ考えがあった。コーナンで買ってきた荷造り紐を地下の柱に結んで、例の裂け目まで垂らしておけば、向こうの世界で出入り口の目印になるはずだ。
暗闇の中を壁伝いに奥まで進む。
ふっ、やっぱり光が見える。マジかこれ。
蓄光の時計を見ると、18時5分前。
「ウミさんや、ウミさんや、そこにおいでかえ?」
「うぉおおおおお、ソラさ~ん! 待ってたよぉ~! 腹減った~! マクド、マクド!」
いや、お前、緊張感なさすぎやろ。
まず飯なんかい。
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*(第2話へ続く)*




