伸一
伸一は明美に告白をした。
だというのに。
明美は、幹也のことが好きだった。
たったそれだけのこと。
伸一は、男として、幹也に敗北した。
そんなよくある話が、あの悲劇へと繋がったのだ。
◇
十年前。
「いや、ないわ。あたしたちって友達じゃん?」
伸一からの告白を、明美はそう言って切り捨てた。
男が覚悟を決めて女に告白したのだ。
だというのに明美は検討することなく伸一をフった。伸一にまるで興味を抱かなかった。
「そんなことより、幹也君を紹介してくれない?」
しかも、明美は、よりにもよって、そんなことを口にした。
――許せるものか。
伸一の心に、沸々とした怒りがわき上がってきた。
明美に恋心を寄せられながらも、日菜のことしか見ていない幹也のことを。伸一から告白されたのに幹也のことしか見ていない明美のことを。伸一は、絶対に許すことはできなかった。
全部ぶち壊してやろうと心に決めた。
ならばあとは行動に移すだけだ。
まずは友人たちに「幹也が日菜に告白したがっている」という噂を流した。年頃の高校生は色恋沙汰が大好物なので、その噂はあっという間に広まったようだ。
もちろん、幹也と日菜がよく一緒にいたことも噂の信憑性を高めていたのだろう。
きっと誰かからからかわれたのだろう、その後、幹也と日菜は段々と距離を取るようになった。
それとほぼ同時、日菜が虐められているという噂が立ち始めた。あるいは幹也が原因で虐められているから日菜の方から距離を取ったのかもしれない。
日菜を虐めていたのは、もちろん明美だ。
他にも理喜と聡也という男子が虐めに荷担していたらしい。あとから聞いた話によると、この二人も明美に恋をしていて、明美の気を引こうとして日菜の虐めを手伝っていたそうだ。
もちろん伸一が直接何かをしたわけではない。ただ、幹也と日菜の幼なじみとして、話を聞かれたらなるべくややこしくなるよう答えただけで。
そうして。
日菜は自殺した。
ずいぶんと凄惨な光景だったらしいが、伸一はあとから話を聞いただけだ。なにせその時の伸一は部活中だったのだから。
……これで伸一の計画は完成するはずだった。
日菜が死んだことで幹也の心には消せない傷が刻まれた。あとは日菜の虐めの首謀者が明美であると伝えれば、幹也は明美を許さないだろう。もしかしたら復讐として殺してくれるかもしれない。
完璧だった。
日菜には少し可哀想なことをしたが、しょうがない。伸一はただちょっと噂を広めただけで、何もしていないのだから罪悪感を抱くのも間違いだろう。
そもそも、幹也を好きになったのが悪いのだ。
とにかく。これであとは最後の仕上げ。幹也に明美の罪を伝えようとしたところで……問題が起きた。
幹也の心が、完全に壊れてしまったのだ。
日菜の虐めの話をしても興味なさそうな反応しかせず、伸一の言葉を聞いているのかいないのか分からない有様だった。
そして、そんな幹也のことを献身的に支える明美。
想定外だったが、これはこれでいいかと伸一は思うことにした。あんな廃人の介護をしなければならない明美が幸せになれる姿が想像できなかったからだ。
そうして幹也は東京の大学に進学し。明美も追いかけるように東京へと行ってしまった。
それに僅かな怒りはあったものの、まぁいいかと思えた。自分の視界から消えてくれるならそれで良かったのだ。
そうして。可もなく不可もなく十年の月日が流れ。伸一も幹也や明美のことを忘れかけていた頃。
幹也から電話があった。
明美と結婚するつもりだというのだ。
ふざけるな、と思った。
明美と幸せになるつもりなのか。
十年。
十年の間に伸一は彼女もできなかったのに、幹也は明美と愛を育み、結婚を決意したというのか。
許せなかった。
許してはいけなかった。
だから伸一は教えてやったのだ。十年前に比べるとずいぶん精神的に回復したように見える幹也に向けて。愛する明美が何をやったのかと。
一度心を壊した人間が、もう一度壊れるのは簡単だった。
十年の月日が過ぎたが、計画がもう一度動き出したと伸一は感じた。このまま東京に戻れば、幹也は明美を殺すだろうと。
幹也は日菜を虐めていた人間の居場所を尋ねてきた。――復讐するつもりなのだと伸一は確信する。
正直、理喜と聡也が生きようが死のうがどうでも良かったが、ここは邪魔をせず協力者のフリをすることにした伸一だ。殺しやすさから言えばまず真っ先にやられるのは明美だったのだから。
理喜と聡也の居場所は調べるまでもなかった。幹也が参加しなかった同窓会で近況は知っていたし、地元に残った二人は実家暮らしで、卒業アルバムの住所がそのまま使えたからだ。
(いいじゃないか)
明美が殺され、幹也が殺人犯として逮捕される。それはとても気の利いた結末だと伸一には感じられた。
「送っていこう」
まるで親友のように幹也へと提案する伸一だった。実際は単なる『敵』でしかないのだが。
「…………」
幹也からの反応はなかった。虚ろな目をしながら、雨だというのに傘も差さずに歩き出してしまう。
「おい、どこに行くんだ?」
駅ではない方向に向かう幹也を見て、仕方なく伸一も追いかける。あんな前後不覚の状態で車に轢かれでもしたらせっかく再始動しはじめた計画が台無しになってしまうからだ。
下鄕にある伸一の家から、崖を登って上鄕へ。
まず幹也が向かったのは学校。その後は肉屋、食堂、図書館と。学生時代に誰もが使ったことがあるような場所をめぐっている。
そこまで後を追ってみて、伸一は気づく。幹也は日菜との思い出の場所をめぐっているのだと。
(まったく、女々しいヤツだ)
心底呆れ果てる伸一だが、やはり途中で事故死でもされたら計画が狂ってしまうので追いかけるしかない。
そうして。
幹也は最後に城跡の公園にたどり着いた。
(そういえば)
伸一は思い出す。親の仕事の関係で日菜は幼い頃から昔話や伝説が好きで、よく伸一や幹也を連れてフィールドワークをやっていたなと。
特にこの城跡の祠に関する伝説を纏めた報告書はどこかで賞をもらったらしい。
女だてらにそんな研究家みたいなことをやっていたことも虐められた原因なのだろう。まったくおかしなヤツだったなと伸一はため息をつく。そういうのは男に任せておけばいいのだ。
そうして。
祠にたどり着いた幹也は、力尽きたように祠の前で両膝を突いた。
(何をやっているんだか)
もう帰ってしまおうかと考えた伸一だが、ふと思い直す。こんな可笑しな行動をしている人間なら、日菜のように自殺してしまってもおかしくはないなと。
(なにか、テキトーに励ましの言葉でも掛けておくか)
そう決めた伸一はゆっくりと幹也の元へ近づいていった。
雨は相変わらず降り続いている。ざぁざぁと。ざぁざぁと。
しかし、不思議なことに。そんな雨音に満たされる中、伸一は幹也の呟きを確かに聞いた。
「お願いします――」
幹也は祠に願っていた。明美の死を。他の連中の死を。
何をバカな、と伸一は呆れ果てる。そんな祠に頼ったところで願いなんて叶うはずがないだろうにと。あの愚かな日菜は本気にしていたようだが……。
ここはなんとか軌道修正させなければ。
意を決した伸一は幹也に優しく声を掛けた。
「幹也。こんなところにいたのか」
傘を差し出しつつ、いかにも心配していそうな顔を作る伸一。
「伸一……。俺は、祠に願った。明美の死を。アイツらの死を」
「あぁ、気持ちは分かる。俺だって同じだ。俺もアイツらの死を願っている」
「伸一……」
「だが、分かるだろう? 祠に願ったって何の意味もない。俺たちが行動しなければ復讐は成し遂げられない。さぁ、まずは明美を――」
「――聞こえないのか?」
ざぁざぁと。雨が降っている。
聞こえるのは雨音だけ。
雨音と、幹也の声だけだ。
「聞こえないって、何のことだ?」
「甲冑の音だ」
「甲冑?」
「あぁ、そうだ! 甲冑だ! 千鬼様が力を貸してくださるのだ! 俺の勝ちだ! 日菜の復讐は成し遂げられる! 千鬼様の手によって! はははははははははははっ!」
狂ったように高笑いをする幹也。
否。すでに狂ったのだろう。
(狂人が)
呆れ果てた伸一は幹也に見切りを付けた。もう、コイツに期待しても意味はないなと。
踵を返し、家へと帰る。まったくの無駄足だったと怒りを抱きながら。
――かちゃん、と。
背後からそんな音が聞こえた。
伸一は振り返るが、後ろにいるのは未だに笑い続ける幹也だけだった。
(なんだ、気のせいか)
深く考えることなく伸一はそのまま歩を進めた。
自分もまた、祠に願った形になったと知る由もなく。
◇
そうして。
幹也に見切りを付けた伸一だったが、事態は思わぬ方向へと転がっていった。
まず、東京で暮らす同級生から、明美が死んだと連絡が来た。
幹也がやったのかと思って詳しい話を聞いたが、自殺として処理されたそうだ。
電車に飛び込んでの自殺。身体はバラバラになり、特に首は何十メートル先までも飛ばされていたらしい。
(幹也に日菜の自殺を責め立てられ、自殺したか?)
原因はともかく、復讐が成し遂げられたのは喜ばしかった。
日菜の自殺の原因となったのはあと三人。直接虐めていた男子生徒二人と、担任でありながら日菜の訴えを無視し、虐めそのものをもみ消そうとした晴彦。
だが、伸一にとってはどうでもいいことだった。まぁ幹也の復讐を幼なじみとして応援してやってもいいかくらいのもので。明美がこれ以上ないほどの凄惨な死を迎えたのだから、他の人間がどうなろうと知ったことではなかったのだ。
日菜の月命日の日。幹也は日菜の墓参りをしたあとに伸一の家を訪ねてきた。
祠のおかげだと幹也は語った。
たしかに首は飛んでいたが、自殺を祠のおかげだと思うのはこじつけが過ぎるだろう。やはりまだコイツは狂ったままなのだなと伸一は呆れるしかなかった。
しかし、様子がおかしいなとなったのはおよそ一ヶ月後。理喜の死だった。理喜も伸一も地元に残っていたので、同級生が死んだとなれば話は入ってくるものなのだ。
なんでも登山中に落石が当たり、頭が潰れてしまったらしい。
目撃者が何人かいるので事故で間違いないそうだ。
明美の事故。
理喜の事故。
二人も事故死が続けば、何らかの意志が働いたのではないかと考えてしまうのが人間というものだ。
そして、その『意志』に心当たりがある伸一だ。理喜の場合は首が飛んだわけではないが、どうしても「首がなくなったのか……」と思わずにいられなかった。
そして数日後の月命日。またもや幹也が報告しにやって来た。嬉しそうに。狂気にまみれた目で。
まるで見て来たかのように理喜の最後を語る幹也。実際に見たのかもしれない。もしそうだとしたら登山経験のなかったはずの幹也が復讐のためだけに山に入ったことになるのだが……。インドア派の伸一にとっては信じられない執念であった。
これはマズいのではないか?
このままでは巻き込まれるのではないか?
どうしても不安になってしまう伸一だった。
(……いや、大丈夫。俺は何もしていないのだから。日菜を虐めてなんていない俺が、巻き込まれるはずがない)
そう自分に言い聞かせる伸一だった。
◇
その後は聡也も死に、清彦も死んだ。
特に清彦は甲子園の壮行会での自殺であり、その話題性からか全国ニュースでも何回か取り上げられていた。
野球部ではなかった幹也があの会場に入れたのは、伸一が手を回したからだ。元野球部であった伸一にも壮行会への招待状が来ており、それを幹也に横流ししたのだ。
もちろんバレたら面倒くさいことになりそうだったのだが、いざというときは「幹也に盗まれた」と証言するつもりだったのだ。あの幹也の様子を見れば、「そのくらいはやるだろう」と納得してもらえると確信していたからこそ。
多少のリスクを冒すことになろうとも、幹也に『味方』であると思ってもらえることを選んだのだ。
清彦の死によって、幹也の復讐は終わりを告げた。
終わったのだと伸一は一安心した。これでもう、自分が巻き込まれるかもしれないとヒヤヒヤする心配はなくなるなと。
当初の予定では幹也が殺人犯であると告発するつもりだった。だが、全てが自殺として処理され、殺人の痕跡もないのでそれは無理な話だろう。
しかし、まぁいいかと伸一は許すことにした。幹也が伸一から明美を奪ったことは許せないが、その明美も死んだのだ。それに、あの祠の力が本物なら幹也は近いうちに代償を支払うことになる。そうなれば伸一にとっての復讐も終わるのだから。
そうして迎えた日菜の月命日。幹也は毎度のことのように墓参りのあと伸一の元へやって来た。
(……なんだ?)
伸一はすぐにその違和感に気がついた。幹也の纏う雰囲気が穏やかなものになっていたのだ。一月前に会ったときには狂気にまみれていたというのに。
復讐が終わったから憑き物が落ちたのだろうか?
訝しむ伸一に、幹也は一風変わった探偵事務所について語り始めた。偶然見つけた崖道の途中の事務所。まだ若く美しい探偵。祠のことを調査するようになったことなど。
ひとしきり聞き終えた伸一の感想としては、騙されているのではないか? というものだった。
しかし、伸一は止めようとしなかった。幹也が騙されようが、不幸になろうが、ざまぁないなとしか思えなかったためだ。
そんなことよりも、問題は、祠についてだ。
幹也は探偵とやらと協力して、祠を破壊するか無力化するのを目指すのだという。
つまり、あれだけ都合良く祠の力を使っておきながら、祠をどうにかするつもりなのだ。
祠への代償はどうしたのか?
あれだけの人を殺しながら、代償無しでこれからも生き延びるつもりなのだろうか?
――許さない。
当たり障りのない答えを口にしながら、伸一は内心で怒りに震えていた。
――許さない。
出会ったばかりだという探偵について話す幹也の様子はどこか楽しげで。その『美人』だという探偵に悪くない感情を抱いていることが察せられた。
――許さない。
日菜から想いを寄せられ、結局は守れなかったくせに。
伸一から明美までをも奪ったくせに。自分だけは新しい女に乗り換えようというのか?
許さない。
許せない。
許せないのだから、殺すしかない。
そうして。
伸一が手近にあったガラス製の灰皿に手を伸ばしたところで――
ぎしり、と。
音がした。
まるでロープで何か重いものを吊り下げたかのような。まるで人間がロープで首を括ったかのような。そんな、あり得ないはずの音が確かに聞こえた。
思わず振り返る伸一。
ぶらり、と。
上履きを履いた足が、目の前で揺れた気がした。まるで時計の振り子のように。
そんなはずはないと伸一が首を左右に振ると、やはり足なんて存在しなかった。
疲れているのだろう。
いつ幹也からの復讐対象になるかと気が気でなかったから、疲労が蓄積している可能性はある。
こんな状態では襲いかかっても返り討ちになるかもしれない。そう判断した伸一は一旦復讐を諦めた。まだチャンスはあると自分に言い聞かせながら。
「……まぁいい。祠について調べるのか?」
「あぁ、そうなるな」
「なら、俺からも調べておこう」
「いいのか?」
「これでも歴史を生業にしているからな。地元の古い伝承やらなんやらも集まってくるんだ」
当たり障りのないやり取りをしてから伸一は幹也を見送った。こうすれば復讐が終わったあとも幹也はうちを尋ねてくるだろうし、そうなればまた殺すチャンスはあるからと。
◇
その後。
怪しげな探偵と一緒にあの祠をどうにかするという話になったらしく、幹也はよく伸一の元を尋ねてくるようになった。ずっと地元で暮らしている人間からの情報を欲しがっていたのだろう。
いつも、例の探偵が一緒にいた。
銀髪に和服という、どうにもふざけた格好をした女だ。
女の外見はともかく。いつも一緒にいられては殺せないではないかと伸一は歯がゆい思いをする。隙を見て襲いかかれば一人は倒せるかもしれないが、もう一人に逃げられる可能性が高い。伸一は幹也を殺したいが、伸一のせいで牢屋に入ったり人生を終わらせるのは嫌だったのだ。
幹也を殺すチャンスをうかがい、機を逸し続け……伸一は決意した。多少のリスクを冒しても復讐をしなければならないと。
今日は月命日。
だが、復讐が終わったのだから幹也が伸一の家にやって来る保証はない。そもそも幹也が地元に帰ってきていたのは日菜の墓参りが目的。日菜の復讐が終わった以上、墓参りに来なくなっても不思議ではなかった。
ここは様子を見てくるか。
そう決めた伸一は家を出て、例の探偵事務所を目指した。近くに駐車場はなさそうなので徒歩での移動だ。
そうして伸一は探偵事務所向かいの歩道に到着し、物陰に身を隠して様子をうかがい始めたのだが、
「……ちらりと見たことはあるが、何ともボロい建物だな」
よくぞあんな怪しい建物に入ろうとしたものだと伸一は呆れてしまう。
建物の中の様子は……残念ながら伺うことはできなさそうだ。
よく考えれば幹也に電話して予定を聞けば良かったかと思う伸一。しまったと彼が後悔していると、事務所から幹也と探偵が姿を現した。
「おっと」
急いで物陰に身を隠す伸一。探偵が何かを探すように辺りを見渡したためだ。まさか伸一が覗いていることに気づいたわけではないだろうが……。
「……なんだ、あれは?」
しばらく待ってから顔を出した伸一は眉をひそめてしまう。幹也が大きな藁人形のようなものを抱えていたためだ。頭がおかしくなったとは思ったが、あそこまで悪化していたのか?
「ま、狂っているのは元からか」
深く考えることなく二人を尾行する。わざわざ歩いて移動するのだから物好きなものだと伸一は呆れてしまうが、車移動だと追いかけられないので運が良かったと言えるだろう。
二人は何か話しながら歩いているようだったが、距離を取って追いかけている伸一にはもちろん聞こえない。だが、探偵からはどこか穏やかな空気が漂っていた。
あれはまるで恋人――いや、長年連れ添った夫婦のような雰囲気ではないか?
汚らわしい男だ。
日菜が死に、明美も死んだばかりだというのに、もう新しい女に手を出しているのだ。やはり殺さなければならない。殺すことこそが『正義』なのだ。
そうして。二人は祠のある城跡に到着した。
セミがうるさい。
耳がおかしくなりそうだ。
こんな場所に好き好んでいたくはないが、復讐のためだ。
肩掛けの鞄に手を伸ばす。
中に入っているのはガラス製の灰皿だ。伸一の家にあったもので一番殺傷能力が高そうなもの。ここから探偵事務所に戻れば幹也は探偵と別れ、駅に向かうはず。その途中で声を掛け、人気のないところに誘い出せば……。
城跡の奥にある祠。そこで二人は何かをしていたのだが……何をしているのかは分からなかった。後を追ってきたことがバレないよう距離を取っていたし、セミの鳴き声がうるさすぎたためだ。
あの藁人形を地面に置いたり、二人して倒れたり。何とも忙しく、頭のおかしいことをやっていた。
一通り暴れて満足したのか、二人は祠に背を向けて本丸へと戻ってきた。このまま城跡を出て探偵事務所に戻るのだろうと思っていたのだが。
「――おっと、忘れてた」
意味深な笑みを浮かべながら、探偵が伸一へと視線を移した。
まさか、ここにいることが分かっていたのか?
不気味な女だ、と伸一はなぜか背筋が寒くなる。
そんな不気味な女は、まるで伸一が全ての黒幕であるかのような『推理』を始めた。
ふざけるな、と伸一は激昂する。事実として何もしていないのに犯人扱いされたのだから当たり前だ。しかも「祠に願ったのは、幹也君だけなのかな?」などという世迷い言を。
…………。
ふと、思い至る伸一。
『あぁ、気持ちは分かる。俺だって同じだ。俺もアイツらの死を願っている』
幹也が祠に復讐を願ったあのとき。伸一は確かにそう口にした。
だが、あれはあくまで伸一に合わせただけだ。
死を願っていると発言したが、祠に願ったわけではない。理屈で考えればいくらでも弁明できる。
だが。
――祠に人間の理屈は通じるのだろうか?
討伐された鬼に。人の首を求めるバケモノに。そんなものが意味を成すのだろうか?
通じぬだろうと伸一は恐ろしくなった。
そんな彼の心を読んだかのように探偵が笑う。にっこりと。まるで感情の込められていない様子で。バケモノが人間のフリをしているかのように。
「ふむ、まぁ、そう信じたいならそれでいいけれど。どうやらちゃんと『自覚』したようだし」
ぱんっ、と。探偵が話を閉じるかのように両手を打ち鳴らした。そのまま幹也と一緒に城跡から出ていこうとする。
伸一とすれ違った直後。探偵は小さな小さな声で呟いた。
「――ほら、甲冑の音が聞こえるだろう? 自覚した今なら姿も見えるだろう?」
言いたいことだけ言い残し、探偵は幹也を伴って帰ってしまった。
何をバカなことを。
いくらここが城跡だからといって、甲冑の音なんて聞こえるはずがない。特に、今はうるさいほどにセミの鳴き声で満ち溢れているのだから――
――かちゃん、と。
その音が聞こえた。
背後。
幹也たちを見送ったばかりなので、伸一の背後には祠しかないはずだ。誰もいなかったはずだし、誰かが来たなら気づくはずだ。特に、甲冑を着込んだ人間など目立つのだから。
しかし、確かに聞こえた。
うるさいくらいにセミの鳴き声が響いていたというのに。そのセミの鳴き声は、消えていた。
止んだのではない。消えたのだ。
まるで世界から音が遮断されたかのように。
かちゃん。
かちゃん。
音がする。
甲冑の音だ。
鎧武者の歩く音だ。
そんなバカなことがあるか。
あり得ない。
あり得ないはずなのに、後ろには確かに気配を感じる。振り返ってはならないと本能が告げてくる。
かちゃん。
かちゃん、と。
音が近づいてくる。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろっ!
伸一は鞄の中に手を伸ばし、ガラス製の灰皿を握りしめた。そのまま振り向きざまに力一杯殴りつける。
伸一の背後には、甲冑武者がいた。
確かに、いる。
だというのに、灰皿は空を切った。絶対に当たる距離だったというのに。
「バケモノめ!」
身体の自由を取り戻した伸一は弾かれたように駆けだした。逃げるために。命を守るために。
最近は鍛えてないが、それでも元野球部で甲子園出場も決めたのだ。普通の会社員よりは早く走れる自信がある。
古城から出て、本丸へ。中心部には花壇と曲がりくねった道が整備されていたが、構うことなく真っ直ぐ駆け抜けようとする。
かちゃん。
音がする。
耳元で音がする。
こんなにも速く走っているのに。
甲冑を着込んだ人間が追いつけるはずがないのに。
かちゃん。かちゃんと。
音がする。
音がする。
音がする――
『――許さぬ』
伸一の首と頭が、後ろから鷲づかみされた。
人間ではあり得ない力だ。伸一が必死に抵抗しているのに、まるで意に介すことなく首が曲げられていく。正面から、右回りに。徐々に。徐々に。
為す術もなく伸一の首が真横を向けられたところで。
伸一は、気づいた。
少し離れた場所から、伸一たちを見つめる『女』の姿を。
懐かしい学生服。
何度も何度も夢に見た姿。
幼なじみで。ずっと近くにいて。いつの頃からか心引かれていた可愛い少女。
――葛城日菜。
伸一は、日菜のことが好きだった。
幼なじみで、ずっと昔から一緒にいて。日菜と同じものを楽しみたくて歴史の勉強を始めた。それが今では歴史研究家と呼ばれるまでになった。
全部、ぜんぶ、日菜のためだ。日菜と仲良くなりたかったからだ。
でも、日菜は幹也のことしか見ていなくて。伸一の想いになどまるで気づく様子がなかった。
負けたと思った。
負けを認めたくなかった。
そんな中で、伸一は明美に告白をした。
学校一の美少女なのに、野球しか能のない伸一に優しくしてくれたから。きっと明美も自分が好きだと思ったのだ。
それに、明美と付き合えば『勝てる』と思ったのだ。
日菜より美少女だったから。
日菜にも、幹也にも、勝てるはずだったのだ。
だというのに。
明美は、幹也のことが好きだった。
日菜も、幹也のことが好きだった。
たったそれだけのこと。
伸一は、男として、幹也に敗北した。
「なんで、」
伸一が呻く。首をねじ切られる恐怖と戦いながら。視線を日菜から逸らすことなく。
「なんで、俺じゃないんだよ!? 俺だって幼なじみじゃないか! 俺だって近くにいたじゃないか! お前の趣味にも付き合ってやったのに! 色んなところに行ったのに! なんでみんな幹也なんだよ!? どうして幹也ばかり好きになるんだよ!? 日菜も! 明美も! なんで、なんで、なんでっ!?」
負け犬の遠吠えも。
ちんけな男のプライドも。
まるで気にすることもなく。背後の甲冑男は幹也に告げた。
『――約定は、未だ果たされず』




