むかしばなし・2
その後、幹也は抜け殻のように日々を過ごしていた。
自殺した日菜の復讐だなんて、思いつきもしなかった。それができるほどの情熱すら失われていたのだ。
ただ、周囲が求めるままに勉強し、良い大学を目指した。
幼なじみの伸一は何度も何度も気に掛けてくれたし、日菜と同じクラスの友達だったという女子も気分転換に誘ってくれたのだが、幹也の心を癒やすことはなかった。
教室での自殺がセンセーショナルだったのか、日菜の死は大きく取り上げられた。学校前には連日マスコミが殺到し、しばらくはワイドショーでも定番の話題となった。
学校によってイジメ調査のための第三者委員会が発足されたり、日菜の担任だったことで清彦が野球部の指導から一時離れたりしたのだが……幹也にはどうでもいいことだった。
なぜなら日菜がいないから。
第三者委員会によって虐め認定されたところで、日菜は帰ってこない。
担任である清彦が不運な目に遭っても、日菜は帰ってこない。
日菜が帰ってこないのだから、何の意味もない。
――初恋だった。
幼い頃から、ずっと、ずっと、淡い恋心を抱き続けてきた。日菜がいなくなってからそれを強く自覚した。もう、何もかもが遅すぎるというのに……。
そうして抜け殻となった彼は求められるまま勉強を続け、求められるまま良い大学に進学し、求められるまま良い就職先を見つけ――日菜の死から逃げるように東京へと引っ越した。
地元に残った親友・伸一とは疎遠になってしまったので、高校時代からの付き合いが継続したのは日菜の友人だったという明美だけ。彼女も東京の大学に進学していたのだ。まるで幹也を追いかけるように。
幹也は自分でもどうかと思うくらい冷たくあしらい続けたのだが、明美はそんな幹也を献身的に支え、いつの間にか半分同棲しているような感じになっていた。
日菜の死から今年で十年。
自分たちもいい年だし、そろそろ結婚を考えてもいいかもしれない。
そんな考えを伸一に明かしたのは、今年の春のことだった。
詳しく話を聞きたい。そんな誘いを受けて幹也は数年ぶりに地元へと戻った。
幹也からの報告を聞いた伸一は難しい顔をして、そうして声を絞った。周りに聞こえることを恐れるように。
「幹也。お前は騙されている」
「騙されて……?」
突然何を言い出すんだと訝しんだ幹也だが、しかし伸一はそういう冗談を言う男ではない。
「なんだ一体? 何がどう騙されているんだ?」
「――葛城日菜」
伸一の言葉に、幹也の胸の鼓動が乱れた。
「覚えているだろう? 俺らが高校生の時に自殺した――」
「もちろんだ。忘れたことなんてない」
嘘だった。
最初の頃はともかく、今となっては思い出すことも少なくなり、しばらくの間完全に忘れていたこともある。いくら自殺現場を目の当たりにしたとはいえ、幹也はあのあと十年の時を生きた。新たな出会いもあったし、大学での勉強や仕事などのおかげですっかり心の傷も癒えていたのだ。
……癒えた一因には、献身的に支えてくれた明美の存在も大きかったのだが。
その明美が、幹也を騙している? どういうことだ?
訝しむ幹也に対して、伸一は衝撃の事実を伝えてきた。
「明美は、日菜を虐めていた首謀者の一人だ」
「……なんだって?」
頭が理解することを拒否した。
そんな幹也に追い打ちを掛けるように伸一がゆっくりと繰り返す。
「明美が、日菜を、虐めていたんだ」
「そんな、ばかな」
幹也の脳裏に明美と過ごした日々が蘇ってくる。日菜を失って無気力になっていた自分を気に掛け、受験勉強に打ち込んでいるときは黙って見守り、就職したあとは何度も手料理をごちそうしてくれた明美の姿が。あの笑顔が。楽しそうな声が。プロポーズしたら泣いて喜んでくれた姿が。走馬燈のように駆け巡った。
「う、嘘だ」
首を横に振って否定する幹也。
だが、伸一は容赦しなかった。
「俺の言葉を疑うのか? さすがに第三者委員会の報告書は手に入らなかったが、日菜と同じクラスだった人間から話を聞いたんだ。日菜を虐めていたのは明美。アイツに同調して虐めに荷担したのが理喜と聡也という同じクラスの男子生徒。そして担任のアイツも虐めを見て見ぬふりをしていたんだ。もうすぐ甲子園が近いから、問題になるのを恐れてな」
幹也の脳裏に日菜の担任・清彦の態度が蘇ってきた。十年前のあのとき、幹也を追い返したのは虐めの証拠がなかったからではなく、甲子園前に問題となるのを恐れたのだとしたら?
クラスメイトから虐められ、担任からは見て見ぬふりをされ……。なんという地獄だろうか。
唖然とする幹也にトドメを刺すように伸一がさらなる衝撃の事実を口にする。
「いいか? 明美は日菜を虐めていた。それも、お前を手に入れるためという下らない理由だ」
「……俺を?」
「そう、お前だ。明美はお前に惚れていたんだ。そして明美はお前と付き合いたかったが、お前を手に入れるためには日菜が邪魔だと感じたんだよ」
「そんな……そんな理由で……?」
確かに幹也は日菜に惚れていたが、表に出したことはなかったはずだ。いや、幹也が親しくしていた女子は日菜だけなので丸わかりだったかもしれないが。
心当たりはあった。
十年前。自殺する直前、日菜は幹也を怒鳴りつけてきた。誰のせいだと思っているのよ、と。
あれは事実を指摘していたのだ。
幹也が日菜に恋をしていたからこそ、幹也に恋をしている明美に虐められているのだと。
なんということだと幹也は自分で自分を責める。もっと日菜と真っ直ぐ向き合っていれば。相談に乗っていれば。あるいは明美を止めることもできたのに。
後悔の念。
それと同時に沸き立ってきたのは怒りだった。
自分勝手な理由で日菜を虐めた明美に対して。
ついには日菜を自殺に追い込んだ明美に対して。
そして、そんな明美と一緒になって虐めをした他の生徒たち。明美の虐めより甲子園出場を優先した担任……。
――復讐を。
幹也は決意した。
なんとしても復讐を成し遂げなければならないと。
そして、自分自身も罰を受ける必要がある。
なぜならば全ての原因は幹也だからだ。
幹也がいなければ、日菜は明美から虐められることはなかった。
幹也がいなければ、日菜は自殺する必要なんてなかった。
全部、ぜんぶ、幹也が悪いのだ。
悪い幹也は罰を受けなければならない。復讐を受けた後、必ずや――
そんな彼の決意を後押しするかのように。
――ぎしり、と。
その音が聞こえた。
家の中で聞こえるはずがない音だ。ロープが締まったというか、軋んだというか、何か重いものを吊り下げたというか。……十年前、確かに耳にした音だ。
嫌な予感がする。
そして確信する。
日菜だ。
日菜が自分の後ろにいるのだと。
懺悔。後悔。謝罪。そして期待。
様々な感情をない交ぜにしながら幹也は振り返った。もう一度、日菜に会えるのではないかと思いながら。たとえ首を吊った姿でもいいから、もう一度会って謝罪できるのではないかと……。
しかし。
背後には、誰もいなかった。
当然だ。
日菜はもう死んでしまったのだ。十年も前に死んでしまったのだ。たとえ幽霊になっていたとしても、見えるはずがない。これまでの人生で幹也が幽霊を見たことなどないのだから。いきなり都合よく見えるようになるはずがないのだ。
だが。
ぎしり、と。
再びその音が聞こえた。
そして確信する。
復讐を成し遂げれば。最後に幹也がこの命で罪を償えば。日菜はもう一度、自分の前に現れてくれる。
幹也は、確信したのだ。
「……幹也?」
急に後ろを振り向いた幹也に訝しげな目を向ける伸一。そんな彼のことなど気にも留めずに幹也は考える。どうすれば復讐を成し遂げられるかと。
幸いにして、明美とは半同棲状態なので居場所は分かる。清彦も同じ学校で教師を続けているならば会えるかもしれない。だが、他の二人に関しては名前しか分からない状態だった。
いや、もしかしたらと幹也は思いつく。
「伸一。日菜を虐めてたってヤツらの居場所、分かるか?」
「……あぁ、分かる」
やはりそうか、と幹也は推測が確信に変わる。
伸一もまた復讐の機会をうかがっていたのだろう。幼なじみの仇を討つために。だからこそ幹也にも真実を話したのだ。復讐のための協力者――いいや、同志として幹也を引きずり込むために。
そうして。
幹也は伸一から『敵』の居場所を教えられたのだった。




