この結婚は運命かもしれない
翌朝、セリムの部屋を掃除する使用人が嬉しそうに使用人部屋へ入っていった。しかしサマンサのベッドの敷布に純潔を失った証がなく、使用人達は話し合った後、サマンサの部屋へと向かった。サマンサは朝食後に敷布を完成させるべく機織り部屋に籠っていたので、サマンサの部屋にはポーラしかいない。
使用人達に迫られ、ポーラは今朝のサマンサとの会話の内容を伝える。口付けが嬉しかった事、これから毎晩一緒に寝る事にした事。使用人達は一緒に寝たらやる事があるだろうという視線をポーラに向けたが、ポーラは二人ともロマンチストなのでもう少し時間がかかると思うとしか言えなかった。早くすればいいのにとポーラも思っているが、恋愛を楽しもうとしている主にそのような事は言えなかった。
サマンサがアスランへ嫁いで二ヶ月が過ぎた。二人は手を繋いで市場を歩いていた。また誘拐されたら怖いから手を繋いでほしいという彼女の願いを彼は聞き入れ、市場の人達に冷やかされても彼は彼女が誰かに連れ去られたら困るからと真面目に答えていた。それが嫌だから妻を家に囲っておくのがこの国の普通だと言われれば、彼女と一緒に過ごす時間を無駄にしたくないと答え、市場の人は半ば呆れながらこの二人を受け入れていた。
ケィティ料理店には臨時休業の札がかかっていた。しかしそれを気にせずセリムは扉を開ける。中には店主とアイシャ、そしてハサンとテオがいた。ハサンとテオはテーブルを挟んで向かい合っている。
「お爺様、久しぶり」
サマンサはテオの隣に腰掛けて挨拶をする。セリムもハサンの隣に腰掛けた。
「あぁ、久しぶり。アスランで暮らせそうか?」
「準備して貰った例の件は必要なさそうよ」
サマンサはテオに微笑んだ。テオは少し残念そうにする。
「そうか。サマンサは儂の筋書き通りにはならないか」
「私が王宮へ戻る事が筋書き通りだったの?」
「いや、ケィティで儂達と一緒に暮らすのが筋書きだった」
セリムは驚きの表情をテオに向けた。一日千秋の思いでサマンサを待っていた事をテオは知っている。テオはセリムではなくアイシャの方を見る。
「アイシャさん。メフメト様はお元気ですか?」
アイシャは少し御待ち下さいと言って店の奥の方へ消えていった。サマンサはテオが様付で呼んだ事が気にかかり、それと同時に誘拐された時に聞いたミライの言葉を思い出した。
「セリムさん、ミライが言っていたアイシャという名は彼女なの?」
「あぁ、今日はその話をサマンサにしようと思ってここへ連れて来た」
奥からアイシャが幼い男の子を連れて戻ってきた。サマンサは眠っているその男の子を見つめた。
「この子がオルハン殿下とアイシャの子供なのね」
アイシャは驚いた表情をサマンサに向けた後、セリムに様子を窺うような視線を送る。セリムは困ったような表情をアイシャに返した。
「サマンサは勘がいいから説明しなくても察してしまう。本当はこれから話すつもりだったのだけれどね」
そうしてセリムはサマンサに、アイシャが元々はオルハン付の使用人だった事、二人の間には恋愛感情があった事、しかしタラールに知られて命を狙われる可能性があった為関係は内密だった事、オルハンが亡くなった時アイシャは妊娠四ヶ月だったがハサンに言われるがまま別館を出てこの店に身を寄せた事。
「オルハン殿下は自分の死が近い事を悟っていたの?」
「いつ何が起こるかわからない状況でしたので、私はオルハン殿下から遺書を渡されていました。内容が変わる度に交換をして、そして亡くなった時に手元にあった遺書に従い行動をしました」
カエドと繋がっていた大臣がオルハンに毒を盛った事も自白した。ハサンはタラールが怪しいと思ってたので彼を疑っていなかったのだ。オルハンはその大臣がカエドと繋がっている事を知っていたので口封じをされたのだが、オルハンはその話を誰にもしていなかった。
「儂もオルハン殿下からアイシャさんの話は聞いていた。彼女の子供を自分の子供として育てるには寿命が足りないからケィティへ匿って貰えないかと」
サマンサは納得いかない表情をテオに向けた。ケィティへ匿うのなら、ここにアイシャがいるのはおかしい。
「私がここに残りたいと言ったのです。オルハン殿下が命を削ってでも願った平和をこの目で見たいと。それでこの店の住居部分で出産をし、子供を奥様に見て貰いながらガラス工房で仕事を始めました」
この場にはいないが店主にはアスラン人の妻がいる。メフメトは表向き店主夫妻の子供として育てられていた。妻が常に家の奥にいる国柄だからこそ、誰が母親なのか家族以外は基本わからない。またテオの指示を受けたケィティ人の産婆がメフメトを取り上げている。伝染病にかかったのは店主夫妻の子供であり、その時自分の息子の面倒を見る為にアイシャは店を休んでいたのだ。
「メフメト様が次の王位を継ぐ土台さえ整えば、セリム殿下は自由になる。それならサマンサと二人でケィティへ来たらいい、というのが儂の筋書きだ」
テオは笑顔をサマンサに向けた。彼女は呆れた表情にならないように何とか耐える。彼女は王太子妃や王妃の肩書にはあまり興味はないが、目の前の幼い男の子に国の将来を任せて自分達だけケィティへ行くという判断は出来なかった。和睦はまだ成ったばかりで、完全な平和はもう少し先になるだろう。使用人に罪をなすりつけたエイメンは未だに王宮の敷地内に暮らしている。
「いずれこの子が王位を継ぐのをセリムさんが認めるのなら私はそれで構わない。でも今はその時期ではないわ。アスランは最近膿を出したばかり。この子の為にもセリムさんがやるべき事はまだあると思う」
「無駄に責任感が強いのは母親譲りか」
テオは寂しそうに呟いた。彼の商売は順調であるが、一人娘はレヴィ王家へ嫁ぎ既にこの世にいない。二人の孫は王族なので簡単に会えない。それで何とか孫娘と近くに暮らせないかと思案して、この結婚話を進めた部分もあったのだ。
「お母様の事はあまり覚えていないからわからないわ」
「そうか。だがいつでもケィティに来ていい。後継の者には伝えてあるから暮らし難い事はないだろう」
「気持ちだけ貰っておくわ。ここはレヴィ王宮より暮らしやすいの。義姉達がいない事が少し寂しいけれど、それは覚悟していた事だから」
テオは自分の脇に置いていた鞄の中から大きめの封筒をサマンサに差し出した。
「レヴィ王宮からだ。複数入っていると思う。返事はその封筒の中に入れてくれたら、儂が三日後別館まで引き取りに行こう」
「ありがとう。ナタリーお姉様は無事男児を出産された?」
「何故男児と断定をする」
「甥だと思うからよ」
「その自信の根拠がわからないが、母子ともに健康のようだ。詳細は手紙にあるだろう」
サマンサは微笑んで頷いた。レヴィ王国の未来がひとまず安泰と知って安心したのだ。手紙は別館に戻ってからゆっくりと読もうと思った。
「それでお爺様は手紙配達の為だけに来たわけではないのでしょう?」
「あぁ。結婚祝いを持ってきた」
そう言ってテオは鞄から今度は小さな箱を取り出すと、サマンサとセリムの間に置いた。
「こちらに結婚指輪の概念がない事は重々承知ですが、出来れば身に着けて頂けないでしょうか」
テオはセリムをまっすぐ見つめた。セリムはテオに了解を貰ってから箱を開けると指輪が二つ入っていた。それにはサマンサが使用している百合の紋章をあしらった模様が刻まれていた。
「お爺様、これはどうしたの?」
「レヴィで育ったサマンサは結婚指輪をしたいのではないかと思って、知り合いの職人にお願いした物だ」
サマンサの左手薬指にはセリムから貰った婚約指輪が輝いている。彼女が戸惑っているとセリムが手を差し出してきた。彼女がおずおずと左手を出すと彼は婚約指輪を抜き取り、テオが用意した結婚指輪をはめた。彼女は微笑むと彼に手を差し出す。彼も笑顔でそれに応えると、彼女は結婚指輪をはめた。それを見てテオが拍手をすると、その場にいた全員が拍手をする。二人は嬉しそうながらどこか恥ずかしげな表情で微笑みあった。
サマンサは部屋で結婚指輪を眺めていた。運命かどうか正直確信は今でも持てない。それでもレヴィ王宮に居た頃とも、アスラン王国へ嫁いできた当初とも気持ちは変わっている。いつかこの結婚は運命だと言える日が来る、そのように感じていた。
ベッドには常にセリムの枕が置かれるようになっていて、カバーはサマンサが織った物と暗黙の了解になっていた。彼女は今でも午前中は織物をしており色々な柄を織っている。
セリムは部屋に入るとサマンサの隣に腰掛ける。彼はテーブルの上に置かれた封筒の束を見つめた。
「結構な手紙の量だね」
「家族からだけよ。姪の絵も入っていたのだけど可愛いの」
そう言ってサマンサは封筒から一枚の紙を取り出す。それは生まれた弟を描いた絵だ。それを見てセリムも微笑む。
「レヴィ王宮は皆仲がよさそうだね」
「えぇ。もし可能ならセリムさんを連れて行きたいわ。いい人ばかりなのよ」
「メフメトがある程度育って、アスラン内部が落ち着いたら行こう」
「いいの?」
セリムが受け入れてくれるとは思わず、サマンサは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「あぁ。父は兄の遺児がいたら王太子にしたいと思っている。勿論メフメトの事は黙っているから知らないけれど、言えば王太子をメフメトにするだろう。今日の話を聞いて、ケィティで過ごすのも悪くないと思えた」
「放蕩息子というわけにはいかないから、商人にならないといけなくても?」
サマンサが楽しそうに微笑むと、セリムも笑顔を浮かべる。
「商才はないと思うから、警備員でお願いしたい」
「確かにセリムさんにはそちらの方が似合いそう。でももう少し先の話ね」
「あぁ」
セリムは笑顔で頷いた。サマンサも頷くと彼の手を握った。
「長い間待ってくれてありがとう。今夜、私をセリムさんの妻にして」
サマンサは上目遣いでセリムを見た。彼は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに微笑むと頷く。彼女も微笑むと腕を彼の首に回す。彼も彼女の脇の下と膝裏に腕を入れると、彼女を抱き上げベッドへと運んだ。
本編は以上です。ここまで読んで下さりありがとうございました。




