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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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九日目の夜

 サマンサは敷布を綺麗に折り畳んでテーブルの上に置いていた。敷布には刺繍を入れる気はなかったのだが、ポーラがサマンサ様の織った物とわかる印を入れるべきだと言うので、端の方に小さく刺繍を施した。寝台に敷けば間違いなく見えないが、洗濯する者にわかれば十分だと思っていた。

 使用人が声を掛けた後、セリムが部屋に入ってきた。彼は迷わずサマンサの隣に腰掛ける。ポーラがいる日中は向かい、誰もいない夜は隣と決めたようだ。

「敷布を織ったの。敷布を交換する使用人に渡そうか迷ったのだけど、この前は手渡し出来なかったから」

 サマンサも夜は言葉を砕く事に決めた。この時間だけはセリムが王太子である事を忘れて、寛いでほしかったのだ。

 サマンサが差し出した敷布をセリムは嬉しそうに受け取った。

「ありがとう。この刺繍はサマンサの封印の模様だよね?」

「えぇ、レヴィ王女サマンサの模様。他に思いつかなくて」

「サマンサの名前代わりの物だろう? この国でも使い続けて問題ない」

「ありがとう」

 アスラン王国では封蝋を使う習慣がないが、サマンサは嫁ぐ時に蝋と印璽を持ってきた。母国へ手紙を書く際に使用する為である。エイメンへ返事をしたためた時には封蝋せず、アスラン方式である膠で封をした。

「明日の昼食は大丈夫?」

「えぇ。家政婦長にも話は通したから大丈夫」

 あくまでもセリムに内緒で出かける体面を整える為、サマンサは家政婦長にだけ真実を話して協力をお願いした。セリムがいない時に勝手に彼女が出かけると知って、ミライがどう動くのかも知りたかったのだ。

「もしエイメンが妙な事をしたら何をしても構わない」

「問題になるような事はないと思うわ」

 サマンサは微笑んだ。手を握られるかもしれないが、それは別段問題にはならないだろう。万が一そのような事になった場合、無関心で対応するかわざと恥らってみせるかを迷うくらいだ。彼女はエイメンに男性として魅力を一切感じていない。ただ昼食に招待する早さを考えて、何もないと楽観的に思う事は出来なかった。

「いや、でも」

 言いかけてセリムはそこで黙った。サマンサはそんな彼に冷たい視線を送る。

「言葉にしてもらわないとわからないわ」

 サマンサの冷たい視線と声色にセリムは観念したように口を開く。

「その、サマンサはこうして隣に座るのも平気なのだろう? 勧められてエイメンの横に座り、問題になるような事が何もないとは言い切れないと言うか」

「この国にソファーはここにしかないのだから、その状況はありえないと思うけれど」

「ソファーはなくとも長椅子はある。食事には使わないが、個人の部屋にはあるかもしれない」

「流石にエイメン殿下の私室へは入らないわ。そのような場所に誘われて、私がついていくと思われているのは心外ね」

 サマンサはわざと不満気にそう言った。セリムは慌てる。

「いや、思っていないよ。だけどエイメンが強引に何をするかわからないし」

「その為に護衛の女性を連れて行くの。何かあれば彼女がエイメン殿下をどうにかしてくれると思うわ」

 サマンサはそんなに不安なら強引にでも抱けばいいのに思う反面、実際抱かれそうになったら力ずくで抵抗してしまう気がした。今はまだ心の準備が出来ていない。政略結婚と割り切っていた初日と違い、今はセリムと夫婦として向き合いたい。気持ちが彼に動く前に身体を繋げてしまうと、もう心が動かなくなりそうで嫌だった。

「セリム殿下が普段私室で使われている精油を少し分けて貰えないかしら」

 突然のサマンサの申し出にセリムは困惑の表情を浮かべた。彼女はにっこりと微笑む。

「明日の朝からこの部屋で焚いて香りを身に纏いたいの。同じ香りがすれば多少の牽制にはなると思うから」

「だけどサマンサはいつもジャスミンの香りがする」

「これは家政婦長が毎晩塗りこんでくれるもので、私が選んだものではないの」

 家政婦長と言う言葉を聞き、セリムは少し寂しそうな顔をする。

「そう、彼女が」

 一人で納得したような表情のセリムに、サマンサは問うような視線を投げかける。

「サマンサはその香りは嫌い?」

「いいえ、心が落ち着く香りで好きだわ」

「それならよかった。俺の部屋で使用しているのもジャスミンだよ」

 サマンサはジャスミンと言われて少し考えた。セリムの部屋の扉は二度開けているにもかかわらず、ジャスミンの香りがしたような気がしなかったのだ。

「俺は香炉を使っていない。寝る時に布に精油を垂らして枕元に置いているだけ。だから俺から香りはしないと思う」

「だけど何か香りがするのだけれど」

 そう言ってサマンサは顔をセリムの首へと近付ける。突然の行動に彼は身体を強張らせた。それを気にせず彼女は彼の匂いを嗅ぐと彼から離れた。

「石鹸の香りかしら?」

「せ、石鹸なら用意されたものを使っているから家政婦長に何の香りかを聞いて」

 動揺している様子のセリムに、サマンサは不思議そうな表情を向ける。

「どうかした?」

「いや、何も」

 サマンサがセリムに近付いたので、彼女の香りが彼の鼻孔をくすぐった。彼は鼓動が高鳴って全く落ち着かないのに、彼女は何も気にしていない。この温度差に彼は落胆していた。

「セリムさんがジャスミン好きなら、私もこのままで行くわ」

「あぁ」

 ここで会話が途切れた。セリムは視線を伏せているが立ち上がる様子はないものの、話し出す雰囲気もない。サマンサは何か会話を続けようと考え、ひとつ思い出した。

「セリムさんは何色が好き?」

「急に何?」

「今度は格子柄の布を織ろうと思っているからセリムさんの好きな色で織りたいの」

「今まで色に拘った事がない」

 まさかの答えにサマンサは困った。常に白い服を着ているのだから拘っていないと言われてしまえば、納得するほかはない。

「だけど、何色か選ぶのならこの刺繍糸の色がいい」

 セリムはサマンサに貰った敷布の刺繍を指しながらそう答えた。その刺繍糸は深紫色である。

「深紫色の敷布で落ち着いて就寝出来るかしら?」

「目を開けて寝る訳ではないから大丈夫だと思うけれど」

 確かにそうかもしれないが、やはり敷布は白が一番無難ではないかとサマンサには思えてきた。それにレヴィでは紫は高貴な色であった。ただアスランは織物を輸出産業としているので、紫は特別な色ではないかもしれない。

「家政婦長と相談してみるわ」

「あぁ。サマンサが織った物なら何色でもいいよ」

 サマンサは微笑みながら頷いた。セリムも頷くと再び部屋に静寂が広がる。彼女は何故こんなにも会話が続かないのかと悩んだ。夫婦ならばどういう会話をするものなのか、彼女にはわからなかった。

「どうかした?」

「セリムさんに寛げる空間を提供したいのに、上手く出来なくてごめんなさい」

「謝らないで。俺はこうして一緒の時間を共有出来るだけでも嬉しいから」

「それだけでいいの?」

「ずっと会えなかったサマンサが今ここにいるだけでも十分だ。それにゆっくり一緒の時間を重ねて、いつか夫婦になれるように努力をするのは俺の方だから」

「私も至らない所は色々とあると思うから、気になる所は言って」

 サマンサの言葉にセリムは優しく微笑む。

「サマンサはそのままでいいよ。こうして敷布も織ってくれて本当に嬉しい」

 アスラン王国では女性が家族の為に機織りをする事、それを服へと加工する事は日常である。しかし王族など地位のある女性はそのような事をしなくても商人から布を買い、職人が服へと仕立てる。サマンサは興味本位で始めただけだが、セリムはそれでも嬉しかった。

「次は図書館で借りてきた本を読んだ後でいいよ。まだ読み終わっていないだろうから」

「そうね。本を長く借りるのも悪いからそうするわ」

「それと、明日は本当に無理しなくてもいいから」

「え?」

「身の危険を感じたらすぐに逃げて。本当はサマンサに何かあると困るから行かせるのは嫌だけど、サマンサにやりたい事があるのだろうから、その気持ちは尊重したい。でも俺はエイメンと仲良くしてこなかったから目的もよくわからないし、何も出来なくてごめん」

 サマンサは微笑みながら首を小さく横に振った。

「ありがとう。その気持ちが嬉しいわ。エイメン殿下がセリムさんの事をどう思っていて、今後どう振る舞うつもりなのか聞いたらもう会わないから心配しないで」

「俺の為?」

「自惚れないで、私の為よ」

「そっか。そうだよね」

 セリムが微笑んだのでサマンサも微笑む。彼が自分を信じてくれたからこそ出来る事というのは彼女もわかっている。自分の為ではあるけれど、彼の為にもなると信じての事。だけどそう言う気にはなれなかった。ただ、彼に心配を掛けないようにエイメン殿下との距離はしっかり取らなければと思った。

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