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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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27/58

七日目の夜

 サマンサはソファーに腰掛けながら夜空を見つめていた。レヴィから見える星空とは違う気がしたが、元々星に詳しくないのでよくはわからない。けれど月の位置は高いように思えた。

 サマンサは夕食の後、話があるので必ず部屋に来て下さいと、セリムに念押しをしていた。昼に来なかったのだから夜も来ないかもしれないと思っての行動だったが、彼の表情が強張ったので何か違う事を考えているかもしれない。それでも彼は逃げ出す事はない、そう思うのに部屋の外からなかなか声はかからなかった。

 流石に暗くなってからあの扉を叩くのは抵抗があるとサマンサが思っていると、やっと声がかかった。彼女は返事をし、扉が開いてセリムが入ってくる。彼の表情は硬い。彼女は自分の隣を指した。

「こちらへ」

 サマンサは極力落ち着いた声を出したつもりだった。しかしセリムにはそれがとても冷えた声に聞こえた。気持ちの問題なのだろうが、彼は戸惑うような表情を浮かべた。それを気にせず彼女はもう一度同じ言葉を繰り返す。彼は意を決したように彼女の隣に腰掛けた。

「これから私は王女ではなくただの女性として話そうと思うの。だから敬語も敬称も使わないわ。いいかしら?」

 サマンサの言葉が意外だったのか、セリムは理解が一瞬遅れた。少し間抜けな顔をした後、意味を理解して頷く。彼女も笑顔で頷いた。

「昨日は嫌な態度を取ってしまってごめんなさい」

 サマンサは素直に謝り、頭を下げた。セリムは慌てたように首を横に振る。

「いや、サマンサは悪くない。こちらも悪かった。頭を上げて」

 サマンサはまだセリムが素の態度ではないと感じながら、その不満を表に出さないように頭を上げた。今夜は苛立たないと決めた。何とか彼の素を引き出して本音を聞きたかった。その為に彼女は攻めるような言葉を選んだ。

「ところで心を通わせたいと初日に言っていたけれど、具体的にどういう努力をしているの?」

 セリムは突然予想していなかった言葉を向けられ、困ったような表情をした。サマンサはにっこりと微笑む。

「私は運命というものが何か知りたくて、わざわざここまで嫁いできたの。それを知るにはあなたの努力が必要だと思うのだけど、違う?」

 セリムはどこか嫌そうな表情をした。

「私の言い方が気に入らないのなら、はっきり言ってくれないかしら。私は喧嘩をしたくて話しているわけではないの。あなたの本心を知りたいから話しているのよ」

「あなた、は嫌だ。落ち着かない」

「夫婦ならそれが普通だと思ったのだけれど、嫌なら要望に応えるわ」

 ケィティ料理店でセリムは明らかに言い淀んだ。絶対に呼んで欲しい呼び方があるとサマンサは思っていた。しかしいくら彼女でもそれが何かはわからず、とりあえずあなたにしてみたのだが、どうやら違うらしい。

「セリムさん、と呼んで欲しい」

 サマンサはセリムの要望が意外で問うような表情を向けた。彼ははにかむ。

「顔合わせをした翌日、俺の名前を聞いてくれた時にそう呼んでくれただろう? あれが嬉しくて」

 当時二人の間には通訳のハサンが入ってケィティ語で話していた。ケィティ語には様に当たる言葉がない。必要な時だけレヴィ語の様の発音をそのまま拝借するのである。しかしハサンは彼女の事をサマンサさんと呼びかけていた事から、それを知らないのだろうと思い、咄嗟にそう呼んだだけだった。だからアスラン語ではなくケィティ語の発音になる。

「セリムさん、がいいの?」

 サマンサが確認するように言うと、セリムは嬉しそうに微笑んで頷く。彼女はその笑顔が胸に響いた。もっと長くその笑顔を見ていたい衝動に駆られた。

「わかったわ。公式な場以外ではそう呼ぶ事にする。それでセリムさんは私とどうなりたいの? 夫婦になりたくないの?」

「夫婦になりたいし、心も通わせたい。だけどどうしたらいいのかわからない」

「わからない?」

「こんなに近くに座っているだけで心が落ち着かない。何も考えられない」

「でも今日は料理店で隣に座っていたでしょう?」

「あれは椅子が離れていたし、他にも人がいたから」

 どういう理屈だと思いながら、サマンサは不満をあらわにしないように優しく微笑む。

「それならセリムさんの心が落ち着くまで待つわ。少しすれば慣れるでしょう?」

 セリムは明らかに動揺した。サマンサはそれを見逃さない。彼女は攻め過ぎたかと思い、懸命にどうするべきかを考えた。

「サマンサは俺の事をどうとも思っていないから平気なんだよ」

「男性とのこの距離感に私は慣れているだけだと思うけれど」

 セリムの表情が困惑に染まる。言い方が間違っていたとサマンサは思ったものの、冷静に微笑む。

「レヴィとアスランでは風習が違うわ。恋人や夫婦が手を繋ぐ、腕を組む事はごく自然な事。このような距離感で話す事もよくある事なの」

「サマンサには恋人がいたという事?」

「第一王女に手を出そうなどという勇気のある男性はレヴィにはいなかったわ」

 サマンサは貴族男性から人気があり、舞踏会では多数の男性から声を掛けられて踊る事はよくあった。しかし好意を持って近付いてきた男性も、彼女が軽くあしらえばそこまでだ。彼女を本気で口説こうとする人はいなかった。それほどレヴィ国内では王女の肩書が大きすぎたのである。

 一方セリムはサマンサの言っている意味が理解出来なかった。風習が違うので仕方がないのだが、恋人でもない男性と同じソファーに腰掛けるというのが、どうしても納得出来なかった。

「恋人でもない人とこんなに近くに腰掛けた事があるの?」

「ソファーに腰掛けたという事なら兄だけかもしれない。普段はテーブルを挟んだもの。だけどセリムさんとはテーブルを挟みたくなかったの」

 舞踏会で踊るなら距離感は更に縮むのだが、そもそもアスラン王国には舞踏会がないので、サマンサは上手く説明出来る自信がなかった。ただソファーで隣に男性を座らせた事はない。

「私はセリムさんとの距離を縮めたいの」

 サマンサはセリムの手を取った。彼は瞬時に手を引こうとしたが、それを予測していた彼女は拒否するように力強く握りしめる。指先が触れる程度で逃げられていては、いつまでも夫婦になれない。

「は、離して」

「本当に嫌なら強引にどうぞ。セリムさんなら振り解けるでしょう?」

 王女と元軍人。力の差など歴然である。セリムは困った表情のまま俯いた。

「本当にわからない。サマンサは何故急にこんな事を……」

「私はセリムさんの素が見たいの。王太子ではなく、素の方を」

 セリムは不思議そうにサマンサを見る。

「王位に執着していないのなら王太子らしく振舞うのは疲れるでしょう? そもそも王太子らしくとは何? 誰が決めたの?」

 サマンサは王太子妃らしく振舞う為にポーラに聞いてもらったが、結局答えは見つからなかった。それなら王太子も枠にはめる必要などないのではと思っていた。

「セリムさんはセリムさんらしい王太子になればいいのよ。それでも、どうしても王太子が嫌だと言うのならエイメン殿下に譲ってしまえばいいわ。私も王太子妃の肩書に固執していないから」

「いや、でもサマンサはレヴィ王女だから」

「そうね。私はレヴィ王女よ。だけど祖父は一介の商人だから商人の孫娘でもあるの。国同士の難しい話は大臣にでも任せておけばいいわ」

 テオが逃げ道を用意してくれているのだから、きっと国家間は政略結婚がどうなろうと条約が破棄される事はないだろうと、サマンサは判断していた。そもそもレヴィにとっては大して益のない話。彼女を責める人は母国にはいないだろうから、セリムを連れてレヴィで暮らす事も出来なくはないだろうとさえ思っていた。

「サマンサは王太子でない俺でも一緒にいてくれるの?」

「それはこれからのセリムさん次第だわ。運命を感じれば一生傍にいるでしょうし、運命を感じなければレヴィに帰るかもしれない」

 サマンサは微笑んだ。セリムは少し視線を泳がせた後、彼女をじっと見つめた。

「わかった。でも一旦王太子である事を受け入れた以上、簡単に放棄するつもりはない。サマンサがいてくれるのなら頑張れる」

「無理はしなくてもいいけれど」

「無理はしてないよ。ありがとう、サマンサ」

 セリムは嬉しそうに微笑んだ。サマンサもつられて微笑む。

「サマンサとどう接するのがいいのか悩んでいた。だけど、きっとその悩みがサマンサを苛立たせてしまったんだよね。妙に着飾ったりしない方がいいのかな」

「それと女神の領域というのも思い違いだから考え直して。触れてはいけないなんておかしいわ」

 セリムはずっと手を握られていた事を思い出す。しかしもう振り払おうとは思えなかった。

「そうだね。サマンサは女神みたいに綺麗だけど、見守ると言うよりは一緒に歩く道を探してくれそうな気がする」

「本当は横に並びたい所だけど、そこはアスラン風に一歩下がるわ」

 サマンサの言葉にセリムは笑った。

「サマンサが気にならないのなら横でいいよ。ただ、この国の常識から外れる事をすると周囲がどう思うかわからなくて、何も知らない者がサマンサを傷付けるのが嫌だった。二人で出かける事をハサンが良く思ってないのは感じているし」

「手を繋ぐのが嫌だったわけではないの?」

 セリムが頷いたので、サマンサは握りしめていた手を離し繋ぎ直した。ダンスをする時とは違う状況に、彼女は心の奥がくすぐったかった。

「これは王都では目立ちそうだから、やめておくわ」

「そうしてくれると助かる。ハサンの小言は辛いから」

 サマンサとセリムは一緒に笑った。彼女はやっと夫婦生活を始められると思えた。運命がどういうものなのかも案外すぐにわかるかもしれない、そんな予感がした。

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