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この結婚は運命か否か  作者: 樫本 紗樹
本編

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26/58

甘味と苦味

 サマンサはきりのいい所まで敷布を織り、部屋に戻ってきていた。そしてレヴィから持ち込んでいた箱を開け、婚約中にセリムから貰った手紙を広げていた。先程家政婦長と話していて最初の数通は自分で読んでいないという当たり前の事に気付き、目を通したいと思ったのだ。箱に手紙を入れていたのは決して保管しようとしていたわけではなく、捨てるのは悪いからと箱に入れていてそのまま持ってきただけだった。

 最初に貰った手紙はサマンサの記憶と少し内容が違った。青年が思いのまま書きなぐったようなものだった。彼女は貰った順に手紙を開けていく。そして途中、丁度彼女が自分で辞書を片手に読み始めた時から、王太子が婚約者に向けての内容に変わっていた。言葉遣いもここから丁寧になり、時候の挨拶も冒頭に書かれるようになった。彼は不器用で態度を簡単に切り替えられないと言っていたから、この辺りから王太子としてより意識し始めたのかもしれない。だが、彼女は最初の方の飾らない文章の方が好印象だった。丁寧な手紙でも彼の好意は汲み取れるのだが、飾らない方が直接心に響く気がした。

 サマンサは手紙を全て箱に戻すとポーラにしまうように指示をした。いつもセリムが部屋を訪れる時間は過ぎている。来るのを待っていてもいいが、果たして来るだろうか。今日はどこへ出かけると特に約束をしていない。

 サマンサは立ち上がるとセリムの部屋へと繋がる扉の前まで歩き、一旦立ち止まった。いつでも入ってきていいとは言っていたけれど、勝手に入るならゼフラと変わらない。彼女は扉を開けずにノックをした。

「え? うん?」

 扉の向こうからセリムの間抜けな声が聞こえてきた。多分ノックされるとは思ってもいなかったのだろう。

「開けても宜しいでしょうか」

「いや、少し待って。私が開けるから」

 別に扉くらい自分で開けられるのにと思いながらも、サマンサは大人しく開けてくれるのを待った。暫くしてゆっくり扉が開く。

「どうかした?」

「行きたい場所があるのです。セリム殿下の都合が悪いようでしたら、メルトに護衛をお願いしたいのですが」

 そう言いながらもサマンサは一人で出かける気はない。こう言えばセリムは一緒に来てくれると思っていた。案の定、彼は慌てたように首を横に振る。

「悪い。少し書類を見ていて。何処へでも私が案内をするよ」

「もしかしてお仕事中でしたか? それでしたら終わるのを待ちますけれど」

「大丈夫。行きたい場所は徒歩で行ける範囲だろうか?」

「えぇ。それではお願いします」

 サマンサは謝ろうと思っていたのだが、セリムは特に怒っている雰囲気がない。ここは一旦出かけて、それから出方を考えようと思った。



 セリムとサマンサは市場の奥にあるケィティ料理店へと足を運んでいた。彼女はレヴィでは紅茶と共に菓子を食べるのが習慣だったのだが、アスランにはそもそも菓子がない。言葉を覚える時にタルトやクッキーに該当する言葉がない時点で諦めてはいたのだが、少し苛立ってしまったのは甘い物が不足しているのも関係している気がしたので探しに来たのである。

「いらっしゃいませ」

 そう声を掛けた女性が驚いた表情をした。サマンサも驚いた。先日ガラス工房で出会ったアイシャだったのである。アイシャは微笑むとカウンター席へと案内をしてくれた。

「ここでも働いているの?」

「私はここのご主人から部屋を借りている関係で手伝っているのです」

「掛け持ちして大変ね」

「いえ。どちらもいい職場なので楽しくさせてもらっています」

 サマンサは話しながら店内に漂う香りが何なのか気になった。母国では感じた事のないものである。

「いらっしゃいませ。セリム様、サマンサ様」

 アイシャがカウンターの中へ入ると、店主と思われる男性が奥から出てきて二人に声を掛けた。サマンサはまだ名乗っていないのにと思ったが、ここはケィティ料理店。祖父だろうと思い至った。

「はじめまして。もしかしてここは祖父も来るお店なのかしら」

「えぇ。テオさんには御贔屓にして頂いていますよ。何にされますか?」

「甘い物が食べたいの。“タルト”や“クッキー”は置いてあるかしら?」

 サマンサはアスラン語にない言葉はケィティ語で店主に伝えた。横に座っていたセリムはその言葉がわからず、不思議そうな顔をしている。

「申し訳ないのですが置いていないのですよ。ガレットで宜しければお作りします」

「ガレットは主食でしょう?」

「中に甘い物を入れればいいのです」

 サマンサは甘いガレットを食べた事がなかったが、それ以外がないのなら仕方がないと諦めた。

「甘いならそれでいいわ」

「セリム様はいつもの珈琲で宜しいですか?」

「あぁ」

「珈琲? それがこの店に漂っている香りの元かしら」

「そうですね。サマンサ様にもお出ししましょうか」

「えぇ、宜しく」

 店主は頷くとアイシャに指示を出す。彼女は注文を受ける前から珈琲の準備を済ませており、小さな専用の鍋を火にかけた。

「アスランでは甘い物は食べないのですか?」

「先程言っていたものは、どういうものを指しているの?」

「焼き菓子です。小麦粉と卵と砂糖と、詳しくはわからないのですが、それらを混ぜて焼くのです」

 菓子全般のアスラン語がなく、またサマンサも作った事があるわけではないので工程は知らない。ざっくりとした説明でわかるだろうかと不安でいると、セリムは残念そうな表情を浮かべていた。

「アスランでは小麦があまり取れないから、それは簡単に作れないかもしれない」

 アスランでの主食は米だった。レヴィでは小麦も米もソバもとれるので好きな物を食べる。だから米とガレットしか出てこない食事でも、パンが嫌いなのだろうと思っていただけだった。ちなみにパンはアスラン語でもレヴィ語でも同じ発音をする。

「パンを食べる事もないのですね」

「小麦が全く取れないわけではない。ただ、王宮に納められる分しかないから市民には行き渡らない。王宮でも小麦はパンにしてしまうから、それ以外の加工は難しい」

 二人が暫く雑談をしていると店主がカップを差し出した。サマンサはその香りに思わず顔を綻ばせる。

「とてもいい香り。どのような味がするのかしら」

「この珈琲は少し酸味が強いですね」

 酸味と聞いてサマンサは檸檬を入れた紅茶のような物だろうと思いながら一口飲んだ。そして予想していなかった苦味に思わず眉を顰めてカップを置いた。

「酸味ではなくて苦味でしょう?」

「この品種は苦みが少ないのですが、サマンサ様は苦手でしたか。ガレットを甘く作りますのでもう少しお待ち下さい」

 店主は再び作業へと戻った。隣ではセリムが珈琲を美味しそうに飲んでいる。

「セリム殿下は苦くないのですか」

「この苦味と酸味が丁度良く、美味しいと思っている」

「珈琲がお好きなのですね」

「あぁ、たまに飲みに来る。別館では珈琲を淹れられる人間がいないから」

 オルハンが珈琲を飲む習慣がなかった為、別館の人間で珈琲を淹れる事が出来る人間はいない。セリムも毎日飲むわけではないので、飲みたくなったら店に足を運んでいた。珈琲はケィティにはなくアスランの飲み物なのだが、店主は珈琲に魅了されてケィティから移住して店を開いた。だからここはケィティ料理店でありながら、知る人ぞ知る美味しい珈琲店でもある。

「それではセリム殿下が飲みに来られる時は誘って下さい。香りは好きなので、何度か飲めば良さがわかるようになるかもしれません」

「無理しなくてもいいよ」

「無理はしていません」

 サマンサは微笑んだ。彼女はこの国に馴染めるようにセリムの好む物を自分も受け入れたいと思っていた。その思いが伝わったのか彼も微笑む。

「お待たせ致しました」

 アイシャがサマンサの前にガレットを乗せた皿を差し出した。ガレットの中央には苺が綺麗に並べられ粉砂糖がかけられており、横に生クリームが添えてあった。

「とても美味しそう。いただきます」

 サマンサは笑顔でガレットを口に運んだ。久し振りの甘味に嬉しそうに微笑む。

「美味しい。これなら紅茶にも合いそう」

「珈琲ではなくて紅茶をお出しすればよかったですね」

「紅茶は侍女が淹れてくれるから、ここでしか飲めない珈琲でいいわ」

 サマンサはそう言って珈琲を飲む。口の中に甘さが残っているからか先程のように苦味はあまり気にならなかった。何度か飲むうちに、こちらの方が好きになれるかもしれない。ポーラが頑張ってくれているのはわかるのだが、やはり水が違うせいかレヴィで飲んでいた時より紅茶の味は劣っていた。

「ところで王太子が気軽に外食をしても宜しいのですか」

「もし王位に就いたら王宮から気軽に出られなくなる。咎められない今のうちに出来るだけ歩いておきたいと思っている。それに私は王太子だと名乗らないから、どこかの坊ちゃんぐらいにしか思われていない」

 サマンサは挨拶をした時、市民からの呼びかけはセリム様だったと思い出した。セリム殿下と呼びかけたのは国営の工場内の人々だけだ。着ている物から裕福なのはわかるが、彼は威厳とは無縁そうな笑顔で対応する。

「呼び方を変えた方が良かったですか?」

「別に身分を隠しているわけではない。ここの店主は私の事を知っている。でもそうだな……」

 そこで言い淀むとセリムは珈琲を口に運んだ。サマンサが言葉の続きを強請るような視線を送ると、彼は苦笑いを浮かべた。

「いや、サマンサの好きにしてくれていい」

 サマンサは出来るだけ不機嫌に聞こえないように注意しながらわかりましたと答えると、ガレットを口に運んだ。だが先程まで甘くて美味しく感じたガレットが何だか味気なく思えた。珈琲を飲めば苦味しか感じない。しかしここで彼に物を言うのは流石に憚られる。彼女は黙々と食べながら、今夜きちんと自分の意見を伝えようと思った。

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