682手間
ワシが見つけたイノシシは土の下に居る虫や根でも食べているのだろうか、前足で穴を掘っては顔を突っ込んではもぐもぐと口を動かすことに夢中でワシに気付いた様子は無い。
そのイノシシは子牛を覆い隠せそうなほどの大きさで、体には歴戦の猛者と言うのが相応しい傷跡が無数に刻まれ、雄イノシシの特徴である牙は大人でも一刺しで貫きそうなほど鋭く長大だ。
豚鬼ですら鎧袖一触で屠りそうなイノシシは、自分に敵などは居ないとばかりに周囲を警戒することなく威風堂々とした姿で過ごしている。
「ふむ、如何にも森の主といった風体じゃな。いきなり大物に出会うとはワシは運が良いのじゃ」
その傷だらけの姿から、今まで幾人もの狩人や貴族、猟犬や野生の獣たちを退けてきたのだろう事が分る。しかし、このワシに見つかったのが運の尽き、不敗伝説……があるかどうかは知らないが、その命数尽きるのは必定なのだ。
「ちょうど横を向いておるし心臓に一矢じゃな……」
枝の上から落ちないようバランスを取りながら、腕に通していた弓を外し矢を番える。
ふぅ、と長く息を吐き弦を胸の前まで引くと矢尻にほんの僅かマナを込め、イノシシ目掛け矢を射かける。パンッと小気味いい音と共に殆ど落ちることなくイノシシへと飛んだ矢は、狙い過たず心臓目掛け突き刺さると思った瞬間、野生の勘かそれとも今までの経験か、イノシシは僅かに身を捩り心臓に直撃するはずだった矢を回避する。しかし子牛を超えるその巨体、身を捩った程度では矢そのものを避けることは出来ず心臓への一矢を免れたものの太い血管を傷つけたのだろう、矢が刺さった場所から血が噴水のように噴き出ている。
「ふむ、まだ立つとは中々あっぱれじゃな」
素人目にも致命傷とまではいかずともあからさまな重傷を負ったにもかかわらずまだ立っており、さらぶは矢が刺さった感覚でワシの位置を探り出すという中々高度な芸当までやってのけ、ワシとイノシシの間にはまだまだ距離があるがイノシシはしっかりとワシの姿を見据えている。
「あっぱれあっぱれ、なればこそさっくりとトドメを刺してやらねばのぉ」
弓を腕に通すと枝から飛び降り、疾風の如く木々の間をすり抜けイノシシの下へと駆けるとその勢いのままイノシシの脳天へと拳を叩きつける。
ふらりふらりと立つだけで精一杯だったイノシシは避けようとするが、それはただよろけただけの様にも見え、ワシの拳を躱すこと能わずぐしゃりと何かが潰れる感触が手に伝わると、イノシシは糸の切れた人形のようにその場へと崩れ落ちる。
「んむ、見事な獲物じゃ。さてと、早速血抜きを……あぁ~」
これほどの獲物さっさと血抜きをして持って帰ろうと、早速作業に移ろうとして血抜きの際、獲物を吊り下げるロープを騎士たちに持たせたままだったなと思い出す。
彼らは騎士らしく、律義にさっきの場所で待っているだろうしと、ひょいとイノシシの腹の下に手を入れて、ワシの頭の上に掲げるように持ち上げて、そのまますたすたとフレデリックらが待つ場所へと戻るのだった……。




