私がやらねば誰がやる
ぽかぽかとした陽気の中、フレーバーティーを透明なカップへと注いでいく。ふわりと香る華やかな紅茶を、お嬢様は大層気に入っていた。注ぎ終わった瞬間、緩やかに開く花に感動したのだと零したことがある。
今日もいつものお茶会だったのだが、この男の様子がおかしい。何かを話してはぼんやりとし、私と目でも合いそうものなら途端に視線を逸らす。
そのおかしな行動は私だけでなくお嬢様も気付き、戸惑いながらもトーヤ=シノノメに声をかけはじめたのだ。
「あの、トーヤ様」
「……」
「トーヤ様?」
「えっ? シルフィア、どうした?」
「もしかして、勉学でお疲れなのではありませんか? 長く滞在されているとはいえ、トーヤ様は客人。まだ慣れぬことも多いでしょう」
「気を遣わせちゃったな。悪い、シルフィア。今日はお言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言った奴の言葉に、大いに私は驚いてしまった。たとえ体調が悪かったとしても、彼はこのお茶会だけは最後まで座っていたのだ。お嬢様への下心が見え隠れしているのが気に食わないが、そこだけは評価してもいいとさえ思い始めていたところだった。
それが、今日はどうだろう。
あっさりと引き下がり、お嬢様に背を向けて歩き出している。切なそうな目で彼の後姿を見つめる彼女に、ぎゅっと胸を締め付けられる思いだ。唇を少し噛みながら、もどかしそうにするお嬢様の顔を見て私は決心した。
この顔を曇らせてはならない、私がやらねば誰がやる。
* * *
「と、いうわけでしてそこをどいてください、レフカ様」
「ふっ、お断りします。彼の聖域は私が死守すると決めているのですよ!」
「何が聖域ですか。彼の私室でしょう」
「とにかく、何人たりとも入らせるなとおっしゃったのですよ。ええ、この私に! このレフカ=リオーセにね!」
フハハハハハ、と高笑いまでされて正直、ここで心が挫けそうだ。
私室に戻ったはずだと思って菓子折り持って訪ねてくれば、何故かそこにはレフカ様が門番のように立ちはだかっていたのだ。ぎらりと眼鏡の底から見える鋭い眼光に、周りの者たちは決して関わってはいけないと正常な判断で避けていく。私だって、お嬢様のことがなければ見て見ぬふりでもして廊下を突っ切っていたところだ。
だが、残念なことにそうはいかない。私は彼の元気がない理由を突き止め、お嬢様に笑顔を取り戻してほしいのだ。あんな歯がゆい表情を見せられて、心穏やかにお世話なんてできそうにない。
関わるのなんて真っ平御免だったが、とにかく事情を説明して部屋へと入らせてもらおうとしたがこの様だ。どうやらトーヤ=シノノメ自身が誰にも会いたくないと言って、レフカ様を使ったらしい。人を使うのがうまいこと、なんて嫌味の一つでも言ってやりたいが、奴の判断は的確だ。それが功を奏して、彼の私室は今や堅固な城のようだった。
突破口が見当たらず、かといって、すごすごと引き下がるわけにもいかない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、背後からのんびりとした声がかけられた。
「よお、珍しい組み合わせだな。ソフィー、レフカ様」
「ルドルフさん!」
「るっ、ルドルフ……」
レフカ様の声が若干上ずった気がして振り返ると、彼の綺麗な顔が崩れ、今にもルドルフさんへ食って掛かりそうな雰囲気だ。声をかけたルドルフさんは気にした様子もなく、何やってんだよ、などと私の傍まで歩み寄る。城の中でも格好を崩しているのは、私が知る限りこの人だけだろう。よく誰も注意しなかったな、と思いながら説明をしようとしたところで、レフカ様の方が先に口火を切った。
食って掛かりそうと思った私の想像は正しかったらしく、ルドルフさんの胸倉を掴んだ状態で話し始めたのだった。
「よくも、おめおめと私の前に出てくるとは……! あなたは物覚えが悪いんですか!?」
「そう怒るなよ、レフカ様。しっかし、今度は客人に心酔とはふらふらし過ぎじゃないのか、レフカ様」
「様などつけるな、わざとらしい! 嫌味にしか聞こえん!」
「そりゃ悪かったよ、レフカ様」
「本当にお前は昔からっ」
「あのう! 盛り上がっているところすみませんが、そこをどいてはくれませんか? 私はトーヤ=シノノメ様に用事があるのです」
そう言い切ると、ルドルフさんは心情を察したのかレフカ様の首に腕を回し、そのままずるずるとどこかへ引っ張っていく。その光景はいかにも、聞き分けのない子供を母親が引っ張っている状況と酷似していた。負けじとレフカ様がいろいろと文句を言っているが、ルドルフさんは最終的に鳩尾に一発入れて黙らせていた。にこりと笑顔を浮かべたまま、ぐっと親指をこちらへと突き立てている。
次に起きたとき、私と会ってからの記憶がなくなっていますように、とひっそり願いながらトーヤ=シノノメの部屋へとノックをしてから入らせてもらった。
入った途端、まずは部屋の大きさに驚かされる。異世界からの客人用の部屋というのは、滅多なことで立ち入りできるわけではない。片手で数えるくらいにしか入ったことはなく、下手をすればお嬢様の部屋より広いのだからこの国にとってどれだけ重要な人物なのかうかがい知れる。豪勢なテーブルに椅子、備え付けられた大きな窓からは城下が全て見渡せることができる。天蓋付きのベッドに横たわる人影を見つけて、ゆっくりと近づいた。
彼も、その足音で誰かがいるのだと気が付いたのだろう。
気だるそうな声を出しながらも、内容は拒絶のものであった。
「悪いが、帰ってくれ。人と会う気分じゃないんだ」
「そうは参りません。理由を聞くまで、動きませんよ」
「ソフィー!?」
がばりと勢いよく起き上がり、奴が私の姿を捉えた途端、複雑な顔をして俯き始めた。嫌味の一つでも覚悟していたのだが、この状態を見るに原因は私にあったらしい。しかし、思い返してみても心当たりがありすぎて困る。どんなことを言われようとも仕方ないと割り切って、真っ向から話してもらおうと近くにあった椅子を借りて座り込んだ。
言葉通り、理由を聞くまでここからは動かない。
トーヤ=シノノメは私の決意が固いと知るや否や、小さく溜息をつき始めた。
「放っておけよ」
「そういうわけにもいきません。私の事情です」
「……シルフィアのだろ。ソフィーじゃない、シルフィアだ」
「何を、根拠に」
「前に言わなかったか? そういうのに聡い民族なんだ、って」
人の心の中でも読んでいるのかと思うくらい、彼は核心を突いてくる。どんな感情を内に秘めていても、彼には分かってしまうのだろう。彼が住んでいたという、ニホンというのはすごい国に違いない。ここまで他人の心の機微を察してしまうなんて、不思議な民族だ。
また、トーヤ=シノノメの言った言葉に私は肯定も否定もせず、早速本題に入らせてもらった。ここでお嬢様のことを話すつもりはない、私のお節介での行動だ。それに、お嬢様から打ち明けないと意味を為さない想いなのだ。人の心を勝手に代弁するなんて、薄っぺらい想いにしかならないだろう。だからこそ、ここで話すべきではないと判断させてもらった。
彼は話し始める私をじっと見つめながら、黙って耳を傾けていたのだった。
「様子がおかしいのは明白なんです。私はあなたのように心は読めませんが、いつもと違うことは分かっているつもりです。そして、原因が私にあることも察しました。ですから、はっきりとおっしゃってください。改善できるところは、改善したいと思います。……多分」
「多分かよ」
「全てを直せるほど、器用じゃないんです」
正直に告げると、彼はぷっと小さく噴出してから口を開き始めた。
「これは、俺が勝手にへこんだだけだ。お前のせいでもあるが、簡単な問題じゃないんだよ」
「では話して下さい。話していくうちに、解決の糸口が見つかるかもしれません」
「見つからねえよ。どうしようもないんだから」
「諦めてどうするんですか。粘った方が勝ちだと言うでしょう」
「言わねーよ」
「じゃあ、何でもいいからおっしゃってください。一応、これでもあなたより年上なんです。アドバイスくらいできるはずですよ」
三歳差ではあるけれど、されど三年だ。それだけの経験はしてきたと思えるし、何より、この男の元気がないとお嬢様も一緒に元気がなくなる。
お嬢様の笑顔のため、ここは私が一肌脱ぐべきだろう。
そう意気込む私に、彼は渋々と言った様子で口を割り始めたのだった。
「それじゃあ、教えてくれよ。好きな奴に振られるのが確実なんだけど、それを振り向かせる方法」
「はっ?」
「分かるんだろ、ソフィー」
恋愛経験値ゼロの私に対する嫌味か、こいつは。
うんうんと唸って考えてみるも、それって相手に気持ちがないんだから無理なんじゃないの、と一言で終わってしまう。困ったと思っていると、不意に友達であるエレナの顔が浮かんできた。そういえば、彼女は恋多き女性でもある。あっちのイケメン、こっちのイケメンと彼女の恋愛論を必死に思い出してみる。ぼんやりと聞き流すんじゃなかった、と反省していると、つい最近聞いたことが頭の中で蘇った。
これしかないと思いながら、トーヤ=シノノメの綺麗な顔を見て言葉にし始める。
「とにかく押すことです。それだけ整っていらっしゃるのだから、それで振り向かない女性はいないでしょう。もういっそのこと、押し倒したらどうですか」
「……へえ」
「なっ、なんですか、その返事は」
「恋なんてしないと言っていた割に、過激なことを言うもんだと感心したんだよ」
「受け売りです! 第一、あなただってわざと私が答えにくいことをっ」
「ソフィー」
いきなり手を取られ、彼の方へと重心が傾いた。そのまま激突すると思われた体はくるりと回され、背中に柔らかい感触を受ける。驚いて目を開けると、見慣れない景色が飛び込んできて更に、自分の置かれた状況が把握できずにいた。
すると、ぎしりとベッドが音を立て、私に覆いかぶさるようにトーヤ=シノノメがのしかかってきた。逃げ出そうにも手首はベッドに縫い付けるようにして押さえつけられ、質の悪い冗談だと奴を思い切り睨んだ。
トーヤ=シノノメは困ったように、ともすれば泣きそうに笑いながら薄い唇を開き始めた。
「押し倒しても、お前は俺に振り向いてくれねえな」
夜のような目がゆっくりと細められていき、男性にしては綺麗すぎる顔がゆっくりと私の方へと被さっていったのだった。