夜の丘での再会
カイトは怒りに震えた。
こんな腐った脱走兵に殺されるという屈辱、そして護る者のいなくなったマリィを今後待ち受ける恥辱、それらが一瞬のうちに頭をよぎった為であった。
するとカイトの身体が勝手に突然動いた。カイトは素早く横方向に走り出した。
「死ね! 」
叫び声と共に「ダーン! 」と銃声が響いた。カイトは思わず目を瞑る。だが銃弾は外れたようでカイトはそのまま近くの草叢に飛び込んだ。ヤポン軍の兵士が使用している一般的な小銃であれば弾を撃つには都度ボルトアクションが必要な為連射は出来ないのだ。最初の一発さえ逃れることが出来ればどうにかなるというカイトの賭けは吉と出た。カイトは草叢の中で息を潜めながら拳銃をホルスターから抜いた。するとその男はこんなことを言い始めた。
「おい! 出てこねえとその女を撃っちまうぞ! 嫌なら大人しく出てこい! 」
こいつは兵士としてだけではなく人間としても最低だとカイトはつくづく思った。その男がマリィを撃つ前に倒さなくてはならない。だがカイトはその男がそう簡単にマリィを撃つとは思えなかった。普通であればこちらが根負けして姿を現すのを相手は待つ筈だとカイトは考え暗闇の草叢の中で目を凝らした、相手の位置を確認する為に。だがその時だった。
「ダーン! 」
銃声が響き渡った。それを聞いてカイトは思わず「嘘だろ! 」と叫びながら反射的に草叢を飛び出すと地面に敷かれた毛布の上に横たわるマリィのもとに駆け寄った。だが彼女は撃たれていなかった。放たれた銃弾がたまたま外れただけなのかもしれないと思いカイトはマリィの身体に覆いかぶさって彼女の身体を次に放たれる銃弾から護ろうとした。すると少し離れた草叢からガサッと音がして一人のヤポン陸軍の制服を着た男が地面に倒れ込んだ。
「……何だ? 」
どうやらカイトが脱走兵だと思っていた男は他の何者かに撃たれたらしかった。するとヒルマン語による会話が聞こえてきてその後カイトの目の前に三人の男が現れた。三人のうち一人の男は一般的なヤポン人より遥かに背が高く他の二人はそれよりやや小さめで皆肌の色が浅黒い。言語から彼らはヒルマン人だろうとカイトは思った。ヒルマンの人々が敗走するヤポン軍を見限り反乱を起こしている現実から考えれば彼らにとってカイトは間違いなく敵である。案の定彼らのうち一番背の高い男がカイトに銃口を向けてゆっくり近づいてきた。残りの二人は撃ったヤポン兵を調べて何事かを話しあっている。どうやら善意で窮地を救ってくれた訳では無さそうであった。彼らはヤポン人を全て殺そうとしているのかもしれないがマリィを置いて逃げることは出来ない、そう思ったカイトはここで観念した。そして彼らが良心を持っていることに一縷の望みを掛けてこうベイ国語で話しかけた。
「重病人がいるのだ。せめて彼女だけでも助けてやってほしい」
すると背の高いリーダー格らしき男がカイトの顔を懐中電灯で照らした。するとその男は突然ヤポン語で叫んだ。
「カイトさん! 」
その声に聞き覚えはあったがカイトは最初それが誰か分からなかった。するとその男が続けてヤポン語でこう叫んだ。
「私です! インギーです! 」
「えっ!? インギー!? 」
それはマリィの家で働いていた召使のインギーであった。インギーは驚いた表情でこう言った。
「カイトさん、何故こんなところに……? 」
インギーにはカイトを敵視するような素振りはなかった。カイトは正直に言った。
「ロングーンからオートバイで逃げてきたんだ。マリィさんと一緒に」
するとインギーは懐中電灯で毛布の上に横たわるマリィの顔を照らした。マリィは高熱の為大汗を掻いたまま目を閉じて苦しそうな表情をしている。
「OH! マリィさん! 」
インギーは両手で顔を覆うと涙声になった。カイトはインギーにこう言った。
「インギー、彼女はマラリアか赤痢に冒されている可能性がある」
インギーは長い間スガイヤ家で雇われていた召使だ。先ほどマリィを見た時の態度からインギーがスガイヤ一家やマリィに対して悪い感情を持っているとはカイトには思えなかった。カイトは自分の言葉によってインギーがどういう反応をするのかを見守った。するとインギーはこう言った。
「カイトさん、私はスガイヤさんには色んなことをして頂きました。そのスガイヤさんの娘であるマリィさんが苦しんでいるのを助けない訳にはいきません。一緒に来て下さい」
「あ、ありがとう! 」
カイトは思わずインギーの言葉にほろっと涙ぐんだ。こんな世の中でも人種を超えた義理と人情が人の心に残っていること自体を嬉しく思ったのだ。
「カイトさん、これから街へ向かいます。これを着て下さい」
インギーはそう言ってカイトにポンチョを手渡すとそれを羽織るように言った。ヤポン陸軍の制服を着て街を彷徨いては目立つらしい。カイトは言われた通りポンチョを羽織ると背中にマリィを背負いインギーの後ろに続いて丘を下り始めた。オートバイはインギーが連れている二人が押している。小雨の降る夜の丘を一行は下りつつ進んだ。




