◆◆◆悪魔の嘘②
「ラン君、君は何も間違っていないよ。私だったら、上司には何も告げずにそのままにする」
予想外の返答。カフィンはランチュウの両肩に手を置いた。彼女の表情は今日も慈愛に満ちているのに、瞳の奥には蛇のような漆色の圧を感じる。彼はそんな視線を逸らす事ができない。
「人はなぜ正直に生きるべきか分かる?」
「し、信頼を失わないようにする…たメ?」
――ランチュウは回らない頭で、正解っぽいものを捻りだした。
「そうだね。じゃあ、どうして人は信頼を積む必要があるか分かる?」
「長いこと一緒に…円滑に仕事を進めるため…」
しかし、彼女は静かに首を横に振った。ランチュウは慌てて次の回答を探そうとする。が、頭が全然回らない。それを見たカフィンは静かに、けれどハッキリと告げた。
「どうしても吐く必要のある嘘を、完璧に信じ込ませるためよ」
「…!?」
それは彼にとって、完全に予想から外れた答えだった。
「いい、ラン君? 嘘という技術自体は悪いものじゃない。詐欺や横領…嘘で人を誑かすことが悪なの」
「誑かすことが…悪」
「人生には他人に情報を開示できない瞬間なんて無限にあるの。今回だってそう、ラン君はちゃんと魔法陣のテストを行なったのでしょう? なら、何も問題はないじゃない」
「で、でモ…」
「ここで正直に話したら、貴方の信用は地に落ちる。そして既に多忙な上司の仕事は更に増える。皆、そんなことを望んでいるの?」
「…そ、それは」
カフィンはランチュウの手を優しく包み込んだ。いつの間にか彼の手は汗ばみ、酷く強張っている。
「大人は都度、柔軟に動く必要があるの。本当に上司のことを思うなら…ラン君が取るべき行動は分かるよね?」
彼は黙ったまま、小さくうなづいた。それを見た彼女は優しく微笑み、魔導書から一枚の魔法陣を取り出す。
「誰だってミスはするから、大丈夫。ほら、今日もリラクゼーションの魔法をかけてあげるからね?」
ランチュウは魔法を受け入れた。この魔法を浴びるのは何度目になるだろうか。少しカフィンのことを怖いと感じた自分がいた。しかし、どんなに落ち込んでいる時も、この瞬間だけは気持ちが凪いでいくのを感じている。最近は妙にカリカリしてしまうことが多い。彼女がいなければ駄目なのだ。
「ほらラン君、目を瞑りましょうね~」
彼は促されるまま瞳を閉じる。ランチュウは気が付かなかった…彼女の手がワークツリーの社員証に伸びていることを。
とある魔力の残滓_五月二日(金)
「社員証が…ない?」
社員証の紛失は紛れもなくインシデント。それくらいは新入社員にだって分かる。本来は即座に上司に報告すべきところだが…恐らく昨日のバーに忘れてきたのだろう。今日は総務に「社員証を寮に忘れた」と嘘をつき、仮のものを取得した。仮の社員証を首から下げた時、昨日のカフィンの言葉を思い返していた。
「大人は都度、柔軟に動く必要があるの。本当に上司のことを思うなら…ラン君が取るべき行動は分かるよね?」
――これでいい、はず。
定時後、すぐにバーを訪れたが社員証の落し物はなかった…。ダメ元で彼女のところを訪ねたところ――
「ランチュウ君! これ、昨日忘れていったでしょう?」
「僕の社員証!」
「君が帰った後、椅子の下に落ちていたの。次に会った時に渡そうと思って、持っていたんだけど…」
「ありがとウ、助かりましタ…」
ランチュウはついでにいつもの魔法をかけてもらうと、会議室を後にした。「見つかってよかっタ」…彼の心は安堵でいっぱいである。そんなランチュウを笑顔で見送るカフィン。すると彼女の後ろから、一人の男が姿を現した。
「コフィ、あれが次のターゲットかね?」
「ええ、ご注文の通り…どこにでもいる一般的な社会人です。まあ少しプライドが高くて、面倒なところはありますが、被検体としては問題ありませんよ」
「それで構わない。実験は今月のサミダレ討伐会に合わせて行うこととなった」
「承知致しました。既に下準備は終えております」
そう言って彼女は一枚の魔法陣を取り出した。これはランチュウの務める会社――ワークツリーの魔法陣である。その名は【氷盾を生成する魔法】。ランチュウが上司の確認を取らずに、テストを終えた魔法だ。その魔法陣が今は彼女の手元にあった。彼女にとって、開発途中の魔法を違法コピーし、内容を書き換えることなど造作もない。水色の輝きが、コフィ・カフィンの顔を不気味に照らし出していた。




