062_三人の距離
「チェック項目を作成しました」
お昼過ぎに一度リストを提出した。ガスタは私の差し出した紙をその場で確認すると苦々しい顔でプリントを突き返してきた。いつも以上に機嫌の悪い姑先輩が私の前に立ちはだかる……。
「やり直し。もう少し自分の頭で考えてから持って来い」
「す、すみません…」
その後も三回レビューしてもらったが、結果は全て同じだった。私なりに内容を変えてはいるのだが、ガスタの表情は険しいまま。自分の修正が「正しいのか」すら分かっていない。これは今の私の力では無理な課題なのでは…?
周囲を見てもそうだ。アセロラはアキニレから丁寧に指示を貰っているし、スワローとランチュウもミラーからビシビシ指導を受けている。ちなみにミラーは仕事も研修も効率重視なので、答えやヒントは割とすぐにくれる。(その代わり同じ失敗は許されないが)
アドバイスもなしに突き返してくるのはガスタだけである…。七転八倒している間に一日が終わってしまった。
リンの日記_四月二十九日(火)
今日も引き続きチェック項目の洗い出しに苦戦する私。参考書をあちこち調べても使えそうな情報は見つからない。最早打つ手も思いつかず…私は自分の担当する魔法陣のプログラムをぼんやり眺めていた。
「おい、君終わったのか?」
姑先輩ことガスタが絡んできた。
「ま、まだ考え中です」
「君の未熟な頭で考えても答えは出ないだろう」
「え……」
だ、だって先輩が「もっと考えろ」って言うから…とも言えず、一人でゴニョニョしているとガスタは私の隣の席に腰を下ろした。
「で、何をどこまでやったんだ?」
「参考書に使えそうな知識がないか探していました…」
「結果は?」
「すみません、何もわかってません」
ガスタは露骨にため息を吐いてみせた。
「もっと視野を広く持ちなさいよ。これは学校のお勉強じゃないんだから、正解に辿り着くルートなんかいくらでもある」
そう言ってガスタはワークツリーの資料室の方へ引っ込む。そして数分後、紙の束を持って私のところへと戻って来た。差し出された紙束に目を通してみる。
「これは…去年のサミダレ討伐会で使った資料…?」
その中には魔法陣のシステムテストに関するプリントもあった。なんなら去年使ったであろうチェック項目まで出てくる。目を丸くする私に対してガスタが口を開いた。
「サミダレ討伐会は毎年ワークツリーが参加しているイベントだ。もちろん魔法陣の貸し出しも毎年行っている。去年と少し条件が変わっている部分もあるが、それを参考にすれば大まかなチェック項目は一人でも作成できるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
「で、ざっくり叩き台が完成したら僕のところに持ってくるんだよ。そしたら細かいところにダメ出ししてやるから」
「分かりました。もう一度取り組んでみます!」
「質問するなとは言わん。だがその前にもっと柔軟に頭を使うように」
ガスタはそれだけ告げると自分の作業へと戻っていった。
私は手渡された書類を眺めながら母との会話を思い出していた。あれは私が十五歳のころだ。母は台所で夕食を作っている。私は筋肉痛の太ももを撫でながら母に愚痴をこぼしていた。内容はお婆ちゃんについてだったと思う。
「お婆ちゃんが酷い。隣の家の子が魔物に襲われたときはちゃんと助けてあげていたのに、私が襲われたときは『自分で頑張れ』って言うんだよ…!」
それを聞いた母は「あー、言いそう」とだけ呟いた。
「孫をなんだと思ってるんだ」
「お婆ちゃんは貴方が可愛いのよ」
「え、なんでそうなるの…?」
母はスープを小皿に注いで味見をする。彼女が小皿を回してくるので私も一口もらった。今思えば実家の野菜スープは旨かったな。
「お婆ちゃんがリンを助けることはできる。けどそれは一時的なものに過ぎないでしょ? お婆ちゃんはリンがこの先ずっと困らないよう、自分の技術を託しているんじゃないかしら」
なるほど、正論過ぎて返しようがない。母は良くも悪くもサッパリした人だ。 私はソファの上でゴロリと横になった。
「まあ、それもそうか…」
「お婆ちゃんに限らず〝良い師〟との出会いは大切にしなきゃだめよ。貴方はそういうのが得意じゃないんだから」
「わ、分かってるよ」
お婆ちゃんの教えは私が自立できる力を養うためのものだった。今回のガスタもそうなのだろうか。さっさと答えだけ教えちゃえば簡単なのに…奴はそうしなかった。アキニレの言う「ガスタの面倒見の良さ」とはこういう部分を指していたのかもしれない。
「〝良い師〟かあ…」
心の中で〝姑上司〟と呼んでいたことはいちおう謝っておく…か。
ちなみに定時前に私とガスタの元にスワローがやってきた。クッキー缶を片手に居心地の悪そうな笑みを浮かべている。どうやらこの前の〝スワローの初任給紛失事件〟について謝罪に来たようだ。やばい、スワローがガスタに殺られる。と、思ったがガスタは思いのほか落ち着いていた。
「てめえ、来週はしっかりやれよ」
ガスタはクッキー缶を受け取ると定時で退社していった。私もスワローからクッキーをもらう。ちょっと白い目を向けてみると、彼はホッとしたようにヘラヘラ笑って見せた。私もちょっとだけ笑う。少しだけスワローという人間のことが分かって来たのかもしれない。
来週からいよいよ討伐会が始まる。ガスタ、スワローと連携を取って戦わなければならない。が、最初ほど三人で戦う事を心配してはいない。きっと何とかなる…柄にもなくそんな風に思えた。
「問題なイ! すぐに良くなル」
私が帰宅の準備を進めている時、一階からランチュウの声が響いた。どうやら総務の社員さんと揉めているようだ。私が階段を降りると、彼が総務室から出てくるのが見えた。その頬は赤く、身体はフラフラとよろめいている。私は咄嗟に彼の状態を確認してしまった。
「ランチュウ体調悪いの?」
「大丈夫ダ!」
見るからに大丈夫ではない。なんなら彼は昨日から調子が悪そうに見えた。体調が悪い時は休んだ方が良いと思うけどな。少なくとも根を詰め過ぎているのは間違いない。同じ寮のアキニレ曰く「家でも夜遅くまで勉強している」とのこと。上司のミラーや、アキニレが言っても全然聞かないそうだ。彼はどうしてそんなに頑張るのだろうか。彼の体調が少し心配である。