020_先輩社員のガスタ
リンの日記_四月七日(月)
――社会人生活、二週目の月曜日。
やや曇り模様の空。今の私の心模様を表しているかのようだ…。
出社する私とアセロラに例のチビドラゴンもくっついてきた。勿論私は連れていきたくなかったが、このドラゴンは聞かない…。昨日の夜遅くまで「オレちゃんもついていく!」と騒いで聞かず…深夜二時を回ったところで私が折れた。だから私は寝不足である。
ラムス曰く「リン以外の人間には見えないよう、オレちゃんに魔法をかけた!」との事。正確には〝楽師〟の契約を持たない人間には見えないとか…。
――だから〝楽師〟って何だよ…。
このチビドラゴンも単語の意味は知らないそうだ。とことん使えない魔物である。少なくともアセロラにラムスの姿は見えなくなっていた。それでも私はコイツを会社に連れていきたくないけれど…。
時刻は午前十一時、アキニレは外で打合せがありアセロラもそれに同行した。ひとりぼっちの私は参考書片手に二階の開発ルームに移動。研修も業務も二階の開発ルームで行う事が多く、一階は打合せや談笑で使う事が多い様だ。
二階には様々な形状、高さの机やテーブルが適当に並べてある。これらはフリーアドレスとなっておりどこで作業をしても問題ない。ただし他の先輩との兼ね合いもあり、段々と座る席が固定化されてきた。
アキニレ班は三人揃って中央丸テーブルで作業する事が多い。私はその席に腰を下ろすと参考書を広げた。入社してからこんなに平和だったのは初めてかもしれない。ワークツリーの環境にも少しずつ慣れていかなければ。
――ん?
いつもの丸テーブルに何か置いてある。
ホールのミートパイだ。横には付属のソースが入った小瓶も添えてある。お皿の端にはアキニレのメモが残されていた。
「人気スイーツ店――アップルジャム様よりいただいたミートパイですー。早い者勝ちにして一切れずつどうぞ(アキニレ)」
パイである! お昼前、ちょうど小腹が空いていた。チビドラゴンもパイを前にして喜び舞う。
「俺ちゃんも! 俺ちゃんの分も切り分けて!」
「ドラゴンってパイ食べるの?」
「食べるよ! そういう差別はよくないぞ!!」
給湯室でナイフとフォークを探していると、コツコツと誰かが階段を上がってくる音がした。あれ、アキニレ達は出払っている筈…。振り返ると、見たことのない男性が立っていた。私より先に彼が口を開く。
「誰だ、君は…」
「え、えっと…新人のリンです」
やや高圧的な喋り方だが年齢は私とそう変わらないように感じる。三つ、四つ上だろうか? 髪は暗めのブルーグレーで前髪はショートのツーブロック。髪と同じブルーグレーのカーディガンを羽織っていた。吊り上がった三白眼がじろりとこちらを向く。
「ハキハキと悪くない返事だ」
「あ、ありがとうございます」
「どんな後輩が来るか不安だったんだよ。アキニレは誰に対しても『優秀な良い子』って評価を与えるからね。ハッキリ言って当てにならんのだよ」
「は、はあ…」
「僕はガスタ。この会社は新卒で入って三年目になる」
「よ、よろしくお願いいたします」
この人が〝ガスタ〟か。アキニレから聞いていたアキニレ班四人目の社員だ。
目の前の男はアキニレの事を「当てにならんのだよ」と一刀両断にした…どうやら思った事をズバズバと話す人のようだ。ガスタよりアキニレの方が三年くらい先輩な筈だが…。
「せ、先輩もミートパイ食べますか?」
「ああ、もらおう」
私は給湯室でナイフと小皿を見つけるとパイを二切れ切り分け、それぞれの小皿に取り分けた。そして瓶に入った黄金色のソースをパイに垂らす。ソースからは蜂蜜みたいな甘い香りがして、パイの上でキラキラと輝きを放っている。しかしそれを見たガスタが右手で制した。
「ごめん、ちょっと待った」
「え、何でしょうか?」
「君さ、パイを切り分けて…それにソースをかけたよね? 二皿とも」
「は、はい」
「そのソースが何だか分かってんの?」
「え、わ、分かりません」
「そうだよね? 君が苦手な味かもしれないし、僕が苦手な味かもしれない」
「あ、はい…」
「だが君はかけた。味を確認せず…僕に確認も取らずに、だ」
「す、すみません! あの、このパイどっちも私が食べますから先輩は新しいのを…」
私は慌ててパイをガスタの前から引っ込めた。しかしガスタは右手を振ってそれを拒否する。
「その必要はない。僕はこのパイもソースも何度も食べている。普通に嫌いな味じゃない。そもそも僕は気にしないけど〝気にする人〟もいるよって話…分かる?」
「え…あ、はい」
「なんでもコミュニケーションだから」
「す、すみません…」
「別に謝る事はない」
な、なんか怖い人と当たってしまった。いいや、言っている事はガスタが正しい、よな。私が彼に確認を取らずにソースをかけたのは事実だ。確認を取るべきだったとは思うし、アキニレからも報連相の事を注意されたばかりではある。私はそんな事を反芻しながらパイを食した。正直なところ味は殆ど記憶にない。
「じゃあ、食べたら行くよ」
彼はそう告げると魔導書を持って立ち上がった。
「え、行くってどこにですか?」
ガスタの眉間にキュッとシワが集まる。
「あれ、アキニレから聞いてないの?」
「な、何のことでしょうか?」
「あの先輩、本当に適当だなあ…この後お客様と打ち合わせだから」
「う、打ち合わせですか!?」
私の驚いた素振りを見て、ガスタは大きくため息を吐いた。
「じゃあ君、打合せの相手も内容も知らない認識で合ってる?」
「すみません、知らないです」
「じゃあ紙とペン持ってきて」
「すみません、会社のペンが何処にあるか分かってなくて…」
「何も教わってないな! アキニレは何を教えてるんだ!!」
ガスタは両腕を上げて「勘弁してくれ」みたいなポーズを取った。恐らく…私に怒っているわけではないのだろう。しかしどうしろと言うのだ。私は恐る恐る「だ、ダンジョンでの立ち振る舞いとか…教わってます」と口にした。
「そこは教わってるんだ! 逆に凄いね!! 普通一年目はダンジョン行かないけどね!!!」
「あ、ありがとうございます…?」
皮肉…だろうか? いやどちらにせよ怖いのだが。この人怖いよ。アキニレと根本から異なるタイプの人だ。あとこの人の事を〝優秀な良い子だよ〟と紹介できるアキニレの精神も怖い。この先輩社員――ガスタと一緒にやっていけるのだろうか…。
「そ、それでその、何を打ち合わせるのでしょうか?」
ガスタはまだ何か言いたげだった。しかしそれでは話が進まないと判断したのだろう。眉間にシワを寄せたままこの後の打合せについて話し出した。
「相手は今流行りのスイーツ店だ。もう時間だ、詳しい事は移動しながら話す!」
「ちょっ、待ってください!」
私たちは慌ただしく開発ルームを後にした。とりあえずガスタから渡された紙と筆記用具を鞄に突っ込む。この調子で本当に大丈夫だろうか…。