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「精進料理を用意いたします。召し上がっていただければ幸いに存じます」
道泥の心尽くしである。
それを拒絶する選択など持ちあわせてはいない。
「油揚げは」
『大皿で』
「かしこまりました」
世辞のひとつもくれてやる。
私である。
ゴーンである。
生で食することの大切さを語ったところで人間の欲望を止めることはできない。愚かとは思えども、違いをつくりだすことが生命の法則である以上、止めるべきものではないのだろう。人間の欲望と創意工夫が、料理文化を発展させているのは確かである。
『認めようではないか。人間がつくりあげた、油揚げというものを』
「ありがたき御言葉。不詳の身ではありますが、偉大なる先人たちに成り代わりまして、深く御礼を申し上げます」
『うむ、ところで道泥よ、あれは』
「望みませぬ」
『他の者の意見も』
「あれの存在を知るものは、拙僧のみとなりましたゆえ」
察しが良く、拒絶も早い。しかも強固。
あれから三十年、生意気だった道泥も、ずいぶんと修行を積んだものである。
道泥の成長には見るべきものがある。弟子たちに出す指示は的確で素早く、次から次へと処理できるのは優秀さの表れといえよう。しかしながら、道泥個人の力量に頼るのみとなってはいまいか。指導者としては、いささか落ち着きに欠けるかもしれぬ。まだまだ未熟者ゆえ、自らの権力に溺れる可能性もなきにあらず。
『何事においても流れというものが存在する』
説教を察した道泥が居住まいを正して傾聴する。指示を仰ぐだけとみえた弟子たちも、空気を察して口をつぐみ膝をついた。学びの機会に、わずかであっても感じとろうと真剣である。
『指導を受けるものとして、弟子たちも合格である。三十年前の生意気な道泥が懐かしいのう』
「恥じ入るばかりでございます」
低頭する道泥に顔を上げさせて問答をはじめる。
『すべては縁りて起こる。因果律というものは、我々の意志を超えている。流れのままに、あるがままに、意志の働きは因果によって左右される。流れに抗おうとする意志でさえ別の流れによるものとなれば、自由意志というものなど存在するのかどうかさえ疑わしい。ならば私とはなにか。意思とはなにか。自分で何かを為していると、思わされているだけの存在ではないのか』
「何をしようとも、じつは何もしてはいない、と」
『因縁によって動かされ、為した気になっているだけの存在。だとしてもそれは虚無ではない。無力ではあっても無価値ではない。体験には喜びがあり幸福がある。流れに導かれることしかできずとも、苦しみの流れか、安らぎの流れか、いかなる流れに身を置くかを選ぶことはできよう。身を置くことができれば、あとは流れで勝手になる。周囲は変化する。自然と行動もとっている。まるで自らが考えて、自らの意志でそうしているかのように』
「流れを選ぶのは、自らの意志によるのでしょうか」
『どう在るかを選ぶのは、自らの意志である』
「ならば」
『されど、因縁がなければこのような知識にふれることはなく、因縁がなければこのような知識に感じるものはなく、因縁がなければこのような知識を実践しようとはせず、因縁がなければこのような知識の実践を続けようとはしない。となれば、自らの意志とは自由なる存在か否か』
「……自らの意志で選んだと、思わされているだけ」
『可能性は否定できまい。できたとしても、我々には選ぶことしかできない。それでよいのだ。自らの意志で新しい流れを選び、新たな因果をつくることはできる。道泥よ、初心に返って書を読み解くがよい。知識は実践の励みとなる。知識を誇るようでは話にならんがな』
「肝に銘じます」
『実践にこそ価値はある。知識に溺れてはならん。いかに有能であったとて、因果に流されるだけの存在なのだ。どれほど強固な意志であろうとも因果を超えることはできない。浅知恵を働かせたところで、得られる因果はろくなものではないのだ。因果を超えるには、意志や意思を消し去るしかない』
「無心に行を為し、祓い、清めて、空に至る。仏道とは日常の行に徹することに尽きる……愚直に、愚か者のように」
『自我を捨て、与えられている恩恵を明らかにながめる。それが大いなる安らぎの流れに身を置くということである。なれば自然と善行を為し、徳を積み、良き因果を得ることにもなる。意図せぬ善行こそ真の陰徳である。無理を強いる善行など、愚行でしかない』
「己の浅知恵を捨て去るよう努めまする」
『なんにせよ、あせってはならぬ。これまでの因縁により避けようのない災難も存在しよう。ある種の諦観、これで因縁が消え去るのだと定める信仰心、それなりの覚悟は必要となる』
「……牙を逃れてどうなろう。待ち受けているのは、逃れようのない爪である」
『うむ、心に響く格言である。必死の場面など逃げるにこしたことはないが、あせってはならない。今いる流れがいかなるものであろうと抗ってはならない。抗うという意志は、不安や苦しみや恐怖という、いままでの流れにしがみつく選択である。べつの流れに意志を向けるのだ。心を静めて落ち着くがよい。心を静めることが行である』
「ゴーン殿の有り難き説法、この道泥、感に堪えませぬ。我が心に留めておくには余りある叡知、どうか書に記して残すことをお許しください」
『好きにするがよい。心に残るといえば、先の格言は、おぬしが考えたものか』
「いえ、拙僧ではなく、道石上人が残された書のなかに記されておりました」
『なるほど、道石であったか』
「流浪の旅をつづけられた、上人のことは」
『もちろん覚えている。私を利用しようと企む愚か者が絶えなかった時代、道石は私の近くにいた。ああいうのを巻き込まれ体質というのだろう。些細な出来事がきっかけで、武者殺しとか、妖魔の変化した姿だとか、根拠のない噂が流れるようになっていた』
「これも因縁でしょうか」
『なんだかんだで私の旅の道連れになれたのだ。悪縁とは言いきれまい』
「たしかに、ゴーン殿と旅を共にできたのは開祖道虫様と道石上人の御二方のみ。よほどの徳がなければ得られない良縁といえましょう」
『あえて違いをあげるならば、生まれる時代の縁であろう。道石のやつ、あるときから剣術を磨き、自分の身を自分で護るようになり、暴力に屈する哀れな民衆を救うようになった。荒れた世のなかを流浪しながら悪党どもを退治してまわり、私と関係ないところで権力者どもから恐れられるようになったころ、正道にかえって刀を置いたが、うむ、いったい何がきっかけで刀を手にしたのか』
「心あたりはございませぬか」
『ぼんやりとしたものならあるにはあるが』
「筆の流麗さでも尊ばれる道石上人ですが、先の格言あたりの文字が歪んでおりますれば、いろいろと察することはできるのですが」
『道石には、逃れられぬ因縁があったのだ』
「巻き込まれたのですね」
『そういう流れにあって、ちょくちょく様子をうかがいにいった思い出もある。何を隠そう、剣客道石は私が育てた』
道泥は眼を閉じて腕を組んだ。心の整理でもしているのだろう。私もまた道石に対して行った完璧なアフターフォローを思い出していた。
牙も爪も持たぬ人間は、武器を用いた戦闘術を磨いている。これもまた文化といえよう。善から遠い殺し合いのなかに真理の美を求めるのは、たんなる狂気か、人間独自の探究であるのか。この欲望と創意工夫の積み重なりもまた、油揚げのごとく、想像しえない何かを生みだすのであろうか。
「師匠」
「……急を要するか。ゴーン殿、この場を離れますことをお許し願います」
『うむ、かまわん』
何事においても流れというものが存在する。
人間は成長する。
文化を発展させている。
『認めようではないか。油揚げをつくりあげた、人間というものを』
ヒトという種は成長をつづけている。
浅知恵を誇る愚か者であることは疑いようもないが、それでも何かを残し、積み重ねて、築き上げている。愚かなりに進歩をつづけている。いや、弱く愚かであるからこそ、変化を強いられることになり、多様な文化をつくりだしている。
生命の道を歩みつづける種のひとつとして、認めるべきなのであろう。
『認めるしかあるまい。私が浅はかであったということを』
幼子を笑うのは、幼子であったことを忘れている愚か者だということを、認めなければならない。
人間でさえそうなのだ。惑星テラに生きる同族たちが、生命の道を歩みつづける種のひとつとして尊ぶべき存在なのは、当然のことである。
歴史は浅くとも、能力や技術に劣るとも、私たちと何も変わらない。
いつまでも保護対象とみなすなど私の傲慢でしかなかった。
いつまでも幼子として見るべきではなかった。
認めようではないか。
求愛行動もまた、許されて然るべき行為であったのだと。
『わたし、イナリー。いまお寺のまえにいるの』
元気のよい思念がここまで飛んでくる。危険だから山で待っていなさいと伝えたはずなのだが、好奇心に導かれるまま、人間の領域に入ってしまったか。約束したことはなんとなく覚えているのだろう。寺院のなかに入らないことでギリギリ約束を守っている気になっているとみた。そういうところがまた、じつに可愛い。まだ人間の言語は理解できないため、道泥も対応に苦慮することだろう。うむ、早々に戻ってきたか。さすがに決断が早い。
「ゴーン殿」
『どうした道泥。狐につままれたような顔をしおって』
「拙僧にはその表現をどう受け止めていよいのか……事実、そのような事態となっております」
『安心せよ。事態は理解している』
「門前にて、ゴーン殿のことを、ととさまと」
『うむ、愛娘のイナリーである』
我が愛しい娘は、私の血を色濃く継いだらしく、テラの同族たちよりも成長はゆっくりしている。まだまだ幼いため、私が世話をしてやらねばならない。まだまだ甘えん坊なのである。
イナリーの母はすでに現世を旅立った。寿命を延ばすことなど容易ではあったが、彼女はそれを望まなかった。母星の同族と同じく、テラの同族もまた、誇り高く生きて、満たされて旅立つのだ。
娘を託された私もまた、新たな志をもって儀式に望んだものである。もっとも、そろそろ繁殖期も終わりなのだが。
『ととさま、わたし、大きくなったら油揚げ屋さんになる』
土産に包んでもらった油揚げを食べて、イナリーは夢を語りはじめた。幼子とはこういうものであっただろうか。自分の幼いころがどうであったかは思い出せないが、まあ、娘は自分の意見を聞いてもらいたいだけである。人間がやるような雑事に憧れを抱くものではないと正論を述べ、厳しく叱りつけたところで得るものはないだろう。父様は好かれたいのであり、嫌われたくはないのだ。
『それは楽しみである。イナリーがつくる油揚げは、すべて父様がいただこう』
うむ、反応が可愛い。様々な文句が返ってきたが、それが可愛い。嬉しそうなので父様もうれしい。とにもかくにも、いとかわゆす。
しかし○○屋という表現は気にかかる。短期間で人間社会を学んでいるあたり、賢すぎて困る。あまり人間に近づいてほしくはないのだが、もはやイナリーの好奇心を抑え込むことは難しいだろう。心配である。私の目を盗んで勝手に遊びに出かけるかもしれない。
『イナリー、よくききなさい。つぎに父様が出かけるときは』
『わたしもいっしょにいくー』
このところ、うちの娘が可愛すぎて焦る。