4.山荘にて
hand of fate
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数日後、王妃はジュスティーヌ・シャラントンの墓参を希望した。
シャラントン公爵家は固辞したが、温和な王妃にしては珍しく、公爵を呼びつけて強く要求したために、公爵家は受け入れざるを得なくなった。
王都にある先祖代々の廟ではなく、王都からほど近い山荘の外れ、誰も来ないような木立の中に墓はあった。
名と生年没年だけ刻んだ墓は2基。
母と同じ場所に葬られたいという故人の遺志によるものだった。
国王と王妃は献花をし、しばし故人と語り合いたいと、案内した公爵を下がらせた。
二人は並んで立ったまま、墓を見下ろす。
長い沈黙の後、王妃は手探りに国王の手に触れ、ぎゅっと握りしめた。
「アル様……」
ジュリエットは、学院時代の愛称で夫を呼んだ。
王妃としてではなく、妻として話すという印だ。
「あの手記に書かれていたこと、本当のことだと思われますか?」
「ああ。
……私は狂っているんだろうか」
「いいえ。
私も本当のことだと思います」
うるんだ蒼い瞳でアルフォンスを見上げて、ジュリエットは静かに告げた。
「なぜ、そう思う?」
勢いこんで問うアルフォンスの前で、ジュリエットは視線をわずかに伏せる。
「あの広場で、なにが起きるか完全に把握されているようにしか見えなかったことがひとつ。
もうひとつは……ジュスティーヌ様にお声がけいただいたことがあると申し上げましたよね。
アル様のことが好きになってしまった頃、私は男爵家の娘だから、到底恋人になんてなれない、結婚なんてなおのことだって悩んでいたら、ふとジュスティーヌ様に呼び止められたんです。
それまで一度もお話したことがなかったのに、
『王妃にふさわしい令嬢は何人かいるけれど、あなたが殿下を一番幸せにできる。
だから、殿下をあきらめないで』
と、いきなりそれだけおっしゃって」
「そうだったのか。
確かに、君がいてくれて、私は幸せだ」
アルフォンスはほんの少し笑みを見せた。
明るく、無邪気なだけでなく、芯の強いジュリエットにこれまでどれだけ救われてきたか。
ジュリエットが男爵家の娘だったために、結婚の許しを得るまでが大変だったが、ジュリエットは王家のしきたりをよく学び、謙虚に周囲と接し続けたおかげで、今では良き王妃として人々に愛されている。
「その後も、ふと気づくと、ジュスティーヌ様は懐かしげな眼で私をご覧になっていました。
でも直接言葉を交わしたのは、励ましてくださった、ただ一度だけ。
なんでなんだろうって、ずっと不思議で……
だからこの手記の終わりに、別の人生で私と仲が良かったとあって、ああそうだったんだって、すとんと腑に落ちたのです。
本来なら最有力の王太子妃候補となるはずだったカタリナ様が、入学早々、不慮の事故でお亡くなりになったことも符合するといえば符合しますし。
でも……」
ジュリエットはアルフォンスの手を握る手に、力を籠めた。
「この手記が本当に起きたことの記録なら……
ジュスティーヌ様が346回生きられた時、私も346回分生きていたんですよね。
そのうち7回分はジュスティーヌ様のお友達だったとして……
残りの339回分の私はどこでなにをしていたんでしょう。
きっと、今の私と同じではないのですよね?
今の私と、どこがどう違ってたんでしょう」
ジュリエットは困ったような笑みを浮かべてみせた。
「そんなことを考えていたら、じゃあ今、私がアル様のおそばにいるこの人生はなんなんだろうって。
なんだかふわふわしてしまって、足元が定まらなくなってしまいました」
眼を伏せてつぶやくジュリエットに、アルフォンスは小さく頷いた。
幾度も、幾度も頷いて、不意に腕を伸ばすと、妻の背を抱く。
背を撫で、髪に顔を埋めて、アルフォンスの好みに合わせてつけてくれているすみれの香水の名残を吸い込む。
ジュリエットもアルフォンスの背に両腕を回し、その存在を身体で確かめるように、しっかりと抱きしめた。
「……私も、似たようなことを思っていた。
君と私を死地から救い出してくれたジュスティーヌには、もちろん感謝している。
だが、この手記を読んでから、なんというか……落ち着かない、どこか不愉快な気持ちが拭えないんだ」
「不愉快?」
ジュリエットは少し驚いて、アルフォンスを見上げた。
「私にとっては、ジュスティーヌはほぼ赤の他人だ。
だが私が『アルフォンス』であり、彼女の愛しい夫となるはずだった者だからこそ、ジュスティーヌは命を捨てて救ってくれた。
逆に言えば、君を愛し、妻としたこの私は、ジュスティーヌにとっては……本物の『アルフォンス』の影のようなもの、もっと言うなら偽物のようなものなんだろうか、と思ってしまうんだ」
「アル様は本物です。
本物の本物です」
即、断言したジュリエットに、アルフォンスは思わず笑った。
「それにしても、どうしてこんなことになってしまったんでしょう」
ジュスティーヌの手記は妄想などではない、と思いはするが、ジュリエットにはそこがわからない。
「……おそらく、『最初のアルフォンス』が、ジュスティーヌに幾度も人生を繰り返す呪いをかけてしまったんだ。
手記にあっただろう、『ジュスティーヌ、死んではならない』と言って絶命したと」
「ああ……」
ジュリエットは嘆息した。
黒い渦に引き込まれて、とジュスティーヌは書いていた。
ジュスティーヌ自身の望みではなく、外的な力で繰り返しが起きていたということだ。
王家の祖は精霊王の血を引いていたと言われている。
アルフォンスは魔力はそれほどでもないが、霊力はきわめて強く、エメラルドのような独特の輝きを持つ碧眼故に、先祖返りだと言う者もいるほどだ。
その「最初のアルフォンス」の死に際の言葉に、乗ってはならない力が乗ってしまったのではないか。
「でも、なぜ過去にジュスティーヌ様が何度も何度も飛ばされたのでしょう?
普通に怪我を治せば、それで望みはかなったじゃないですか」
「本来はジュスティーヌも、エルダの町で一緒に死ぬ運命にあったんだと思う。
2人の死へと運命が収束する力は強くて、死に際の呪の力だけでは乗り越えられなかった。
だから、未来では生きられないジュスティーヌの魂は、かわりに過去へと弾き飛ばされてしまった。
妻を救いたいという単純な願いであったものは、運命の収束力という壁にぶつかってひしゃげ、結局『アルフォンス』が死ぬと『ジュスティーヌ』を過去に飛ばしてしまう、そういう仕組になってしまったんだ。
一日ずつ、飛ばされる期間が短くなっていただろう?
神や精霊と違って、人の呪いの力は有限だから、少しずつ減衰していく。
だが、幾度も幾度も執拗に運命に干渉するうちに、ジュスティーヌはとうとう運命を書き換えることに成功した……
そういうことだったんじゃないかと私は考えている」
「……じゃあ、いつかは繰り返しは終わっていたんですね」
「ああ。
だが止まるまで、どれだけかかるかわからない。
……その意味では、彼女には罪悪感も感じてしまうんだ。
あんな過酷な目に遭わせてしまったのは、『私』のせいでもあるような気がして」
アルフォンスは呟いた。
自分は「最初のアルフォンス」の影のつもりはない。
だが、別の世界のアルフォンスがしたことだ、自分のせいではないと思っても、割り切れないなにかが残ってしまう。
なにより、ジュスティーヌの狂気に満ちた献身の結果、死の運命を逃れたのは「この自分」なのだ。
ジュリエットはそっとアルフォンスの背に腕を回しなおす。
しばしの沈黙の後、ジュリエットはアルフォンスを見上げた。
「……私、エルダの町で襲われた時、私は死んでもいい、あなただけは守らなければならない、それだけを考えていました。
怯えて、震えて、縮こまっているだけで、なにもできなかったけれど……
アル様は、なんとお考えでしたか?」
「同じだ。
君だけは、なにがなんでも守らなければならないと」
ジュリエットは涙ぐんで、頷いた。
「……別の世界に生きていた、最初のあなたは、ジュスティーヌ様を愛してらした。
だから、せめてジュスティーヌ様には生き残ってほしいと願われた。
それだけのことだったんです。
そのことは、ジュスティーヌ様も重々おわかりだったはず。
この手記には、なぜこんなことになったのか、ジュスティーヌ様のお考えが全然書かれてないのが不思議でしたけれど……
きっと、書けばどう表現しても『アルフォンス』のせいだと非難してしまうことになるから、それはジュスティーヌ様には不本意なことだから、お書きにならなかったのではないでしょうか」
「そういうことなのかもしれない。
だが、しかし……」
ジュスティーヌが「アルフォンス」を責めていたかどうかと、自分が罪悪感を覚えるかどうかは別の話だ。
「今のあなたが愛しているのは、ジュスティーヌ様じゃない。
私でしょう?
違いますか?」
強い瞳で、ジュリエットはアルフォンスを問いただした。
「違わない。
私が愛しているのは君だ」
そうだ。
ジュリエットを愛している自分が、今のアルフォンスにとって真正にして唯一の自分なのだ。
ジュリエットは、ほっとしたように吐息をついた。
「切子細工のグラスをかざすと、カットされた面のかたちに応じて、それぞれ違った歪み方で周囲が映って見えますよね。
そんな風に少しずつ違った世界が無数にあって、その中には『最初のアルフォンス』がいた世界もあれば、他の方を王妃に迎えた世界もある。
たくさんたくさんいるアル様達には、同じところもあるけれど、それぞれ違うところもある。
そして、ジュスティーヌ様は、『アルフォンス』が生き延びて、幸せに暮らしていける世界をお望みになった。
そのために、ご自身だけでなくお母様もご家族も何度も何度も犠牲にされて、とうとう成し遂げた。
そういうことでいいんですよね?」
アルフォンスは、その理解で良いだろうと頷いた。
「でも、私のアル様は、よそにいくつ世界があろうとあなたただ一人。
最初の『アルフォンス』とも、他の『アルフォンス』とも違います。
……だから私、あなたをもっともっと大事にします。
あなたを救ってくださった、ジュスティーヌ様のことを忘れずに」
ジュリエットはアルフォンスに訴えた。
彼女の言葉には、一理ある。
そう思っても、アルフォンスの心の靄がただちに晴れたわけではなかった。
ジュリエットにしても、それでぱっきりと割り切れたはずもなく、夫の心のゆらぎを鎮めるために、まずは自分に言い聞かせようとしているのだろう。
しかしおそらく、この「足元が定まらない感覚」は、とりあえずそうやって飲み込んで、時間に委ねるほかないのかもしれない。
「……ありがとう。
私も、いくつ世界があろうとも、唯一の君を、今までよりも大切にしなければならないな」
アルフォンスは、妻のピンクブロンドの髪を梳き、額に小さく音を立ててくちづけた。
ジュリエットは微笑んで、少し伸び上がってアルフォンスの頬にキスを返した。
「……実を言うと、あの手記で一箇所、どうしても納得いかないところがあるんです。
もちろん、大変な犠牲を払って私達を救ってくださったジュスティーヌ様には言葉にできないくらい感謝していますけれど」
「ん? どこだ?」
「どの『アルフォンス』もジュスティーヌ様を愛されたっていうところが。
なんだか『アルフォンス』であれば、全員ジュスティーヌ様が好きになるんだって感じで……
あなたは、私を愛してくださっているのに」
ぷす、とむくれる妻が愛らしく、アルフォンスは思わず笑って、その頭を撫でた。
しばらくして、2人は公爵家から山荘を買い取り、折々、子どもたちを連れて訪れるようになった。
ジュスティーヌとその母の墓は、小さいが瀟洒な廟に改葬し、その中に厨子を設けて手記も収めた。
2人は子どもたちに「父様と母様を命がけで助けてくれた、大切な方のお墓だよ」と教えた。
山荘に来る度に、まず家族全員で額づくのが習慣になった。
月日は流れ去り、アルフォンスもジュリエットも天寿をまっとうした。
だが、ジュスティーヌとその母の廟は、今も大輪の白百合や四季それぞれの美しい花々に囲まれている。
ご覧いただき、ありがとうございました!
また、完結前にブクマ、評価してくださった方々、ありがとうございました! 励みになります…
<ついでに自作宣伝など>
「ピンク髪ツインテヒロインなのに攻略対象が振り向いてくれません」(完結済)
https://ncode.syosetu.com/n2517gv/
※名ばかり男爵令嬢のミナ(希少な光魔法使い)が、貴族学院で悪役令嬢志望のお姉さま方にモテまくる話と思いきや、帝国の闇とかなにやらに巻き込まれてえらいことになる話です。
「王太子アルフォンスが雑な扱いを受ける短編とか中編」
https://ncode.syosetu.com/s2814g/
※「顔はいい」と言われがちなこじらせ王太子アルフォンス、デキ過ぎだけど斜め上に行きがちな公爵令嬢ジュスティーヌ、野生の男爵ジュリエットがどたばたする異世界恋愛コメディ短編。今作で6作目です。
※既発表作品で一番ポイントが跳ねたのは最初の「『王太子』とかけて『種馬』と解きます」(異世界恋愛日間ランキング入り)、一番好きなのは「水に流して」です。