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どす黒いラーメン

 (おか)(やま)大学マスカットユニオンの学食。

 二十年前は学生共がごった返していたそうだ。来年の三月を以て、()(しま)キャンパス共々なくなる。医療系の鹿(しか)()キャンパスはまだ残るらしいが。

 人口減少と教育改革には(かな)わない。学食のメニューも、今はカレーとラーメンしかない。

 だだっ広い割に、机も椅子も(まば)らだ。人はもっと疎らだ。17時過ぎの学食に、四肢の指の数程も人がいない。

 白衣の人が窓際でラーメンを啜っている。理学部の先生だろうか。どす黒い汁のラーメンだ。彼女の向かいには紫のTシャツを着たあんちゃん。二人とも黒髪セミロングなのが似ている。彼はラーメンをその(しおから)そうな汁まで平らげ、鉢に渡し箸をし、何の本だかを左手にノートを採っている。

 大学で見知らぬ先生に声をかけるなんて野暮、なんて風潮すらある。まあ、風潮なんて、偶には抗うのも一興だ。先生も何を思ってかお食事を中断なさる。その隙に問いを発す。

 「……どちらの学科ですか?」

 「え、私?化学科。専門はテルペノイド。」

 「テルペノイド……リモネンとか?」

 「そう。」

 サバサバした性格というのは、こういう人のことだろうか。

 一方、ふと男の方へ目を向けてしまう。私を強烈に睨んでいる。学科とか専門の話すら厭われるこの頃なのだろうか。私が立ち去ろうとする前に彼が口を開く。

 「先生、僕ここの学生じゃありません。京大の文学部に滑ったんです。今はこういう風に浪人生、つっか、浪人生ごっこやってるだけです。」

 文学部云々と言っている割に、勉強しているのは積分だった。

 「ごっこ……受け直さないの?」

 「なんか、もう、いいんです。一度滑った所にまた受かる気、しないんで。」

 「……文学部で何の勉強がしたかったの?小説?」

 こういう人に多くを問うのは私ならば躊躇うのだが、先生は積極的だった。

 「いえ、漢字の研究がしたかったんです。僕、漢字が好きなんで。」

 先生は白衣の胸ポケットからボールペンとメモ帳を取り出し、すらすらと「尹澪音」を綴る。私にも見せてくださる。

 「ユン・リョングム?いつの時代の人ですそれ?」即答だった。

 「こういうのは知ってるんだ。いつの時代も何も今ここにいる私。」

 先生の表情は得意気とは違う。食事の場にも関わらず、表情はどこか学者然としている。

 「京大の漢字の先生ってもしかして(やす)()(わら)先生?あの人は学部の先生じゃなかった気がするけど。」

 「彼です。康河原先生の弟子になろう、とか思ってました。尹先生京大出身なんです?」

 「ばれた?学部から博士まであすこ。」

 男は露骨なくらい悔しむ一方、手では数学書とノートを鞄に片付ける。

 「漢字、か。私は言える立場じゃないけど、文字の勉強をするなら、文藝にも親しんだ方がいいんじゃないの。漢詩とか好き?ところで君こそ、名前何ていうの。」

 「(あぜ)(ぶち)です。先生、そこは論語とか孟子じゃないんですか?」

 「詩より儒学が好きなの?」

 「いや、そうでもないです。……先生、僕、何で数学なんかしてたんでしょう。今から図書館往きます。一般利用者登録してるんで。ではまた。」

 畔淵は鞄とラーメン鉢を手に去る。尹先生はその逆というか、自分のラーメンを再び啜る。

 私もお盆にカレーを載せたまま茫然としている。先生の隣で食べる。揚げ豆腐入りの少し冷めたカレー。

 尹先生も、畔淵も、そして私も、何を目指しているのか分からない。そういうもどかしさを心にカレーを食べる。平らげた頃には尹先生もいなくなっていた。私は法学で何ができるだろう。

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