【Epilogue】
【Epilogue】
【これまでのあらすじ】
毎日生きていて、日々は苦しいですか?
でも、大丈夫だよ。
何の根拠もないし、無責任にこんなこと言われたって、あなたは怒るかもしれないけど。
でも、大丈夫。
私だってときどき、「みんなが幸せになりますように」なんて、祈っちゃったりしてるんだから。
【本編】
私、康子! どこにでもいる普通の女の子!
今日は頑張って合格を決めた憧れの高校の入学式……。どんな人たちと友達になれるんだろうなあ……私、今からワクワクしちゃう!
って、あぁ~~~~~!!
もうこんな時間!?
遅刻遅刻ぅ! もうっ、お母さんってばどうして起こしてくれなかったの!? えっ? 何度も起こしたって? そ、そんなバカな~!
急いで制服に着替えて、トーストを口に咥えて、わーっもう髪もぼさぼさ!
でも、なんだかこんな忙しない毎日も楽しいかも! お母さんお父さん、いってきまーす!
「……なんつー夢を見とるんだ、私は……」
目覚めて開口一番、康子の呟きはそれだった。
もちろん康子は、高校一年生でもなんでもない。大学四年生。就活大失敗。これから新しい出会いがあるどころか、どこにでもいる普通の女の子という枠からも滑り落ち始めている。朝ごはんだって面倒だからこの一人暮らしの六畳間では決して取ることはないし、さっきまで見ていた素敵な夢の中で唯一本当だった部分があるとすれば、いま、洗面台の鏡に映っている、見るも無残なぼさぼさの髪だけだった。
「うわっ、むくみヤバ……。自分でちょっと引くわ……」
洗顔フォームで顔を洗って、動画サイトで見たむくみ取りのマッサージ。なんだか最近目の下のクマが取れないな、と鏡面に顔を近付けて見たら、ほろり、と一本、下まつげが落ちた。抜け毛に悩む中年男性ってこんな気持ちになるんだろうか、と思った直後に、自分の考えることがあまりにも侘しくて嫌になる。
就活に失敗したことは親には言ってなくて。
これから先どうするかも不透明で。
本当は、いますぐにでも求職サイトを眺めてエントリーしなくちゃいけないんだろうけど、なんだかそんな気にもなれなくて。「あー、マジでどうしよ……」なんて独り言も、寂しさを増幅させる装置に過ぎない気がしてきて。
「あ、」
冷蔵庫を開けたら、野菜ジュースが空っぽだった。
「なんで飲み切った紙パックを冷蔵庫に入れてんだ、私は……」
水で洗って、シンクの上にポンと置く。どんどん料理をするスペースがなくなっていく。特にこれで困ってないのはもちろん料理をしていないからで、だから野菜ジュースだけは毎日なんとしても飲んでおきたい。康子にとって、これは『まだギリギリ自分は生活を送れているぞ』という感を演出するために必須のアイテムなのだ。
部屋着のジャージにサンダルで出かける範囲が広がりつつあった。最寄りのスーパーまで歩く。寝ぐせは直さないまま縛って誤魔化した。子どもたちの声がする。ああ今日は休日なんだ、とそれでわかるくらいの社会との温度差。
「あの、」
そこに、声をかけられた。
「あのー! そこの女性の方!」
最初は、自分宛てじゃないだろうと思った。
でも、あんまり真っすぐ自分の背中まで届いている気がしたから、恐る恐る振り向いた。
小太りの、スーツの男が立っていた。
「……私?」
恐る恐る、康子は自分を指差した。
男はこっくりと頷く。
「あなたです」
え、何? いきなり何? ナンパ? んなわけないよねこんな恰好で。じゃあ何? 警察? 私の中に眠るもう一人の人格が夜な夜な連続殺人を?
そんなことを思っていたから、動き出すのが遅れた。男は康子に近付いてくる。そしてスーツの懐に手を入れる。拳銃でも出てくるのかと最近アクション映画ばかり見ている康子は思ったけれど、全然違った。ごくごく社会的なものが出てきた。
名刺。
「わたくし、芸能事務所の者です」
「はあ……」
「アイドルに、興味はないですか?」
「はあ?」
呆気に取られた。
アイドル? アイドルって、あの? 高校一年生で、これからの学校生活に胸を高鳴らせてるような女の子が歌って踊るやつ? 私が?
「何の冗談ですか?」
「冗談ではありません」
「いやだって、」
それが本当だと考える理由は一つもなくて。
代わりに、嘘だと思う理由はたくさんあった。
「私、こんなんだし。髪も服も適当……っていうかもう、ダメダメだし。すっぴんだし。なんかこう、若さみたいなものが欠けてるって、就活でもさんざん言われて……」
「関係ありません」
「あるでしょ」
「ありません。僕が、あなたをスカウトしたいと思ったんです」
じっ、と男は康子を見ていた。
その瞳があんまりにも真っすぐだったから、「うっ」と康子は気圧されてしまって。
その隙を、男は見逃さなかった。
「当プロダクションには潤沢な資金があります。こう見えて僕の通称は『錬金術師』。あなたに絶対の成功を約束します。……今度こそ、一緒に世界一を目指してもらうために」
錬金術師。
世界一。
一体何を言ってるんだこいつは、ともちろん康子は思ったし。
こいつはちょっとしたイカレ野郎だぜ、と引くような気持ちもあった。
でも、先行きの不透明な人生で。
こんなに透明な瞳をしたやつは珍しい、と思ったから。
「……一応聞いときますけど、芸能って、変なアレじゃないですよね」
「変なアレだったら、自分からは言わないと思いますが」
「……それ、自分がそうだって認めてるってこと?」
「…………あれ?」
男は自分で首を傾げると、慌て出す。おかしいな、ちゃんと言うことを考えてきたはずなのに、なんて言って。
その、屈託のない姿に康子は笑ってしまって。
名刺をひょい、と、二本の指で挟んで、受け取った。
男が驚く。驚いて康子を見る。
驚かれると、どういうわけか自分の方は落ち着いてくる。
康子は男を見つめながら、にっ、と不敵な笑みを浮かべた。
高校一年生でもないし。
憧れの高校の入学式でもないし。
段々普通の女の子って枠からもはみ出し始めてるし。
髪はぼさぼさ。
むくみもクマもひどい。
料理もしてない。
ついでに言うなら部屋も汚い。
でもなんだか今、ちょっとだけ。
ちょっとだけ――――
「やってみてもいいですよ。……あなたがちゃんと、私を選んだ理由を教えてくれるっていうならね」
何かが始まる、予感がした。
秋の空は高く、風はずっと遠くまで吹き渡る。
だから、どこかの行司の声まで、この二人の耳に届いたりもした。
――――はっけ、よーいっ――――
【出演者】
ナロー
ユウ
康子
米倉五十郎
犬
【スペシャルサンクス】
マウンテンゴリラのみなさん
火星の猿のみなさん
AND...
【YOU】
【fin】