49・迷走する日本人
前話のあらすじ「デパート全階層の探索をする悟チームと、階段から地下へと抜けるルートで逃走するアイツァ」
デパートの4階と3階を見回っている途中、もしや、という可能性に気付いた。
……まさか窓から飛び降りたとか?
ありえない話ではない。アイツァは火と風の魔術具を日本に持ち込んでいる。風の魔術具を使って身の丈5mのゴーレムの頭に駆け上り、そこから無事着地するという荒業をやってのけている。シィーラ撃退のときも、落下するだけなら問題なくできると言っていた。地上3階とはいえたかだか10m程度だ、アイツァなら飛び降りても怪我一つしないだろう。なぜそんなことをしたのか、という疑問は残るが。
そんなとき懐で着信音がする。電話に出ると千恵からの連絡がきた。
「悟、1階と2階はいなかった。そっちは?」
「いや、別館まで見に行ったけどいなかったよ。どうやったかわからないけど外に出たかもしれない」
さすがに窓から飛び降りたかも、とは言えなかった。そんな突拍子もない推測を口にするのはさすがに恥ずかしい。
千恵は「もしかしたらそうかも」と同意し、自分の考えを述べた。
「もしかしてアイツァちゃん、階段を使ったんじゃないかな? エスカレーターの近くにいるお母さんを素通りして3階からいなくなるのって他に考えられないし、ほんとに外にいるのかも。もしくは地下1階の食品売り場」
千恵のあまりに真っ当な推論を聞いて、悟は顔を赤くした。階段を使うという可能性に気付いていなかった。真っ先に窓からの飛び降りを考えていた自分が恥ずかしい。
……そうだよ、普通そっちを真っ先に考えるよ。何が飛び降りだ、そんな派手なことするのは外国のアクション映画スターだけだよ。アホか、自分。
悟は思考が異世界寄りになっている自分を罵倒して千恵の意見に賛同する。そして千恵が地下1階の食品売り場、悟がデパートの外回りを探してみることにした。アイツァが待ち合わせ場所のことを忘れて、自動車の方に行ったかもしれないと考えたからである。
外の日差しは強かった。昼近くで余計に気温が上がっている。悟は涼しかったデパートから質量を持っているかのような暑い空気の中へ入っていった。太陽の眩しさに目を細めつつ駐車場へと向かう。
叔母の車の周辺には誰もいなかった。こっちに来たわけではないらしい。ありえないと思うが、一応デパートの周囲を一周することにした。地上の駐車場からデパートの入り口、そして通りに面したデパート沿いの歩道を歩き建物の裏手へと回る。どこにも見当たらない。ほぼ建物を一周して、地下駐車場への入り口を過ぎて再びデパートの入り口までやってきた。やっぱり外にはいなかったのかな、と諦めていたところで、ようやくアイツァの姿を見つけた。デパートの入り口で二人の男に絡まれている。何かあったのだろうか。
悟は足を速めてアイツァの元へと向かった。
…………
赤色に光る「満車」の文字にアイツァはまだ悩んでいた。進むべきか待つべきか、である。
道を遮るように横倒しになっている細い棒は、潜り抜けようと思えば容易くできそうだった。ただ悟の言っていた"こうつうるーる"というのに従うならば、赤信号のときは止まらねばならない。とはいえ、他に自動車の姿が見えない以上、別に止まる必要性があるようには感じなかった。こんなところで足止めを食っている場合でもない。どうしたものか、とアイツァは考えた。
結局、赤信号を無視して進むことにした。なかなか青信号に変わらなくて待ちくたびれたのである。胸くらいの高さにある棒の下を潜ろうと軽く腰をかがめると、ちょうど同じタイミングで背後から"じどうしゃ"が近づく音がした。慌てて黄色い機械に背をつけるように端に寄った。まさか赤信号を無視したのが見られたのか、と冷汗をかく。
背後から来た"じどうしゃ"の運転手は、アイツァのことを怪訝な表情で一瞥した。そして緊張しているアイツァを無視して窓を開けてチケットを機械に入れ、バーが上がるとそのまま去っていった。アイツァはその"じどうしゃ"の後ろ姿が見えなくなるまで眺めていた。バーが降りてくる。ふぅと息を吐いた。
……なるほど、「赤は止まれ」か。無理に進もうとしたから危ない目にあったんだな……。
盛大に勘違いをしたアイツァは、先ほどの信号の色を確認する。すると信号は青色に変わっていた。「空車」という文字は読めなかったが、アイツァは青信号なら進んでもいいだろうと確信し、バーを潜って先に進んだ。ようやく外に出られた。うだるような暑さだったが、今はそれが心地よい。
周囲を見回すと、来た時に"じどうしゃ"を停めた駐車場が見えた。そちらへ向かっていく。似たような見た目の"じどうしゃ"が多かったため、どの車に乗ってきたかはわからなかった。だが、駐車場からデパートの入り口までの道筋は覚えていたので記憶に従って歩いて行った。植木の柵を抜けると見覚えのあるガラスの扉が見えた。ようやくここまでたどり着いた。アイツァは謎の感動を覚えていた。
気が急いていたアイツァはデパートに早足で入ろうとして、目の前を横切る通行人を避けそびれ、うっかり二人組の男とぶつかってしまう。咄嗟に異世界語で「ごめん」と謝ったが、男の二人組は一瞬怪訝そうな顔をしたが、なぜか嬉しそうな顔になって道を塞いできた。アイツァを二人で囲んで話しかける。
「あれ、キミすごく可愛いね。そんな急いでどうしたの? 案内してあげようか?」
「ねぇ、オレら暇なんだ。一緒に遊ばない? ちょうどお昼だし、一緒にご飯食べにいこ?」
『……すまないが、そこを退いてくれないか?』
金髪と茶髪の男二人組がそう話しかけてきた。明らかにナンパ目的のチャラい男たちであったが、アイツァにはその言葉も意図も理解できていなかった。タバコの臭いに顔を顰めながら、冷静に道を譲ってくれるように頼む。しかし異世界語で話したのがまずかったのだろう、相手の男の興味をより引いてしまった。
「え、キミ外国人なの? うわ、確かにそんな感じするわー。髪が黒いから気付かなかったよ、ごめんねー」
「バッカ、日本語じゃ通じないだろ。えーと、ハロー? ナイストゥミーチュー。良かったらランチ、イート、トゥゲザー?」
金髪が珍しいものを見たような好奇心に満ちた目でアイツァを眺め、茶髪はタバコを燻らせながら半端な英語でナンパを決行する。アイツァにはどちらにせよ何言っているのかわからなかったが、ともかく退いてくれないということにただ苛立っていた。火の魔術具に一瞬手が伸びるが、サティの「魔術は基本禁止」という言葉を思い出して我慢する。いっそ暴力に訴えてしまおうか、とアイツァは軸足に体重を乗せハイキックの用意をする。気絶させるくらいなら目立たないよね、と乱暴な考えになっていた。
すると背後から聞き覚えのある声がした。後ろを振り返る。そこにはここ半年で見慣れた弟子の姿があった。迎えに来てくれたらしい。アイツァは嬉しくなって弟子の名前を呼んだ。
…………
『サティ!』
男二人に絡まれていたアイツァがこちらに声をかけた。悟は普通にしていたアイツァを見て、安堵半分脱力半分だった。それよりもこちらを嫌そうな目で見てる男二人組の方が気になった。明らかにナンパ目的なのがわかったし、そこにナンパ対象の知り合いらしき男が来たら嫌な顔もするだろう。
『行くよ、アイツァ』
何事もなかったかのようにアイツァの手を取って引っ張っていこうとする悟。そして肩を掴まれる感覚。見ると二人組のうちの咥えタバコの茶髪が悟を引き留めていた。
「ねぇ、キミ彼女のお友達なのかな? 悪いけど、この子オレらと食事しに行くからさ。悪いけどどっかいってくんない?」
「いえ、家族で来てますんで、すいませんが……」
「いいじゃん、ちゃんと送り返すからさ。ご飯奢るだけなんだし、別にいいでしょ?」
「いえ、急いでるんで……」
きっぱり拒絶する悟にあれやこれや言って絡んでくる茶髪。恐らくナンパしかけて今更引っ込みがつかなくなったのだろう。金髪も止める気はないらしい。明らかに舐めた態度の茶髪に悟はだんだん苛立ってきた。一緒に不満気な顔をしていたアイツァにこっそり異世界語でお願いしてみる。
『アイツァ、こっそり火の魔術使ってなにか目くらましできない?』
『使っていいなら何でもできるけど、いいの?』
『できれば目立たない方法で、お願い』
『わかった』
言葉少なに打ち合わせすると、アイツァは二人組から見えない位置で手袋の下につけてある指輪にそっと触れる。火の魔術具を起動し、熱量を操作する。狙いは茶髪のタバコである。
「うわっ!」
「あちっ!」
二人組は驚いた声をあげて一歩下がる。タバコの火がガスバーナーのように一瞬大きな火柱を噴き上げたのだ。驚くのは無理もない。ほんの少し茶髪の前髪が焦げていた。二人組が少し離れた隙に「失礼します」と捨て置いて、悟はアイツァを引っ張ってデパートの中に入っていった。安堵のため息を漏らす。
『サティ、すまない。まさかこの歳で迷子になるとは思ってなかった……』
『アイツァ、気にしない。でも千恵と叔母さん、心配してた』
スマートフォンで連絡し、みんなで案内板の前に集まった。千恵が「心配したよー」とアイツァに抱き着き、叔母さんが「見つかって良かったわね」と微笑む。アイツァが「心配かけて申し訳ありません」と素直に謝った。
その後、3階のフードコートで食事をとってから叔父さんの家に帰った。帰りの車の中、千恵の説教が途切れることなく続いた。
「アイツァちゃん、勝手な行動したら迷子になっちゃうんだからね。気を付けなきゃダメなんだよ! 翻訳!」
『アイツァ、勝手な行動、ダメ。迷子になる。気を付けて』
『はい、気を付けます……』
「特にアイツァちゃんは日本語読めないし、ケータイも持ってないでしょ? 下手に離れちゃ心配かけるってわかるでしょ! 翻訳!」
『アイツァ、異世界語読めない。"ケータイ"持ってない。離れると危ない』
『”けーたい”って何……? なんでもないです。はい、すいません……』
「それから……」
偉そうに説教する千恵としおらしく謝罪をするアイツァ。なんで千恵は姉っぽく振舞ってるんだろうと疑問に思いつつ、悟は二人のことを苦笑して眺めていた。
次話「現在未定、たぶん室内ゲーム」




