魔女は奮闘中 五
(にぃさまは、どうしてあんなに怒ったのかしら)
夕刻。リゼリアはシャワーを浴びながら、ずっと考えていた。
濡れた黒髪が肌に張りついてくる。リゼリアはその一房を掴んだ。
(髪を伸ばしたのは、ターゲットに裕福な育ちだと思わせるため)
磨き上げた肌も、爪も、地味な喪服も、靴も、化粧も、香水も、ぜんぶ仕事のため。
仕事を任されるようになった三年前から、ずっとそうしてきた。なんの疑問もなかった。
すべては、愛する兄アレクススのため。
(ずっとそうしてきたのに、どうして今更、他人にとやかく云われなくちゃいけないの)
なんだか胸の奥がモヤモヤする。悪いものでも食べただろうか。ちがう、これは怒りだ。
「……にぃさま、私、ひとつわかったことがあります」
浴室を出たリゼリアは、濡れた髪もそのままに、ベッドに座るロキに詰め寄った。メルルは明日にそなえて街中を偵察しに出ている。
「私、おにぃさまに怒られたことがないんです。だからにぃさまに叱られて、とてもイライラしているんです。どうしてくださるんですか」
「どう、って」
ロキは困惑顔を浮かべる。
「吹き出物が出たり、胃がムカムカして夜眠れなくなったりしたら、どう責任とってくださるんですか?」
肌荒れや睡眠不足は乙女の敵。仕事にも影響する。
詰め寄るリゼリアと後ずさるロキ。ロキはついに壁まで追いつめられた。逃げ道を奪うため、リゼリアは壁にドンと手をつく。
「さぁ、お答えください。にぃさま」
もし『奇石』をくれるのなら許しましょう。と続ける予定だったリゼリアは、想定外の言葉を受けた。
「だったら、オレの本当の妹になればいい」
それはまさに、青天の霹靂。驚天動地。目が点。
「…………は? なにを云ってらっしゃるの?」
つい、真顔で聞き返してしまった。一方のロキは冷静に続ける。
「ここは国境の街だ。このままオレと隣国に渡ればいいだろう」
「まさか。ご冗談、ですよね」
「責任とれ、と云ったのはおまえだ」
開き直られた。たしかに云い出したのはリゼリアだが、それは違う目論みがあったわけで。
「や、やめましょう。この話は。ね、明日のことだけ考えましょう」
これはもう、無理やりにでも話をそらすしかない。お互いのためだ。
体を引こうとしたリゼリアを、ムッとしたロキがとどめた。
「逃げるな」
壁ドンした腕を掴まれたため、体勢のとれていなかったリゼリアはベッドに倒れこんだ。ロキはその上に覆いかぶさってくる。見つめてくる眼差しは強く、リゼリアは視線をそらすことしかできない。
「おまえは、いいのか」
静かな、問いかけ。
「アレクススの『妹』のままで、いいのか。危険な目に遭いながら、このまま利用され、最後は屑のように捨てられるかもしれないのに。いいのか、それで」
リゼリアは肩を震わせた。胸郭が動き、胸が上下する。
「……それが、私の、償いだもの」
「だれへの? アレクススへか? それとも」
「おにぃさまの――――実の妹、マリーへの。だから私は、喪服を着ているの」
マリーロゼット・トレキア。その名を忘れたことはない。かけがえのない親友だ。
八年前。病弱なマリーは数人の侍女とともにジェノマで静養していた。裕福な家庭に育った彼女は、ビスクドールのようにきれいで、だれからも愛されていた。
優しいマリーは、『魔女』として捕まったリゼリアを、ただひとり助けようとしてくれた。そのせいで自身も魔女と疑われ、リゼリアと同じ火刑柱に縛られたのだ。しかしマリーは平然としていた。
恐らくは、アレクススが助けに来ることを知っていたのだ。
『その子は魔女じゃない。ぼくの大事な妹だ』
火が放たれる直前に駆けつけたアレクススの言葉。あれは、リゼリアではなく、背向かいにいたマリーに向けたものだった。救われるべきは、マリーのほうだった。
リゼリアは、羨ましくて、妬ましくて、たまらなかった。
命懸けで助けてくれるやさしいお兄さん。私も、あの人の妹になりたかったなぁ。
いいな、いいな、うらやましいな、うらやましい、ほしい、ほしいな。
そう思ったら、もう、叫ばずにはいられなかった。
『ねぇ、私も助けてよ』
アレクススが一瞬、リゼリアを見た。
『助けて、おにいちゃん。私を、おにいちゃんの妹にして、助けてッッ』
その瞬間、リゼリアは生まれて初めて力を使った。死にたくない、その一心だった。
朱眼に魅入られたアレクススは、マリーに向けていた笑顔を、そっくりそのまま、リゼリアに向けた。
『もちろんさ、おまえはぼくのかわいい妹だもの』
アレクススは村長に金を渡し、リゼリアを指差して縄を解くよう指示した。
事態が飲み込めない村長は、戸惑いつつマリーはどうするかと尋ねたが、アレクススは「ひとりだけでいい」と再度リゼリアを示した。
当然助けられるものと思っていたマリーは、兄の変貌ぶりに金切り声を上げた。
『お兄ちゃん、助けて。こんな奴じゃなく、私を。私が、妹なんだから』
けれど朱眼に魅入られたアレクススは「おまえなんか知らない」と取り付く島もなかった。
リゼリアが縄を解かれた直後、ボッと音を立てて火は放たれた。
マリーの絶叫を呑み込んで。
「炎に包まれたマリーの顔、私は一生忘れない。驚きと悲しみと憎しみに満ちていた。あの子にとって私は、兄をたぶらかした『魔女』だわ。あの瞬間、私は本物の『魔女』になったのよ」
思い出すとまた、涙があふれ出た。
「だから、このままでいい。もしおにぃさまの手で殺されるなら、本望だわ」
リゼリアは泣きじゃくる。
あのとき、自分はアレクススに進言できたはずだ。「マリーを助けてあげて」と。敢えてそれをしなかったのは、マリーが救われたら再び自分が縛られるかもしれないという恐怖からだった。
「後から知りました。あの当時、処刑する魔女の数が街ごとに定められていたことを。ノルマを守らなければ多額の税金を払わなければならなかった。だから院長先生も街の人たちも苦渋の末に私を選び、思えば処刑まで幽閉されていた数日間、私は空腹に耐えかねることもありませんでした」
死ぬべきは、まちがいなく、自分だった。
予定外のマリーの存在、そして突然覚醒した魔女の力がすべてを狂わせた。
「――もう、許してやれよ。自分を」
黙って話を聞いていたロキは、濡れた黒髪をそっと撫でた。
優しすぎる言葉。そんなことを云われたら、リゼリアの涙は一向に止まらない。先ほどとは違うあたたかい涙がぽろぽろと流れた。
「にぃさまは女性を泣かせるのがお上手ね」
「失礼な。オレは妹以外の女を泣かせたことはない」
ぶっきらぼうな云い方だ。ロキらしい。
リゼリアは涙を拭うと、両手でロキの頬を包んでそっと瞳を覗きこんだ。
「また朱眼をかけるのか? オレには効かないぞ」
「そのようですね。記憶が消えていないのがその証拠。けれど、あなたは逃げようともしない。だからこれは妹ではなく、ひとりの女としてのお願いです」
「な、なんだよ。突然」
ロキはあきらかな動揺をみせた。そんなロキを愛しく思いながら、リゼリアは続けた。
「簡単なことです。もうしばらく、私の兄でいてくださいませんか? そして、私が寝つくまで髪を撫でてくれませんか?」
甘えるように体を寄せると、
「なんだ、そんなことか」
と、ロキは安堵したように息を吐いた。
その夜、リゼリアは幸せな気持ちで眠りに就いた。
そして思い出したのだ。自分にも実の兄がいたことを。
まだ父も母も生きていたころ。リゼリアの家にはある写真が飾られていた。父と母が笑っていて、それぞれの腕には、幼い子どもが抱かれている写真だ。子どものひとりは自分だ。
『もうひとりの、この男の子はだぁれ?』
リゼリアの問いかけに、母はすこし淋しそうに答えた。
『この家には、もうひとり子どもがいたの。ちょっと不思議な力があってね、家が助かるならと、あなたが物心つくまえに王都に出て行ったのよ。名前は――…』
リゼリアは心を躍らせた。自分の知らない、もうひとりの子ども。
いつか会ってみたい。そして、名前を呼んで、抱きしめるんだ。
いつか。




