文殊の知恵には遠くとも/エリック
その日のうちにマーガレットがクラスへ謝罪に来た。
朝の激情が嘘のように落ち着いた、深い深い謝罪であった。不思議なことにその言葉に嘘偽りはない。朝の様子とは真逆である。どのような話し合いをしたのか、エリックは驚いた。
その間リリアは何かを決意したような、しかし悩んでいるような、不思議な表情をしていた。
リリエンタール侯爵家よりカンバーランド男爵家へ正式な抗議文が送られると、マーガレットから聞いていたのか入れ違いのようにすぐにカンバーランド男爵家より連絡が来た。直接謝罪に伺いたいことと、またマーガレットの今後の処遇についての話し合いを設けたいとの内容だ。
リリエンタール侯爵家、フォンドヴォール公爵家、カンバーランド男爵家の三家での話し合いの席が後日設けられることとなった。リリエンタール侯爵もフォンドヴォール公爵も多忙なこと、カンバーランド男爵が遠方に住んでいることにより、少し先の日付が設定された。
「リリア、帰ろう」
「はい!」
登下校を一緒にするようになってから、リリアと一緒にいられる時間が格段に増えた。喜ばしいことだ。しかしやはり最近のリリアは、ほんの少しだけ笑顔が固い。
馬車に乗ってる間も会話はするが、どこか心あらずに見えた。
そんなリリアを見て、エリックは最近思っていたことを告げる。
「君は、僕と結婚するのは重荷だろうか」
驚いたリリアが、キッと強くエリックを見据える。
「婚約解消不可です。却下します」
「違う。婚約解消だけはない」
少し慌てるエリックに、それでは何だと、リリアが困ったような視線を向ける。
「僕だって、公爵家を継ぐのは重荷だと思うこともある」
エリックの言葉に、え、とリリアが目を見開く。その顔に苦笑しながらエリックは続けた。
「領地も領民も、そして飛び込むだろう政治の世界も含めて、僕の肩には数えきれない程の民が乗っている。貴族の模範ともならねばならない。恐ろしいよ。僕個人の感情では動けないが、自分の考えが正しいかどうか、自信が持てないこともあるだろう」
でも、とエリックはリリアをもう一度見る。
「君と会ってから僕は、自分が未熟なことに気づいた。それ故に君を傷つけた。でも手放してはならないものはわかっている。それだけは絶対に手放さないように、僕は動いてきた」
「エリック様……」
「僕は君も、公爵家も大事だ。君もそう思ってくれていることはわかってる。そして多分、僕も君もまだまだ未熟だ。だからこそ君の考えていることを僕は知りたいし、未熟ながらも二人で話せば良い知恵が浮かぶかもしれないな、と思う」
詰まるところは、と続けた。
「前にも言ったけど、一人で考え込まないで欲しい。僕と結婚するからという理由で一人で無理はしないでほしい。僕たちは夫婦になるのだから」
言いたいことは言えた。
目の前の恋人は、いつも一人で悩むのだ。
(まあ確かに僕は……頼り甲斐があったことはないが……)
それでもリリアの悩みを、一緒に真剣に考えたい。
そんな気持ちを込めてリリアを見ると、たっぷり十秒間を置いた後、見惚れるほど綺麗な顔で嬉しそうに頷いた。
◇
マーガレット・カンバーランドの処分が決まった。
リリエンタール侯爵家、フォンドヴォール公爵家、カンバーランド男爵家との三家での話し合いにより、マーガレットは学園からの追放が決まった。
マーガレットは王都から離れたカンバーランド男爵の本邸にて、男爵自らが責任を持ち監視するということを条件に、穏やかな処分となった。
マーガレット自身がどんな罰でも甘んじて受け止めると改心したこともあるが、リリアが両家を説得したことも大きかった。
『ご存知の通り私は以前、貴族令嬢としてあるまじき振る舞いをしておりました。心よりお詫び申し上げます』
震えを隠しながら、リリアは両家の当主とその夫人の前で堂々と発言した。
『ですが私は心を入れ替えました。そして婚姻後はエリック様をお支えしフォンドヴォール公爵家のために尽くします。そのために私は自身の悪評を覆したいと考えております』
『以前のリリアでしたら、この事件を起こしたカンバーランド令嬢のことを決して許しはしなかったでしょう。これを逆手にとり、慈悲深い女性という印象を与えたいと考えております』
両家の威信、許すことによってリリアに後ろ暗いところがあるように見られてしまう可能性があるのでは、と難色を示した両家の当主だが、結局はリリアとエリックの意見に従うこととなった。
エリックの母であるオフィーリアが、自身の名にかけてリリアの評判を覆してみせると言ったからだ。
オフィーリアは、社交界に君臨する支配者である。
その美しさもさることながら、たおやかに微笑み相手を思うように動かす社交力は貴族の間で恐れすら抱かれていた。この国の貴族なら誰でも、彼女は敵に回してはならぬと知っている。
彼女が望むのならばすぐにでも、リリアは『自身を害する者を毅然と諭し許した聖母のような女性』となるだろう。
代わりにマーガレットの評価は地に墜ちる。カンバーランド男爵家は、今後しばらく辛い状況に置かれる筈だった。
それでもリリアは安堵のため息をつき、深く深く、感謝した。
◇
全てが終わった後、帰宅したエリックは久しぶりに母の部屋を訪れた。
「あら、珍しい。あなたがこちらに来るなんて」
我が母ながら、したたかさの見えない完璧な微笑みだった。
「母上にお礼を申し上げます。この度は、ありがとうございました」
「仕方ないでしょう、可愛い我が子のためだもの」
オフィーリアが控えていた侍女に目をやると、心得たようにお茶が用意された。母に促されエリックは椅子に腰掛ける。母と二人でお茶を飲むのは、初めてだ。
「私があの子との婚約解消を願っていたのは知っているでしょう」
「……我が家でそれを願わなかった者はいないでしょう。僕もそうでした」
「そうよね。どう考えても公爵夫人に相応しい子ではなかったもの」
オフィーリアがリリアの振る舞いに顔を顰めていたことは知っていた。悪化していくリリアの評判を放置していたことも。
「けれど、あなたが本気でリリア嬢を大事にし始めて、シャロンもあの子が義姉なら嬉しいと言うのなら絆されるしかないのよね。可愛い我が子のためならば、母は許すしかないんだもの」
ふう、と大きくため息をつくオフィーリアに、エリックは、それだけではないでしょう、と苦笑した。
「母上なら、カンバーランド令嬢がどのような処罰を受けようがリリアの評判を操作することなど容易いでしょう。それなら厳正な罰を望んだ方が、後々良かったのではないですか」
「あなたはまだまだ青いわね」
オフィーリアがふっと笑う。
「カンバーランド令嬢からも謝罪の手紙が来たの。それを見せてもらったけれど、文面からも、あなたの話を聞いても、彼女は本気で自分の罪を悔いているようだった。保身のために書いている文面ではなかったの。それならば、使える手駒は多い方がいいでしょう」
それにね、とオフィーリアは言った。
「自分に敵意のある令嬢を籠絡するなんて、あの子も中々やり手ではないの。成長したご祝儀よ」
形の良い唇をそっと持ち上げ、妖艶に笑う。
オフィーリアが、初めてリリアを認めた瞬間でもあった。
とはいえ、とオフィーリアは真顔になる。
エリックは背筋を伸ばした。
「今回はあなた達もカンバーランド令嬢も学生ゆえ、大事にしたくなかったという理由もあります。あなた達が甘いことには変わりはないの。特にエリック、あなたは本格的に鍛え直さなければなりません。リリアも早急に我が家流の花嫁修行を始めなければいけませんよ」
「……仰る通りです」
母の小言は続く。
エリックは身に覚えがありすぎる正論に頷くことしかできずに、それでも温かな気持ちで母との会話を楽しんだ。





