許さない覚悟/リリア
もしかして、と思った。
何となく最初から感じていた違和感だ。初めて会った時から彼女は、不可解だけど懐かしい単語を話していた。
まとわりつく丈の長い制服は、非常に走りにくい。
まあ、貴族令嬢が走るなんてあり得ないけど。
それでも必死に走っていると、少し先に桃色の髪の毛が跳ねるのを見つけた。声を張り上げる。
「ちょっと待って!ねえ!話したい!」
「こないでよっ……!」
「あの!私、日本人!」
彼女がびたっと立ち止まり、すごい勢いでぐるんと振り向いた。驚きでいっぱいの表情で私を見つめたまま、固まっている。
「私、日本人だった前世の記憶があるの!」
彼女はまじまじと私を見つめ、唇を震わせた。
そして可愛らしい顔がくしゃっと歪む。ぽろぽろ落ちる涙に、私のほうも、泣きたくなった。
◇
あれから大号泣した彼女を、中庭のベンチに連れて行った。教室からは中庭がよく見える。教室の窓からこちらを見ているエリック様に安心してもらえるよう手を振って、私はマーガレットさんと話し合った。
私は少し前に記憶が戻ったこと、人格は前世の自分が強いけれど、記憶はヴェールがかかったみたいに曖昧で、自分の名前や両親の顔、出身なんかはぼやっとしか覚えていないことを話した。
「私は四歳の時に記憶が蘇ったの。私の場合は、あなたよりも記憶がずっと濃くって、自分の名前も両親や日本のことも、凄く覚えてる。元は本谷まひろって言うの。私は十五歳で、やっぱり事故に遭って……」
彼女は俯いてゆるく唇を噛んだ。
「記憶が戻った時、当時やり込んでいた乙女ゲームの中の世界だってすぐに気づいたんだけど、こっちの両親に話してみたら、当たり前だけど信じてもらえなかった。急に大人びた私は気味悪がられて、両親とは疎遠なの。私はばあやと別宅に暮らしてる」
「そっか……」
「ゲームの世界に入り込んだなんて、頭がおかしくなったんじゃないかって、怖くて。本当の私は本谷まひろなのか、それともマーガレットなのかもわからないけど、少なくとも今の私は本谷まひろじゃない。だからマーガレットとして生きようって決意したの」
この世界は異世界だと推測していた私にとって、ゲームの中の世界であるという彼女の話は衝撃だった。彼女の言葉が本当という保証はないけれど、嘘を言っているようには見えない。
彼女はゲームの中の設定を話してくれた。
私であるリリアはヒロインであるマーガレットに、ついさっき教室で彼女が言っていたような嫌がらせを実際に行ったらしい。エリック様と恋仲になったマーガレットはパートナーとして一緒に舞踏会に参列し、リリアの嫌がらせの証拠を集めたエリック様がリリアを断罪、婚約破棄となる。リリアは生涯修道院に幽閉されるそうだ。
他の攻略対象……彼女の話ではアンバー様や、エリック様の弟のアーサー様、後は社交嫌いと名高いデュバル公爵家の嫡男トラヴィス様と、デュバル家の騎士団副団長のグレイさん、がいるそうだけれど、彼女が知り合いになれたのはアンバー様とエリック様だけだった。そしてエリック様は前世での推しだそうだ。わかる。
もしここがゲームの中の世界だとしても、完全にシナリオ通りに進んでいるわけではないらしい。
私が記憶を取り戻さなければエリック様は舞踏会前には婚約破棄をしていただろうし、そうなったらリリアも修道院は……いや、めちゃくちゃ暴れただろうから何らかの罪を犯したかもしれないけど……それでも生涯幽閉という罰は、非常に重い。
侯爵令嬢という身分でその判決を言い渡されるのは、それこそエリック様を傷つけるとか、それくらいのことをしなければ有り得ないと思う。
それを言うと、彼女は頷いた。
「……誰も信じてくれないから、意地になっていたかもしれない。みんなそれぞれ自我があるってことがわかった。ゲームの中の登場人物かもしれないけど、この世界でみんなちゃんと生きてるんだよね……。だから無理矢理シナリオ通りに進めようとしたって、無理だったんだよね」
何も言えずに頷きながら、私は運が良かったんだな、と気づいた。
私はリリアが十八歳の時に記憶を取り戻した。
既に嫌われ者で性悪だったリリアの身で誰かに何かを相談しようとは露ほどにも思わなかったし、その乙女ゲームを知らなかった私は、必要以上に悩むことなく暮らしてこれた。
思い出した記憶が朧げだったのも、この世界をすんなりと受け入れることができた一因だったと思う。
けれどマーガレットさんは、誰かに庇護してもらわなければ生きていけない四歳の体で全てを思い出し、両親に気味が悪いと否定された。
マーガレットさんのやったことを肯定することはできないけど、彼女はもしかしたら私だったのかもしれない。
そう思っていると、マーガレットさんが頭を下げた。
「ひどいことをして、本当にごめんなさい。物を盗んだり、嘘をついて陥れたり、最低だった」
「いや……」
ゲームの登場人物って知ってたら、周りに感情があるなんてこと、私も考えなかったかもしれない……と言うとマーガレットさんが首を振った。
「私も本当は分かってたんだと思う。この世界で十八年間生きてたら流石にさ……ムキになって人を傷つけた私が悪い。改めてエリック様やあなたのクラスにも謝罪に行く」
どことなくさっぱりした顔で、マーガレットさんが吐息を吐いた。
私は何も言えなかった。
以前、エリック様に言われた通り、私にされた嫌がらせはリリエンタール侯爵家とフォンドヴォール公爵家の双方の威信を傷つけるものとなる。
目撃者がいる以上、不問に処すということはできないだろう。特に脛に傷を持つ私は、後ろ暗いところがあるから不問にしたのだと言われかねない。
心が痛むがエリック様の婚約者である今、「これくらい大丈夫だよ」とは、言えなかった。
自分一人の感情で物事を決められる時期は終わった。
多分、婚約とはそういう覚悟が必要な、とても重いことなんだと思う。
私は、何も考えずに過ごしていた日々から、変わらなければならない。





