近づく距離/リリア
「リリア、悪かった、機嫌を直してくれ」
「別に機嫌は悪くないですけど」
「君は可愛い。あれは冗談じゃない、本気だ」
「そうでしょうとも。子犬ですもんね」
「リリア、悪かった!」
謝るエリック様を横目でじろっと睨む。
本当は怒っていない。
物凄く恥ずかしかったけど、エリック様が照れていたのも頬の赤みでわかったのだ。
私のこの意地悪も、照れ隠しだ。
それと、前世の頃みたいに気安く話してみたら距離がぐっと近づいたような気がする。
最近、ちょっと気まずかったから前より親しくなれている感覚が嬉しかった。
明日から会えなくなってしまう私に、神様がくれたご褒美かもしれない。
エリック様が困ったように私の機嫌を取り始めたが、その顔は笑っている。
多分私が本気で怒っていないこともわかってるんだろう。なんだか恋人同士のようだ。
ドキドキして、嬉しくて、少し苦しい。
やっぱり私、この人が好きだ。
「髪の毛のサラサラに免じて水に流しましょう」
「良かった。このまま機嫌が直らなかったら僕はどうすれば良いのかと」
綺麗な顔を綻ばせるエリック様は、楽しそうだ。
私も楽しくなって、ふふっと笑う。
そして、ほんの少しの悲しさが脳裏をよぎる。
どんなに好きになっても、この人は私を選ばない。
「……エリック様、本当はこういうこと、好きな方にしかしないほうが良いと思います」
エリック様の顔が僅かに強張る。
余計なことだったのだろう。楽しい時間に水をさしてしまったけど、慌てて言葉を続ける。
「エリック様にそんなことをされたらみんな好きになってしまいます。気持ちがないなら、他の方にもしてはダメですよ」
エリック様が困った顔で私を見た。
可愛い。
そんな場合ではないのにキュンとする。
「……君にもダメだろうか」
「……ダメ、」
「そうだな。淑女に申し訳なかった。もうしない」
「じゃないです」
「え?」
「ダメじゃないです」
驚きに染まった菫色の瞳と目が合った。
「……私は犬ですから。ダメではないです」
「まだ根に持ってるのか!」
少し大きな声を出すエリック様に笑い声を上げた。彼も少し笑っている。
「私は大丈夫です。好きになっても迫りませんから」
「君になら迫られてもいいんだけどな」
そういうとこやぞ。
かろうじて口には出さず、笑顔でスルーした。
この人は私を、人の良識は取り戻せたけど心は取り戻せてないと思っているのかもしれないなあ。
はあ、とため息をつくと、ふと視線を感じた。
エリック様も気づいたようで、未婚の男女二人ということで開けていたドアを見る。
そこには目の覚めるような、それはそれは美しい少女が立っていた。エリック様の妹であるシャロン様だ。
まだ十四歳の彼女は、微笑ましいものを見るような顔で私達を見ている。
「ごっ……ご無沙汰しております、シャロン様。リリアでございます。お邪魔しておりました」
「リリア様、お久しゅうございます。本日遊びにいらっしゃるかもと伺って、お会いしたく急いで参りました」
シャロン、とエリック様が険のある声を出す。ふふ、と笑う少女は優美だ。気品の固まりだ。輝きがまぶしい。
「あらお兄さま。将来のお姉さまになる方と、わたくしもお話したいのです」
「それは構わないが、盗み見とはお前らしくない」
「ご挨拶申し上げようと参りましたら、お二人とも楽しそうに笑ってらっしゃるものですから驚きましたの。以前はそんなこと、ありませんでしたでしょう?」
物凄く恥ずかしい。気恥ずかしい。
エリック様も恥ずかしいようだ。眉を顰めてる。
シャロン様はどこ吹く風で、お茶にしましょうと誘ってくれた。
◇◇
「すっかり遅くなってしまったな。リリエンタール侯爵も心配されてるだろう」
送っていくといって譲らなかったエリック様と、馬車に乗って家路を辿る。
「エリック様の家に行くと言って言付けを頼んでいますから、大丈夫です。こちらこそ長くお邪魔してしまって」
お茶は美味しく、シャロン様も話し上手でついつい長居してしまった。
「シャロン様、甘いものがお好きなんですね」
「そうだな。僕はそうでもないんだが、甘いものに目がなく、この間も一人でペロリとケーキをーー」
にこやかに話すエリック様を見て私はふふっと笑いが漏れる。
どうした? と不思議そうな顔をする彼に言った。
「以前のクッキー、頂き物と聞いてましたが……私のために用意してくれたんですか?」
そう言うと、一瞬間を置いて「しまった」と言う顔をした。わかりやすさに笑ってしまう。
「あの時、笑顔が増えてくリリアを見ていて、もっと笑わせたくなって。……構いたくなったというか」
「待ってください。その頃から犬扱いしてませんか?」
違う違う、とエリック様が少し焦った。
犬扱いでも、私のために何かしてもらえたのが嬉しい私は気分が良かった。
明日からの一か月、耐えられそうな気がする。
他愛ない話をしていると、馬車はすぐ家の前についた。
降りようとすると、エリック様がエスコートしてくれる。王子様みたいだなとドキドキした。
「……それじゃあ、今日はありがとうございました」
借りた本をぎゅっと手に持ち、さみしい気持ちを隠すように笑顔を作った。
「ああ。楽しかった。またな」
「はい、また」
エリック様は優しく微笑むと、馬車に乗り込んだ。
すぐに馬車が動き出して見えなくなっていく。
あんなに一緒にいたのにもう寂しい。
借りた本を強く抱いて、屋敷の扉を開けた。





