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memory.  作者: 卯月極夜
15/15

15

午後の授業を祖国からの緊急連絡があったと嘯き、一時間遅れで参加したその日を恙無く(遅刻した以外は)終わらせた私は、放課後の活動として緑化委員の仕事を手伝っていた。


とはいえ、種うえは手が汚れてしまうとしきりに反対された為、ジョウロで花壇に水やりをするという単純作業。

フェルミリアの頃にせよ、アウトゲルムにいた頃にせよ、庭の一部を借りて花を育てていたので少し物足りなさは感じるけれど、参加そのものも我儘なので妥協した。


傾きかけた陽の光さえも吸収しそうなほどに空を仰ぐ花々。

それらを折らないよう勢いを調節しながら、恵みを与えていく。


水分を得たばかりの花というのも、光を反射してとても綺麗だ。

そうして空になったジョウロを片手に水道へと歩くと、先客の存在に気付いた。


「精が出るな、姫」

「レオ様!」


思わぬ出会いに自然と顔が綻ぶ。

やはり教室に信頼出来る相手が誰一人いない状況というのはなかなかに苦痛で、こうして兄様やレオ様を見るだけで肩の力がふっと抜けていくのを感じた。


「なぜこちらに?」

「姫がここにいると聞いてな。相変わらず、ガーデニングが趣味とはまた家庭的な姫君だ」

「からかわないで下さい、好きなのですもの」


何を隠そう、かつて花を育てたいから場所と道具が欲しいと直談判した相手こそレオ様。

それまで一度も物を望まず、ただ王女としての教育をこなしてきた私の要望に一瞬彼は面食らっていたみたい。

本当にそんなことでいいのか、と念を押してきた彼の慎重さに笑ってしまった記憶がある。


思えば、レオ様との距離が少し近付いたのはその時からかもしれない。


「アウトゲルムの私の花壇は元気でしょうか…」

「わざわざお前が信頼してるという庭師に頼んでいただろう、何を今更」

「…心配なものは心配なのです。親のような気持ちですわ」

「ほう?それは良い。ならアイツにもやらせてやってくれ、たまには見守る方の気持ちを知った方がいいからな」

「レオ様ったら」


アイツとは兄様のことだろう。

普段自分がしている気苦労と知れという、彼の恨み言なのかもしれない。

満杯になったジョウロを確認して蛇口を捻ると、そこで別れるのかと思いきやレオ様は花壇までやって来た。


「私に御用でしたか?」

「いや、大した用は無い。ただ、見てみたいだけだ。構わないか?」

「ええ、勿論」


あまり面白いものでは無いと思いますが。

そう前置くと、『そうでもない、姫の行動を見ているのはな』と彼は片方の口だけを上げて意地悪く笑ってみせた。

気にせず水遣りをと手で示されたので、お言葉に甘えて花々に向き合う。乾いた土に水が染み込み、色濃く染ってゆく様を満足気に見つめていると、隣にレオ様が並んだ気配がした。


「……きっかけはあるのか?」

「え?」

「ガーデニングに興味が湧いたきっかけだ。先日論文でも植物について触れていただろう。確か……ワスレナグサ、だったか」


その植物の名前に、手が止まる。


「思い出の花です。私と、……ジークの」


声を潜めてその名を告げる。

実際言葉にするのは久し振りで、もうアイリーンの声ではなく私の声で語られるその愛称に懐かしさと同時に少しの違和感すら感じた。

こんなにも、彼から離れてしまった。


ワスレナグサを知ったのも、彼との距離感に悩んでいた頃のことだった。


「まだ婚約して間もない頃、上手く彼と話すことが出来なかった私は焦っていました。“記憶”も覚醒したてで上手く力の調整が出来なくて、熱を出しては数日会えない日々が続いて」


周囲との記憶のずれも大きくなってしまった。

侍女の失言も、両親とのその場限りの口約束も、全て覚えてしまっている私と、忘れてしまう彼ら。


どうして覚えていてくれないのと、癇癪も起こした。


そんな強大な力を持ってしまった私を、やがて両親は腫れ物を扱うように慎重に、最低限の交流しかしないようになり。

その畏怖を、失望からだと勘違いした私は早く王太子様に気に入られなければと必死だった。


「そんな時、彼が見舞いに来て下さって。……お恥ずかしながら私が眠りながら言っていた泣き言を聞いていたらしく、後日小さな花束を届けてくれたのです。それが、ワスレナグサでした」


瞳を閉じれば今もまだ、あの時の幸福が蘇る。

今日はいらしてくれないのねと頬を膨らませていた私を一瞬にして笑顔に変えた、魔法の花。


『私の部屋にも同じ花がある。この花を見たら、必ず君を思い出すだろう。君との思い出も、君の喜びも悲しみも、私は覚えていたい。また元気になったら、私と思い出を作ろう。』


添えられていた、初めて頂いた手書きのカード。

その誓いが、その願いが、たまらなく嬉しくて。


この方は私の願いを叶えてくれる。

それならば私は、彼に相応しい淑女になることでお支えし、お返ししよう。


それが、全ての始まりだった。


完璧な令嬢になることも、王妃教育をこなすことも、魔法を制御し、自在に操れるようになったことも、全ては。


あの御方のためだった。


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