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異世界パラダイス

 

 異世界パラダイス



 あるところに、一人の勇者がいた。


 ――――あぁ。異世界が。異世界の住人が。我らの世界に。我らの世界に――――。


 その勇者は、魔王を倒すために、生まれた土地を離れて旅立つことにした。

 勇者なのだから、それは生まれた時から決まっている定めだった。

 ……やれやれ、今日も、いつもと同じような勇者の一日が始まる。

 勇者は少しうんざりしつつもいつもと同じように旅支度を整え、いつもと同じように自分を育ててくれた里親に最後の挨拶をする。

 「おじさん、おばさん。今までお世話になりました。僕はこれから、世界を破滅に追いやろうとしている魔王を退治する旅に出かけたいと思います」

 その勇者の堂々たる物言いに、勇者の育ての親の二人は、涙を隠して笑顔を作った。

 「うん。頼もしい子だ。気をつけて行っておいで。私たちの寝室に、お前への贈り物を用意しておいた。きっとお前の助けになるから、持っていきなさい」

 「はい。ありがとうございます」

 勇者は二人の言葉に素直に従って寝室へと向かった。

 寝室のど真ん中には、これ見よがしに大きな宝箱がでんと置いてあった。

 何故普通の部屋にこんな宝箱が置いてあるんだという疑問が勇者の脳裏をちらとかすめたが、勇者は気にせず宝箱を開けた。

 宝箱の中には、可愛らしい羽衣を身にまとい、透き通るような肌を持った少女が入っていた。

 背丈は少し小さめだが、キュッとしまった体つきと、その童顔には似合わない高貴な気品さがとても魅力的な少女だった。

 勇者は驚いて少女にたずねる。

 「あなたは。もしかすると、魔王にさらわれ生贄にされようとしていた、お姫様なのでは……」

 勇者の質問に、その可愛らしい少女はうなずく。

 「そう。あたしは魔物にさらわれ、ずっとこの中に封印されてきた。お城に帰りたい……」

 少女はそう言って、うるうると心細そうに勇者に身をすり寄せてきた。

 勇者は少しげんなりとした顔をしたが、さすがに放っておくわけにもいかない。

 勇者はお姫様を連れて旅をすることに決めた。

 

 ――――あぁ。異世界の住人が、異世界の魔力が。我らの世界に。我らの世界に――――。


 勇者は生まれた土地を離れ、広い草原をのんびりと歩いていた。

 隣にごきげんそうなお姫さまを抱えた、穏やかな旅だった。空も雲も、勇者の道のりを祝福するかのような光に満ちていた。

 すると突然、その目の前の光景がフッと不吉に暗くなった。

 勇者が身構えると、途端、目の前に巨大な芋虫のようなワームが出現した。

 ワームは装備を整えた勇者の姿を確認すると、その不気味な触手をざわざわと伸ばし始めた。

 ワームの触覚が細かく震え、大地を揺らすような声を出す。

 「どうもいらっしゃいませ。ここは道具屋です。何にいたしましょうか?」

 勇者は、そのワームの一言に、ほっと胸をなでおろして剣をしまった。

 「……ああ。ありがたいな。丁度アイテムが欲しかったところなんだ」

 その勇者の言葉を聞いたワームは嬉しそうにして、口からアイテムが詰まった袋をでろでろと吐き出す。

 「さあ、どれにいたしましょうか?」

 「うーん。そうだな……」

 ワームが口から吐き出したアイテムを、勇者はじっくりと眺め始めた。

 「じゃあ、この薬草と、そっちの薬草かな。あ、その弓矢もいいね。その宝玉は魔界への扉を開くカギか。じゃあそれも。あとは、空飛ぶくつに、古代より伝わる勇者の剣に、天空都市の地図……」

 ひと通り買いそろえた後、勇者はワームに挨拶をした。

 「ありがとう。おかげでいい買い物が出来たよ。お元気で」

 「へへ。どうもどうも。ところでご存知ですか、勇者さま。近頃この辺りにも、魔王の部下とか称した薄汚い魔物どもが徘徊して、若い少女をさらっていくそうで。恐ろしいことです」

 「……そうだな。この世を破滅に導く魔王は、一刻も早く退治しないとな……」

 怯えたように身を震わす巨大なワームをちらと見上げて、勇者は小さくため息をついた。


 ――――あぁ。異世界の住人が、異世界の魔力が。我らの世界に。我らの世界に――――。

 そこは小さな、しかしかなりの歴史の重みを感じるような教会だった。

 教会の中には一人、神々しい少女の姿をした精霊が、ぶつぶつとうつむきながら呟いている。


 勇者はさっそく、今買ったばかりの空飛ぶくつを装備してみることにした。

 この靴を装備すると、山や谷、道をふさぐ川を無視して、自由に空を飛ぶことが出来るのだ。

 勇者はお姫様を抱きかかえて、空中に飛び上がった。

 「ね、ねえ。そんなふうに強く持たないでよ。恥ずかしいよ」

 すると、勇者に身を任せる形になったお姫様が、ほんのりと頬を赤らめて勇者に言った。

 「いや、そんなことを言っても、お姫様は自分じゃ飛べないでしょう」

 「むぅ~。バカにして。そんなことないもん!飛べるもん!」

 お姫様は少し怒った顔をして、勇者の手を振りほどいて空中に浮かんだ。

 見ると、お姫様の背中からまがまがしい血の色をした悪魔の羽が生えている。

 勇者が少し目を見開くと、羽を生やしたお姫様は言った。

 「すごいでしょ。あたしのお母さんは、誇り高き悪魔貴族の血を引いた悪魔神官なの。だから、私にも羽があるんだよ」

 「はぁ、そうでしたか」

 勇者は少女の得意そうな表情を見て、大して何の驚きもなさそうにそう呟き、山を越え海の向こうへと渡っていった。


 ――――あぁ。異世界の住人が、異世界の魔力が。異世界の魔物が。我らの世界に。我らの世界に。我らの世界に――――。

 精霊は教会で何度も何度も、その清楚に整った顔を悲しみに歪めていた。

 精霊は毎日のように、たった一人で苦しみ続けている。

 苦しみながら、世界に祈りを捧げていた。

 それがこの異形の世界を統べる力を持った精霊の使命なのだ。


 やがて勇者は、お姫様の父親が収めているという、この世界で一番商業が発展している巨大な王国に到着した。一応、騒ぎにならないように、お姫様の頭はフードで覆っておく。

 これだけ大きな国なのだから、さぞ国民たちは活気に満ちあふれた生活を送っていることだろうと勇者は予測していた。

 が、しかしそんなことはなく、国の住人の表情はみなどこかどんよりして暗い。

 おかしいなと思った勇者は、近くを通りかかった人に声をかけてみた。

 「あのー。すみません。みなさん、どうしてそんなに暗い顔をしてらっしゃるんですか?」

 「どうしてだって。あんた、この国の現状を知らないんですか」

 勇者にたずねられた国民は、今にも死にそうな表情を勇者に向けた。

 「この国は盗賊に支配されてるんですよ。毎月の終わりに、人間とは思えないような力を持った盗賊団がやってきて、物から人まで、あらいざらい奪っていく。そんな日々の繰り返しで、人々の心は絶望に染まっている。この国にもう、未来はないんです」

 「えぇ?そんな。あたしたちの国が、今そんなことになってたなんて」

 その話を聞いた心優しいお姫様が、国民に同情して目に涙を浮かべ始めた。

 「ねぇ、勇者さま。この人たちを助けてあげてよ。勇者さまなら出来るでしょ?」

 「ええっ!本当ですか!?」

 お姫様のその言葉を聞いた国民が、不意にパッと目を輝かせた。

 「もし君たちが盗賊を退治してくれたら、国中の人が君たちに感謝しますよ!」

 「うんうん。そうだよね。勇者さまなら大丈夫だよ。で、その盗賊っていうのは、いつどこに出るの?」

 「実は今日来る予定なんです。いや、君たちはタイミングがいいな。神のお導きとしか思えません!それで、肝心の場所はですね……」

 異様にスムーズに、トントン拍子で話が進んでいくさまを横目で見ながら、勇者はげんなりしたように肩を落とした。

 やれやれ、いつもこうだ。

 俺はもっと普通の勇者としての道を歩みたいのに、世界がそれを許してくれない――――。


 ――――あぁ。異世界の魔力が。異世界の魔力が。我らの世界を浸す。我らの世界を侵食してくる。我らの世界に割り入ってくる――――。

 精霊は、この世界の成り立ちを理解している数少ない存在の一つだった。

 だからこそ彼女は、悩み、苦しみ、そして世界を救うための祈りを、天に捧げるのだった。

 それがどんなにはかないものでも、精霊は祈らずにはいられなかった。


 やがて夜になり、黒い津波のような盗賊の集団が、町に押し寄せてきた。

 勇者は怯えきった町人をなだめつつ、勇者の剣を手に持ち、盗賊団に向かっていった。

 「偉大なる賢者、誇り高き英雄、勇者たる我に力を!」

 勇者が剣を天高くかかげると、剣に聖なる光が満ち、一瞬で盗賊たちを打ち払った。

 盗賊たちはみな地面に倒れ伏し、ばたばたと意識を失う。

 仕事を終えた勇者は剣をさやに収めて、ふぅと一息つく。

 「これで、この町も平和になるでしょう」

 「あああ。勇者さま、ありがとうございます。ありがとうございます……」

 勇者が国民のお礼を適当に流して立ち去ろうとすると、宿屋からどたばたと音を立てて、丸々と太った宿屋の主人が駆け出してきた。

 「……物音がしたから来てみたら……。お、おのれ勇者め……。よくも……よくも……」

 「あなたは誰ですか」

 「わしか?……わしはな、この盗賊たちを裏で手引きしていたものだよ」

 宿屋の店主が、ふるふると怒りに身を震わせながら答えた。

 「裏で手引きを?じゃあ、あなたは、この町を裏切って、盗賊団に協力していたということですか」

 「そうだ。わしは盗賊たちのあがりを収めさせ、それで利益を得ていたんだ。しかし、お前が余計なことをしてくれたおかげで、今日限りそれも全てパアだ!」

 宿屋の主人はそう言って、顔を真っ赤にして勇者を睨んだ。

 「許さん!許さんぞ、貴様!殺してやる!絶対に、殺す!」

 「……そうですか。しかしおかしいな。この勇者の剣には邪念を打ち払う力があるから、あなたのような存在は、そこで盗賊たちと一緒になって意識を失うはずなんですが」

 勇者が首を傾げると、「ふっ……。ふっふふふ……」と、店主が不気味に含み笑いを始めた。

 「バカめ!そんな、忌々しい神の加護などがこのわしに通用するか!わしの正体を見せてやろう……!」

 宿屋の店主はそういって魔力を噴出させ、巨大で荘厳な、恐ろしい魔物に変身した。

 宿屋の店主が変身すると同時に、天はまがまがしい雲に覆われ、泣き叫ぶような雷鳴が響き、周囲の大地が恐ろしいうなりを上げて砕け始めた。

 もはや、誰がどう見ても、世界を滅ぼそうとする魔王に他ならなかった。

 「ここで滅ぼしてくれるぞ!忌々しい光の血族!世界を光で満たす勇者め!」

 魔王はすさまじい声でそう叫び、巨大な手を天に掲げ黒い稲妻を呼び出した。

 黒い稲妻は勇者や、その周辺の大地を狙って四方八方に飛び散った。

 世界が砕け、天が泣きわめき、この世のすべてが暗黒に包まれる。

 勇者は雨のように降り注ぐ黒い稲妻をかいくぐり、魔王のふところに素早く潜り込んだ。

 「光よ!剣よ!神々よ!我に力を!我に、聖なる光の雷を!」

 そう言い放った勇者がそこで大きく飛翔し、魔王の心臓めがけて剣を突き出した。

 光で満たされた勇者の剣が、魔王の心臓を鋭く貫いた。


 ――――あぁ。ああ。あぁ。異世界の魔力が。異世界の法則が。異世界の法則が。異世界の力が。我らの世界を乱す。我らの世界を壊す。我らの世界を狂わせていく――――。

 精霊はそこまで言って、ようやくそこで祈ることを止めた。

 見ると、外にはもう深い夜の闇が広がっている。

 一日の祈りのノルマが、ここで終了したのだ。

 精霊は疲れきったようにしてイスに腰かける。

 毎日、毎日、いつ終わるとも知れないこの不毛な作業を精霊は繰り返していた。

 やがて一休みを終えた精霊は、今度はいくぶんかウキウキした表情になって、身づくろいをし始めた。

 勇者さまのもとに行くのだ。勇者さまとお話するのだ。

 自分と同じ数少ない、この世界の成り立ちを知る人物。

 彼と話すことだけが、この精霊の生きる中での唯一の楽しみと言ってよかった。

 精霊は美しい服と化粧を完璧に整えて、少し照れた表情になりながら、一目散に飛んでいった。


 勇者の光の剣によって、魔王の邪悪なる魔力は打ち砕かれ、四散した。

 空は晴れ、大地は息を吹き返し、国は元通りになった。

 世界に平和が戻ったのだ。

 魔王はその邪悪なる魔力を失い、元の人間の姿に戻っていた。

 「ぐ……うぅう……。な、何故だ勇者……。何故私にトドメを刺さない……」

 「まぁ、いかに魔王とはいえ、人の形をしたものをそうそう手にかける気にはならないんだよ」

 魔王が問うと、勇者は返答に困ったように頭をぽりぽりと掻いて口を開いた。

 「お前もこれで魔力を失った普通の人間なんだから、大人しく宿屋をやっているといい」

 「ぐ……。くっ……。くっくくく……。とんだ甘さだな。勇者よ。しかし、そんな甘い貴様だからこそ、貴様はこの世界を救うことが出来たの……か、も……」

 何か決めゼリフっぽいことを言いながら、魔王はそのまますごすごと宿屋に戻っていった。

 役目を終えた勇者が後ろを振り返ると、平和が戻って大喜びしている国民が勇者を迎えた。

 「あああ!ありがとうございます。ありがとうございます勇者さま!本当に、本当に、何とお礼を申し上げたら良いか……」

 「いや。勇者としての役割を果たしただけですよ」

 勇者が自嘲気味にしてそう笑うと、勇者の目の前に、この国を治める王さまが現れた。

 「本当に、ありがとうございました勇者さま。私も、どれほどあなたに感謝をしたら良いか……」

 「ああ!お父さん!」

 王さまが勇者の眼前で感謝の言葉を述べ始めると、勇者の隣にいたお姫さまがフードを外して、声を張り上げ出した。

 「お父さん!お父さんでしょ!?あたしよ。あなたの娘。勇者さまに連れられて、ここまで帰ってこれたの……」

 「……おお。愛しい我が娘!無事に生きていたのか!」

 そう言って、王さまとお姫さまは、お互いに泣きながら抱き合った。

 その場にいた国民もみな泣き崩れた。

 平和は戻り、お姫さまも元に戻った。文句のつけようのないハッピーエンド。やがて泣き止んだ王さまが勇者に言った。

 「本当に、ありがとうございます。あなたには、もはや感謝の言葉も出ない」

 「そうですか。どうも」

 勇者があまり関心なさそうに頭を下げると、王さまは熱っぽい口調で勇者に告げた。

 「あの。こんな願いはぶしつけですが、どうか、娘をもらって私の跡継ぎになってはもらえませんか。この子も、あなたのことは嫌いでないようですし……」

 「え。お、お父さん」

 その話を聞いたお姫さまは真っ赤になりながらも、チラチラと横目で勇者の反応を伺っている。

 「はぁ。では、そちらが是非にと、おっしゃられるのでしたら……」

 勇者が面倒くさそうに答えると、王さまはますます感動して、勇者に頭を下げた。

 「おお!本当ですか。ではどうぞ今日はこの町の宿屋にお泊まりください。自慢ではないですが、ここの宿屋は、この町一番の名物でして、その立派さと言ったらそれはもう……」

 「ああ、わ、わかりました。ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」

 勇者は、長くなりそうな王さまの話を適当にかわして宿屋に向かった。

 宿屋に入ると、中から、丸々と太った宿屋の店主がにこにこ笑って駆け出してきた。

 「ようこそいらっしゃいました。ここは旅人の宿屋です。お泊りになられますか?」

 「うん。二階の、窓のある部屋がいいかな」

 「かしこまりました。ではごゆっくり……」

 宿屋の店主に案内された部屋のベッドに寝転び、勇者は一日の疲れを癒やそうとした。

 やれやれ。今日も、いろんなことがあったな。

 宝箱から出てくるお姫さま。ワームの行商人。悪魔のお姫さま。盗賊。宿屋の店主の魔王。唐突な世界の終わりと、それを救ってのエンディング。

 どれもこれも、正気とは思えないようなルートをたどってのイベントだった。

 くだらないし、アホらしい。とてもやる意味のあるものとは思えない……。

 「お疲れのようですね」

 勇者が回想にふけっていると、いつの間にか窓には、この世のものとは思えない美しさをたたえた精霊がたたずんでいた。勇者は精霊に話しかける。

 「ああ。今日も来たんですか」

 「は、はい。……あ、あの……。ご迷惑、でしたでしょうか……?」

 勇者の素っ気ない返事に、精霊がしゅんとした表情を見せた。

 その顔を見た勇者が、慌てたように起き上がって片手を振る。

 「え、ああ。い、いえいえいえいえ。そんなことないですよ。僕も、一日一回はあなたと話さないと、気が狂ってしまいそうですから」

 その言葉を聞いた精霊が、とても嬉しそうにして満面に笑みを浮かべた。

 「それにしても、もう少し何とかならないもんですかねぇ。この世界の現状」

 その屈託の無い笑顔を見た勇者が、困ったように頬を掻いて口を開いた。

 「僕は一応勇者だからこの世界を救う仕事に従事してますけど、でも救っても救ってもキリがない。救った先からまた異世界のデータが入り込んできて、今までの冒険の記録がリセットされるんですから。しかも、回数を繰り返すごとにどんどん異世界の魔力が流入してきて、こっちの世界は際限なくメチャクチャになっていく」

 「私も、異世界の魔力を弱めるための努力はしているのですけど」

 勇者のグチを聞いた精霊が、悲しそうな表情を浮かべた。

 こんなことになったのは数年前、この世界に異次元の穴が開き、異世界の魔力が入り込んできたことがきっかけだった。

 それまでのこの世界は、魔王がいて、勇者がいた普通の世界――――と、言ってはおかしいが、とにかくちゃんと首尾一貫した世界ではあった。

 平和な世界がまずある。そこに、世界を滅ぼそうとする魔王が現れる。その魔王を退治すべく勇者が旅立つ。勇者が平和を取り戻す。

 数世代ごとにそんなサイクルを繰り返す、ごくごく普通(?)の、剣と魔法の世界だったのだ。

 しかし、異世界の魔力が入ってきてからは話が変わった。

 異世界の魔力は、この世界に本来あるべき秩序を歪めてしまったのだ。

 異世界の情報、異世界の魔物、異世界の人間、異世界の行動規則。そのようなものが魔力の波に乗って、無理やりにこの世界との融合を果たしてしまったのだ。

 異世界のワームとこの世界の行商人が融合して行商ワームが生まれて、異世界の姫とこの世界のミミックが融合して宝箱から出てくる姫が生まれて、異世界の魔王とこの世界の宿屋が融合して宿屋の魔王が生まれて……。

 そうやって、この世界の秩序は次々と乱れていった。

 要するにわかりやすく言えば、今のこの世界は、異世界の魔力情報が入り込んできたせいでバグまみれのクソゲーワールドになってしまっているということなのだ。

 しかもセーブは不可。日が沈みまた登ると、そこにはまた新たな世界が広がっているのだ。

 異世界のフィールドが新たに展開されているのか、この世界が異世界の魔力を浴びて変質したのか、時空が歪んで最初にリセットされるのか、ここまで行くと、わけがわからない。

 だからこの勇者は毎日のようにこうして世界を救うプレイングを繰り返し、この精霊は異世界の影響を弱めるために、毎日天に祈りを捧げる行為を繰り返す。

 終わりの来ない異世界の冒険ゲームを、延々と繰り返しているのだ。

 二人はその後、お互いに顔を合わせて食事を取り、ため息をつき、ぼちぼちと語り合い、そして最後に二人そろって情けなく笑った。

 「では私は、そろそろ帰ります」

 しばらくすると、精霊が満足したようにすっくと立ち上がった。

 「今日もあなたに会えて嬉しかったです。お互い頑張りましょう。この世界を守るために」

 「ああ。そうですか。はい。ではさようなら、精霊さま」

 勇者があいさつをすると、精霊は照れたように頬を紅潮させ、焦った素振りで窓からふわりと飛び去っていった。

 一人残された勇者は、再びベッドに横たわり少し考え込み始めた。

 「まったく、一体いつまで、こんなクソゲーを続けさせるんだ。あの精霊さまはいい人だが、あまり頼りがいはないし自信もなさそうだし……」

 勇者は情けなく首を振って、独り言をぼそぼそとつぶやき始めた。

 「……多分、あの人に異世界の魔力を完全に根絶させることは出来ないんだろうなぁ。あの様子じゃ、抑えこむのが精一杯なんだろう。とすると、俺はまだまだ当分の間こうやって、同じように世界を救い続けるハメになるわけか……」

 勇者はそこで一つ大きなため息をつくが、しばらくすると思い直したようにして首を振った。

 「……でもまぁ、俺もこの世界の冒険がそこまで嫌というわけでもないんだよなぁ。面白いことは面白いんだし、昔の英雄たちがしてこなかった冒険をしていることは確か、か……」

 勇者はそこで、ちょっと苦笑いをした。

 「……それに、永遠にこんな状態が永遠に続くはずもない。いずれ終わりは来る。異世界の魔力がこの世界に入りきり、この世界が完全に異世界の魔力に征服されたとき。そのときがこの変化の終わりのときだ。そうなったとき、この世界がどうなっているか。それを見届けるまではこの世界を守っていろと言うことなんだろう。この世界の勇者として……」

 勇者はそこまで口にして、深い眠りについた。


 次の日、勇者が目覚めると、勇者は小さな木のベッドの上で寝ていた。

 周囲には、原生林のような木々が立ち並んでいる。

 昨日までの冒険のデータはリセットされ、異世界のバグデータがさらに流入した、新たな冒険の舞台が、勇者の目の前に広がっていた。

 今回は、勇者としての使命に目覚めるまで、俺は今までここで木々に守られながら暮らしていた何も知らない田舎の少年、という設定なのだろう。そしてここから、勇者の使命に目覚める新たなる冒険が始まるのだ。勇者は即座に理解して立ち上がった。

 勇者はそこで素早く身支度を整え、部屋の外にいた一組の男女に話しかける。

 「おじさん、おばさん。今までお世話になりました……」


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