1 出会い
「こんなものすべて捨ててしまえ。」
その男、ルーカス・ブリューゲルは執務机から崩れるほどに積まれた姿絵の山にほとほと嫌気がさしていた。遠くから見れば、艶やかな彼の黒髪だけが書類から飛び出しているように見えるだろう。
「だめです。王からのお達しなんですから、せめて見合いの候補者が決まるまで部屋から出られませんよ。はい、次の令嬢です。」
ルーカスの従者、ヨゼフはまるで気にすることなく、令嬢の姿絵と釣書が載った書類を開いて、主人の前に差し出す。
「せめて、体を動かしていいか。3日も部屋に籠ると体が鈍っちまう。」
「そうやって逃げるおつもりでしょう。私はルーカス様がこーんなにちっこくて、よちよち歩きしていたころからの付き合いなんですから、わかるんですよ。」
ヨゼフは肩を回しているルーカスを一瞥すると、その口に弧を描く。
「そんなに小さかったことないが?嘘はつくなよ。」
ルーカスはその緋色の瞳を揺らしながら、揚げ足を取る。
「はいはい。とりあえず見てくださいよ。」
ヨゼフは慣れた様子で、気にせず次の書類を差し出した。
ルーカスは大国ブリューゲル王国の第1王子であり、齢は16となるも、浮いた話ひとつない人だった。これまでも、王子の妃にならんとする令嬢たちや、娘を利用してのし上がろうとする貴族たちからの誘いは絶えなかったが、剣術や勉学を理由にして回避してきた。
だが、国王の跡を継ぐ者はルーカスただ一人しかおらず、さすがに心配になった国王から見合いを決めるまでは部屋から出るなと閉じ込められてしまったのだ。
「おっと、これは珍しい。」
溜息を吐くルーカスとは対照的に、ヨゼフは次々と見合いの書類を次から次へと引き出しては眺めている。
「お前は楽しそうだな。」
「いやいや、これを見てくださいよ。」
ヨゼフが1通の手紙を差し出す。
「手紙?」
裏返すと、アーべライン王国の封蝋があり、それはかつて学友であったテオドール・アーべライン第2王子からのものであった。
「見合いを希望するのに姿絵も送らないとは。」
中身を確認したルーカスは顎に手を置き、一考すると口の端を上げる。
「これはいい、こいつにしよう。」
◇ ◇ ◇
「で、ルカが逃げ出すために私が送った見合い話を利用したのか。」
明るい金色の髪を揺らしながら、テオドール第2王子は大口を開けて笑う。アーべライン王国に着いたルーカスは、昼間から彼と酒を酌み交わしていた。ガラスの瓶が照らされた光を反射し、テーブルにステンドグラスのような模様を描いている。
「そういうなよ、テオ。」
ルーカスは図星を突かれ、バツが悪そうな顔をする。彼は誤魔化すようにワイングラスをくるくると回した。
「どちらにせよ、令嬢とは一応会わないといけないだろう?」
テオドールはさっさと侍従を呼びつけて、伝令を出す。ルーカスは侍従が下がったことを確認すると、口に手を添えて、ささやき声で尋ねた。
「それで、その令嬢が婚約者を妹に取られたというのはどういう経緯なんだ?」
話のタネにするには憚られる内容だが、手紙には詳しい事情は記載がなかったので直接話を聞くしかない。
「なんだ、真面目に見合いをするつもりもないのに気になるのか。」
テオドールは肩をすくめる。
「まあいいさ。彼女は二人姉妹だったから、オルレイア公爵家の3男を婿にもらう予定だったんだが、半年前に全治3か月の怪我を負ってな……。」
テオドールは言い淀むと、その瑠璃色の瞳を左右に揺らす。
傷物になったその令嬢は婚約破棄され、家とのつながりを重視して、そのまま妹を婚約者にあてがったということだろうか。ルーカスは思案する。
いつの間にか侍女が部屋に入ってきていたようで、テオドールは湯気の立った紅茶を啜っている。淡い桃色の髪を一つに束ねた侍女は白魚のような美しい手でカトラリーを並べている。一礼を取ると、ワゴンを引いて去っていく。
「あの侍女が気になったか?」
テオドールはサンドイッチを食べながら尋ねてきた。ルーカスが侍女を見つめていたことに気が付いていたようだ。
「いや、侍女にしては手が綺麗すぎるなと。」
「ああ、新人なんだ。」
「王子付きの侍女に新人が付くとは聞いたことがないな。テオのお手付きか?」
ルーカスが揶揄するように、ほくそ笑む。
「断じて違う。もうそれはいいだろう。」
テオドールは振られたくない話題の様で、無理に会話を終わらせようとした。その間、ルーカスはソースのかかったサーモンから器用にオリーブだけを落とし、残りをフォークに絡めて、咀嚼する。珍しく狼狽えるテオドールをからかってやろうか、と口を開こうとすれば、外からノックする音が聞こえる。
テオドールが入室を許すと、ドアがゆっくりと開かれた。
「失礼します、王宮会計第2課会計官マリアンヌ・リリューです。」
その声とともに、柔らかな赤髪を揺らし、エメラルドのように美しい瞳を持つ少女が現れた。彼女は制服を身に纏い、会計官らしく手にはインクの跡が残る。花嫁修業と称して令嬢たちが王宮で働くことがあるが、侍女ではなく会計官として働くとは、かなり優秀な令嬢なのではないだろうか。
「もともと領地経営もしておりましたから、会計官に任じられておりますの。」
ルーカスの思考を読み取ったかのようにマリアンヌが答える。
「あら、違いまして?」
マリアンヌはおどけたような表情を見せた。婚約破棄されてから日も浅いというのに、明るい表情を見せる彼女にルーカスは目を点にした。
「マリアンヌ、こちらはブリューゲル王国のルーカス・ブリューゲル第1王子だ。私が向こうの王国に留学していた時に仲良くしてもらっていたんだ。」
「ああ、テオがよく話していた方ですね。それは失礼いたしましたわ。」
「?」
二人の気安い関係にルーカスがついていけずにいると、テオドールが補足する。
「マリアンヌは私のいとこになるんだ。父の妹がリリュー公爵家に嫁いでいてね、王宮にもよく遊びに来ていたから幼馴染みたいなもんだよ。」
「なるほどな。」
「マリアンヌ、こいつは見合いを決めるまで部屋から抜け出せないからと、俺が送った見合い話を利用して酒を飲みに来たんだ。それでお前に顔を出してもらったって訳だ。」
「おい、テオ。」
ルーカスはテオドールがあまりにも事情を素直に話すので流石に気が引けてしまう。本当のことであれ、令嬢に失礼だと思わないのだろうか。
マリアンヌはテーブルの上の酒瓶に気が付いたようで、困った顔をする。
「もういいぞ、仕事もあるんだろう。」
ルーカスが自分の手を指さし、マリアンヌの手に残るインク跡を指し示すと、彼女はやっとそれに気が付いたようで頬を赤らめる。
「そんなに熱心な会計官を引き留めて悪かった。」
ルーカスの言葉にマリアンヌは美しい礼を取る。
彼女が立ち去ろうとする様子を見ながら、ルーカスは伸びをし、テオドールに話しかけた。
「そうだ、体が鈍って仕方がなかったんだ。テオ、剣の相手をしてくれよ。」
「えぇー、ルカは加減をしないから嫌なんだよ。」
テオドールは顔を引きつらせて、首を振る。彼はルーカスよりも小柄ではあるが、加減をせずに剣の相手ができる数少ない相手なのだ。
「つまらないな。」
頬杖をついたルーカスが残念そうに声を上げる。
「でしたら、私と勝負いたしませんか。」
廊下から女性の声が上がる。二人が振り向くと、マリアンヌがドアからひょっこりと顔を出し、公爵令嬢らしからぬ太陽のような笑みを湛えていた。
全4話です。
続きは明日19時に投稿します。
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