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右近と左近  作者: 双鶴


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第34話 海の果て、光の岸辺(高山右近視点)

 慶長十九年十二月。

 長崎の海は、冬の風に荒れながらも、どこか澄んでいた。


 右近は、

 その海を前に静かに立っていた。


 徳川家康の追放令により、

 右近は加賀を離れ、

 長崎へと向かい、

 そして今――

 海の向こうへ送られようとしていた。


 右近の周囲には、

 同じく追放を命じられたキリシタンたちがいた。


 内藤如安。

 その家族。

 老いた者も、若い者も、

 子どもを抱いた母もいた。


 皆、

 静かに海を見つめていた。


 泣き叫ぶ者はいない。

 怒りを露わにする者もいない。


 ただ、

 祈りと沈黙だけがあった。


 右近は、

 その沈黙の重さを胸に受け止めた。


 ――これが、我らの行く末か。


 だが、

 その胸の奥には、

 不思議と恐れはなかった。


 


 船が動き出した。


 長崎の港が遠ざかる。

 日本の山々が霞んでいく。

 海風が頬を打ち、

 波が船底を叩く。


 右近は、

 甲板に立ち、

 静かに十字を切った。


 懐には、

 左近の懐剣があった。


 その重みは、

 右近の心を支えていた。


 内藤如安が近づいてきた。


「右近殿……

 我らは、どこへ行くのでしょうな」


「マニラと聞きます。

 神の御心のままに」


 如安は頷き、

 空を見上げた。


「右近殿は……恐ろしくはないのですか」


 右近は、

 少しだけ微笑んだ。


「恐れは……とうに捨てました。

 信仰を捨てぬと決めた時から」


 如安は深く頭を下げた。


「右近殿のような方と共に旅ができること……

 それが、我らの救いでございます」


 右近は何も言わなかった。

 ただ、海を見つめた。


 波は果てしなく続き、

 空はどこまでも広がっていた。


 日本を離れる痛みはあった。

 だが、

 その痛みの奥に、

 小さな光があった。


 ――和友。

 お前の魂は、今も私と共にある。


 右近は懐剣を握りしめた。


 


 船旅は長く、

 波は荒れ、

 風は冷たかった。


 だが、

 右近は毎日祈りを捧げた。


 祈りは、

 かつてのように力強くはなかった。


 だが、

 静かで、深く、

 海の底へ沈んでいくような祈りだった。


 如安の家族も、

 他の追放者たちも、

 右近の祈りに合わせて静かに目を閉じた。


 船の上で、

 右近は再び“導く者”となっていた。


 


 十二月。

 マニラの海が見えた。


 その光景は、

 右近の胸を打った。


 青い海。

 白い砂浜。

 高くそびえる椰子の木。

 陽光は眩しく、

 空はどこまでも澄んでいた。


 日本の冬とはまるで違う世界。


 船が港に着くと、

 そこには多くの人々が集まっていた。


 スペインの総督、

 フアン・デ・シルバ。


 司祭たち。

 兵士たち。

 町の人々。


 皆が、

 右近を迎えるために並んでいた。


 シルバ総督は、

 右近を見るなり歩み寄り、

 深く頭を下げた。


「高山右近殿。

 あなたの名は、

 イエズス会の報告で何度も聞いております。

 あなたの信仰、あなたの生き様……

 我らは心から敬意を抱いております」


 右近は驚いた。


 追放され、

 祖国を追われ、

 すべてを失った自分が――

 この地では“英雄”として迎えられている。


 シルバは続けた。


「あなたの到着は、

 マニラにとって祝福です。

 どうか、我らと共に歩んでください」


 右近は、

 静かに頭を下げた。


「……神の御心のままに」


 その瞬間、

 右近の胸に、

 新たな光が灯った。


 それは、

 祖国を失った者だけが見つける、

 静かで、しかし確かな光だった。


 右近は、

 マニラの空を見上げた。


 その空は、

 どこまでも青く、

 どこまでも広かった。


 ――ここが、

 私の最後の地となるのか。


 右近は、

 懐の懐剣をそっと握りしめた。


 左近の魂と共に、

 新たな地で、

 新たな祈りが始まろうとしていた。


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