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右近と左近  作者: 双鶴


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第16話 堺に落ちた火、山崎に昇る光(高山右近視点)

 天正十年六月二日。

 堺の町は、初夏の陽光に包まれていた。


 南蛮船の帆が軋み、

 商人たちの声が飛び交い、

 香辛料と油の匂いが混ざり合う。

 堺はいつも通りの繁栄を見せていた。


 だが――

 その静けさは、突如として破られた。


「右近様! 大事にございます!」


 教会の門を叩く声。

 右近が扉を開くと、使者の顔は蒼白だった。


「本能寺で謀叛です!

 信長公が……討たれたと!」


 右近の胸に、

 冷たい刃が突き刺さったような衝撃が走った。


「誰の手によってだ」


「明智光秀……とのことにございます」


 右近は息を呑んだ。


 光秀――

 あの温厚で礼節を重んじる武将が?


 信じがたい。

 だが、事実であれば、

 天下は一夜にして崩れ落ちたことになる。


 


 右近は教会に戻り、

 宣教師たちと短く言葉を交わした。


 彼らの顔には恐怖が浮かんでいた。


 信長の死は、

 キリシタンにとっても重大な危機である。


 右近は静かに言った。


「私は光秀公にはつきません。

 謀叛は、キリシタンの教えに背く行為です。

 主家に弓を引くことは、私にはできません」


 宣教師たちは深く頷いた。


 右近はすぐに堺を発ち、

 高槻へ戻った。


 


 高槻城下は混乱していた。


 光秀の使者が来ていたという。

 右近に協力を求めるためだ。


 だが右近は、

 迷わなかった。


「光秀公には従わぬ。

 我らは秀吉公のもとへ向かう」


 家臣たちは驚いたが、

 右近の決意は揺るがなかった。


 右近は馬に跨り、

 高槻を後にした。


 初夏の風が頬を打ち、

 馬の蹄が土を蹴り上げる。


 胸の奥には、

 信長の死の衝撃と、

 秀吉という男への不安が渦巻いていた。


 だが、

 今は迷っている暇はない。


 天下は、

 すでに動き始めている。


 


 六月十三日。

 山崎。


 天王山の麓に、

 秀吉の大軍が集結していた。


 右近は秀吉の幕下に入り、

 先鋒の一角を任された。



 戦場には、

 湿った土の匂い、

 兵たちの息遣い、

 旗指物が風に揺れる音が満ちていた。


 右近は胸の奥で静かに祈った。


 ――信長公。

 どうか見守りください。


 秀吉の陣太鼓が鳴り響いた。


「進めぇぇぇい!」


 右近は馬の腹を蹴った。


 高山勢が動き出す。


 光秀の軍勢が、

 天王山の向こうに揺れて見えた。


 矢が飛び、

 火縄銃の火花が散り、

 土煙が舞う。


 右近は槍を構え、

 敵陣へ突入した。


 刃がぶつかる音、

 血の匂い、

 叫び声。


 そのすべてが、

 信長の死を弔うかのように重く響いた。


 右近は叫んだ。


「信長公の御恩を忘れるな!

 退くな、押し返せ!」


 高山勢は奮戦し、

 光秀軍の一角を崩した。


 その瞬間、

 天王山を制した秀吉軍が側面から突撃した。


 光秀軍は総崩れとなり、

 やがて敗走した。


 山崎の空に、

 勝鬨が響いた。


 右近は馬上で静かに目を閉じた。


 ――信長公。

 これで、ひとつの区切りがつきました。


 だが、

 胸の奥には、

 言葉にできぬ不安が残っていた。


 秀吉という男が、

 これから天下の中心に立つ。


 その未来が、

 右近にはどうしても明るく見えなかった。


 山崎の風は、

 初夏の匂いを含みながらも、

 どこか冷たかった。


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