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右近と左近  作者: 双鶴


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第10話 闇に揺れる灯(高山右近視点)

 天正六年、十月。

 摂津の空は、秋の冷気を孕んで重く垂れ込めていた。

 芥川の水面には薄い霧が立ちこめ、

 風が吹くたびに白い波紋が揺れる。


 その静けさを破ったのは、

 荒木村重謀反の報せだった。


「村重様が……信長公に背かれたと……!」


 使者の声は震え、

 馬の汗と土の匂いが強く漂っていた。

 右近はその場で息を呑んだ。


 荒木村重――

 摂津国を預かる大名であり、

 右近の父・友照を重用し、

 右近自身も深く信頼していた主君である。


 その村重が、

 信長に反旗を翻した。


 右近の胸に、

 冷たいものが落ちた。


 ――なぜだ。


 村重の居城、有岡城はすでに閉ざされ、

 家臣たちが慌ただしく兵を集めているという。

 摂津の空気は、一夜にして血の匂いを帯びた。


 右近はすぐに決断した。


「村重様を翻意させねばならぬ」


 父・友照は眉をひそめた。


「右近……危険すぎる」


「それでも、行かねばなりません。

 このままでは摂津は焼け野原となりましょう」


 右近は、誠意を示すために、

 妹と息子を人質として有岡城へ送ることを決めた。


 妹は静かに頷き、

 幼い息子は右近の手を握った。


 その小さな手の温もりが、

 右近の胸を締めつけた。


 ――必ず、無事に戻す。


 右近は心に誓い、

 有岡城へ向かった。


 城門は固く閉ざされ、

 櫓には弓兵が立ち、

 火縄の煙が白く漂っている。

 城の石垣は冷たく、

 その冷気が右近の肌に刺さった。


 村重は、

 右近の説得に耳を貸さなかった。


「右近。

 わしは信長に従うつもりはない。

 この道を選んだ以上、戻ることはできぬ」


 その声は静かだったが、

 その静けさがかえって深い決意を感じさせた。


 右近は言葉を失った。


 村重は、

 もはや誰の声も届かぬ場所にいた。


 右近は城を後にし、

 芥川城へ戻る道すがら、

 胸の奥に重い影が沈んでいくのを感じた。


 ――どうすべきか。


 村重への忠義。

 信長への恩義。

 摂津の民の命。

 そして、自らの信仰。


 そのすべてが、

 右近の心を引き裂いていた。


 その夜、

 右近は安土から来ていたイエズス会の宣教師、

 オルガンティノ神父を訪ねた。


 天主堂の中は静かで、

 蝋燭の炎が揺れ、

 香の匂いが淡く漂っていた。


 神父は右近の顔を見るなり、

 すべてを察したように微笑んだ。


「右近殿。

 心が揺れておられるようですね」


 右近は深く頭を垂れた。


「村重様を裏切ることは……

 私には、あまりに重いことです。

 しかし、このままでは摂津が滅びます。

 どうすればよいのか……」


 神父は静かに言った。


「正義は、信長公にあります。

 しかし――

 決めるのはあなたです。

 よく祈り、

 心の奥底にある声を聞きなさい」


 蝋燭の炎が揺れ、

 右近の影が壁に長く伸びた。


 その影は、

 まるで二つの道の間で揺れる心そのもののようだった。


 右近は目を閉じ、

 静かに祈った。


 摂津の夜風が、

 天主堂の扉をわずかに揺らした。


 その音は、

 右近の胸に沈む迷いを

 さらに深く響かせるようだった。


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