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右近と左近  作者: 双鶴


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第1話 夕暮れの世田谷(俯瞰視点)

 放課後の校舎には、まだ昼の熱がわずかに残っていた。

 廊下の窓から差し込む光は傾き、床に長い影を落としている。

 春の終わりの風が、開け放たれた教室の扉を揺らし、チョークの粉と紙の匂いをそっと運んだ。


 橘重友は、昇降口で靴を履き替えながら、ふと外の空気を吸い込んだ。

 夕暮れの匂い――少し湿った土と、どこか甘い花の香りが混ざった、春特有の匂い。

 それは、今日が終わりに向かっていることを静かに告げていた。


 校門を出ると、桜和友が待っていた。

 片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で制服の襟を扇ぐようにしている。

 部活帰りの熱がまだ身体に残っているのか、頬が少し赤い。


「おっ、重友。遅かったな」


「先生に捕まってただけだよ。プリントの配布頼まれて」


「真面目だなあ、お前は」


 和友は笑い、重友も小さく笑った。

 その笑いは、長い付き合いの中で自然に形づくられた“呼吸の一致”のようなものだった。


 二人は並んで歩き出す。

 世田谷の住宅街へ続く坂道は、夕陽に照らされて柔らかい橙色に染まっていた。

 アスファルトは昼間の熱をまだ少しだけ残していて、靴底にじんわりと温度が伝わる。


 和友が空を見上げた。


「今日の空、やばくね? ほら、あの雲の縁、金色になってる」


 重友も視線を上げる。

 空は、茜と群青の境目がゆっくりと溶け合い、雲の輪郭が本当に金色に光っていた。

 まるで誰かが筆で縁取ったような、繊細な光。


「……きれいだな」


「だろ? 写真撮っときゃよかった。スマホ、昼にバッテリー切れたんだよ」


「また明日撮ればいい」


「いや、今日のは今日だけだって。明日は違う空だろ」


 和友の言葉に、重友は少しだけ目を細めた。

 その横顔は、夕陽に照らされてどこか大人びて見えた。


「そういうところ、変わらないな」


「褒めてんのか、それ」


「どうだろうね」


 二人はまた歩き出す。

 坂道を下るたびに、街の匂いが変わっていく。

 パン屋の甘い香り、夕飯の支度の匂い、車の排気の生温かい匂い。

 それらが混ざり合い、春の夕暮れ特有の“帰り道の匂い”をつくっていた。


 踏切の音が遠くから聞こえてくる。

 カン、カン、カン――。

 そのリズムに合わせるように、和友が小さく鼻歌を歌い始めた。


「今日さ、体育のシャトルラン、重友めっちゃ頑張ってたよな」


「別に。普通だよ」


「いやいや、あれは普通じゃねえって。俺、途中で倒れるかと思ったし」


「大げさだよ」


「大げさじゃねえって。お前、意外と負けず嫌いだよな」


「……そうかもな」


 重友は素直に認めるでもなく、否定するでもなく、曖昧に笑った。

 その笑い方を、和友は昔から知っている。


 駅のホームに着くと、ちょうど電車が滑り込んできた。

 ドアが開くと、温かい車内の空気がふわりと流れ出し、二人の頬を撫でた。


 乗り込むと、夕方特有の混雑で、制服姿の学生や仕事帰りの大人たちが揺れに身を任せていた。

 吊り革の金属は少し冷たく、電車の振動が手のひらに細かく伝わる。


 窓の外では、街の灯りがひとつ、またひとつと点り始めていた。

 夕陽はすでに沈みかけ、空は深い群青へと変わりつつある。


「なあ、重友」


「ん?」


「俺たちさ……なんか、ずっと一緒だよな。小学校からずっと」


「そうだな」


「なんかさ、変な感じだよな。偶然っていうか……運命っていうか」


 重友は少しだけ目を伏せた。

 その表情は、夕暮れの光に照らされて、どこか静かだった。


「運命なんて、大げさだよ」


「いや、俺は結構そういうの信じるタイプなんだよ」


「知ってるよ」


 二人はまた笑った。

 その笑い声は、電車の揺れに溶けていく。


 電車が速度を落とし、前方に黒い影が迫る。

 トンネルだ。


 車内の照明がわずかに揺らぎ、

 風圧が変わり、

 低い轟音が響き始める。


 重友が口を開きかけた。


「なあ、和友…」


 その瞬間。


 視界が、音が、空気が、

 すべて、闇に飲まれた。


 夕暮れの匂いも、電車の揺れも、

 二人の声も、

 すべてが一度に断ち切られた。


 そして

 世界は静かになった。


 


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