第7話 俺、信じてるよ
(……やばい。)
財布の中身を見た瞬間、絶望した。
小銭、数枚。
千円札すらない。
あんなに頑張ったバイト代が、推し活で蒸発していた。
(そりゃそうだよな……。)
ライブ、対バン、イベント、物販、特典券──。思い返せば、前以上に、すべて全力で突っ込んでた。
推しのためなら、何も惜しくなかった。
それが、当たり前だった。
でも、本物の限界は、意外とあっさりやってきた。
(このままじゃ、マジで死ぬ……。)
恐る恐る、クレカのアプリを開く。
──エラー表示。
(……え?)
もう一回リロード。
──利用可能額、0円。
(……え????)
スマホを持つ手が震えた。
いやいやいや、ちょっと待て。
せめて、あと数千円は残ってるはず──!
ログインし直しても、結果は同じだった。
限度額、見事に、吹っ飛んでいた。
(うそだろ……。)
部屋の隅で、ぺらんと転がる空っぽの財布。そして、限界突破したクレジットカード。
ダブルで俺を嘲笑っていた。
(終わった……俺の経済活動、終了のお知らせ……。)
その場に崩れ落ちそうになりながら、それでも、思った。
(……単独ライブだけは、絶対に……!)
歯を食いしばった。
ここで引けるかよ。
あの笑顔を、守るって決めたんだ。
背中に、ぽつりと冷たい不安が降りたけど、振り払った。
大丈夫。
推しは、裏切らない。
俺も、裏切らない。
俺は、推し活を少しセーブすることにした。
単独ライブに全力を注ぐため。
そう決めたはずだった。
でも──。
特典会の写真レポを見るたびに、胸がちくりと痛んだ。
(まゆちゃん、今日もかわいいな……。)
笑顔でポーズを決めるまゆちゃん。
ハートポーズに応えるふわふわの笑顔。
そこに、俺はいない。
(当たり前だよな。)
金が尽きたんだ。イベントに出る余裕なんてない。
「今日のまゆちゃん、ちょっと寂しそうだった」
「誰か探してるみたいだった」
そんな投稿も、ぽつぽつ流れていた。
(……昨日、俺、バイトだったな。)
ライブも特典会も、行けなかった日。
スマホを握りながら、胸がちくりと痛んだ。
バイト5連勤明けの帰り道、へろへろになりながらスマホを開いた。
通知は山ほど溜まってて、その中に、ペールピンクの初恋公式アカウントの通知が光ってる。
俺は、無意識に指を滑らせた。
そこにあったのは、まゆちゃんの投稿だった。
『ライブ来れなくても、大丈夫だよ。
みんなだいすきだよ。』
一瞬、胸がぎゅっとなった。
(……まゆちゃん……。)
涙腺が、ぐらっときた。
俺なんかのために、
こんなにも優しい言葉をかけてくれるんだ。
(神か……。)
崇めた。もう宗教レベルだった。
そして、なぜか思った。
(……俺、もっとがんばらなきゃ。)
単独ライブ、絶対成功させなきゃ。
もっともっと、推しに恩返ししなきゃ。
スマホを胸にぎゅっと抱えながら、俺は静かに誓った。
でも、知らなかった。
その投稿が、まゆちゃんの、たったひとりの「君」に向けた、精一杯のSOSだったことを。
俺はただ、彼女を遠い光の向こうに祀り上げることしかできなかった。
*
大学のパソコン室で、カタカタとキーボードを叩いていた。
必修のプログラミング課題。徹夜明けで頭が回らない。でも、指だけは勝手に動く。推しのためなら、単位だって取る。
そんなときだった。
「なあ、それ、ペールピンクの初恋のTシャツ?」
隣の席のやつが、唐突に話しかけてきた。
(えっ、ばれた!?)
慌ててTシャツを引っ張って隠そうとする俺。でも、もう遅い。にやにやされた。
「推し活? 誰推し?」
聞かれて、思わず胸を張った。
「星川まゆちゃんです!!!!!!!!!!」
鼻息荒めに即答した。
だって、推しだし。自慢だし。
最高にかわいくて、神みたいに優しくて、世界一のアイドルだし!!
彼は苦笑いしながら言った。
「へえ。でもさ、星川まゆって……彼氏いるって噂、あるよな?」
──……え。
世界が、一瞬で静かになった気がした。
「──っ、ち、違う!!」
反射的に叫んでた。
「お兄ぃなんだよ!!兄妹なんだよ!!彼氏じゃないんだよ!!!」
必死だった。必死すぎて、声が裏返った。
でも、彼は肩をすくめた。
「へー……まあ、信じるなら、いいけどさ。」
背筋に、ぞわっと冷たいものが走った。
(……信じてる。信じてるけど……。)
ぐらぐらと、心が揺れる。
まゆちゃんは、嘘なんてつかない。
優しくて、まっすぐな人だ。
信じてる。絶対、信じてる。
でも、どこか、胸の奥に、小さな小さな、ザワザワが残った。
拭っても、消えなかった。
(……本当に、兄妹なんだよな。)
課題を打ちながら、手が止まった。
まゆちゃんの笑顔が脳裏に浮かんだ。
ライブでのキラキラした顔。
特典会でのふわふわした声。
あれが、全部、嘘なわけない。
(……でも。)
心の奥が、ぐらりと揺れた。
あのとき。特典会で、ふとした瞬間に見せた、まゆちゃんの寂しそうな顔。
SNSで「ライブ来れなくても、大丈夫だよ」と投稿してくれたこと。
全部、俺に向けてのものだったんじゃないかって、今さら思った。
でも、俺は、気づかなかった。ちゃんと応えられなかった。
(……信じてる。信じてるよ。)
声にならない声で、心の中で呟いた。
まゆちゃんは、優しい人だ。まっすぐな、すごい人だ。
俺なんかが疑っちゃいけない。
そう思いながら、ぐらぐらする心を、ぎゅっと押さえつけた。
(信じるしか、できないんだ。)
拳を握った。それが、俺の、たったひとつの答えだった。




