閑話:兄と妹
「兄さん、本当に行くの?」
「ああ。気にならないか? これだけのクランを勝ち残った『ブラックジャック』。結局戦うことはなかったから、最後に話をしてみたいと思ってな」
すでに日が傾いた夕刻、二人の男女が草原を歩いていた。この仮想世界でも有名なブランドル兄妹だ。
目指す場所はクラン「ブラックジャック」の拠点である砦。
今日はこの仮想現実の世界が一度終わる日。ここにいる住人は皆が最後の時を楽しんでいた。そのことに不安を感じる者も多くいたが、それよりも期待を感じていた。
現実の世界は終わりを迎えようとしている。そこには夢も希望もなく、ただ生を浪費するばかりの日々。それでも一部の人間はそれに抗う。そして世界の終わりを回避できるかもしれないとのことだった。
だが、それは何年も先だろう。これまでと同じような日々はまだ続く。自分達の代では変わらない、子でもギリギリ、可能性があるのは孫の代だ。そんな先のことを見据えて生きられるのかと言えば、無理だと思う方が大多数。五十年、六十年先を見据えて生きるなど、百年程度しか生きられない人間には困難だろう。
そんな折に提案された仮想現実への永久ログイン。もともとここで数年生活をしていた人達はその抵抗も薄く、現実への期待もなかったという理由から、全員がその提案を受け入れた。
そしてそんな現実の記憶を持っているのは今日が最後。日が落ちれば現実の記憶はなくなり、次に目を覚ました時には自分の要望を叶えた別の人生が待っている。
アッシュはその前にクラン戦争で優勝した「ブラックジャック」のメンバーと話がしたいと、その拠点となる砦に向かっている最中だった。
今の記憶をどこまで消されるのかは分からない。だが、それでも最強と言われるクランのメンバーとアッシュは話がしたかったのだ。
一番を取るというのはどんなことでも難しい。そこには努力や実力以外の何かがある。最強のクランメンバーと話をすればその何かが分かるかもしれない。そう思っての行為だった。
妹のレンは、そんなアッシュを心配してついてきたのだが、レン自身はあまり興味がなかった。
「お父さんたちと一緒の方がいいと思うんだけどなぁ」
その言葉にアッシュは立ち止まる。
「なら帰るか? 俺もどうしても話がしたいってわけじゃないから戻ってもいいんだが。決めてくれていいぞ」
アッシュの言葉にレンは笑顔になる。兄はいつも自分を優先してくれる。その言葉を聞きたいがために、そういう発言をすることが多い。そして返すのもいつもの言葉だ。
「しょうがないなー、なら今回は兄さんの意見を尊重するよ!」
「そうか! よし、それじゃ行こう!」
レンは喜ぶアッシュを微笑ましい感じで見ながら、二人で「ブラックジャック」の砦に向かって歩き出すのだった。
砦の周辺には多くの人が集まっていた。
皆も考えることは同じらしい。アッシュはそんな風に思いながら、入口に並んでいる人の列の最後尾に移動する。
レンは少しだけ列から横に出て、前の方を見る。
「時間がかかりそうだね? 世界が終わる前に入れるかな?」
「まあ、大丈夫だろ。この砦はクランの中でも最大級の大きさだ。たぶん、五百人くらいは入れるんじゃないか? それにほら、結構な速度で列が動いている。あと五分もすれば入れると思うぞ」
そんな会話をしていると、目の前にいた男性が振り向いた。笑顔ではあるが頬がこけている。仮想現実ではあるが、何かしらの病気を患ってるのではないかと思えるほどだ。
その男性が笑顔で口を開いた。
「失礼ですが、もしかして『ドラゴンソウル』のブランドル兄妹ですか?」
「そうだけど、アンタは――ああ、いや、クラン戦争で見たことがある。『アンデッド』のミストだったか?」
「ご存知とは嬉しいですね。しかし私は運がいい。最終日に『ドラゴンイーター』のアッシュさんと『ドラゴンカース』のレンさんに会えるとは……おっと、その前にご挨拶ですね。ご存知のようですが、改めてご挨拶を。ミストと申します」
ミストが頭を下げたので、アッシュとレンも頭を下げた。
レンは笑顔でミストを見る。
「ミストさんも『ブラックジャック』のメンバーとお話をしに来たんですか?」
「ええ、そうなのですが、お二人も?」
「話をしたいのは俺だけで、レンは俺の付き添いみたいなものかな」
「そうでしたか。私も最後くらい最強クランの方と話をしたいと思いましてね――ただ、聞いた話だとリーダーのイヴァンさんはいないみたいですよ」
「そうなのか!?」
アッシュは驚きの声を上げる。ここに来た目的がそのイヴァンに会うためだったからだ。最強クランの中でさらにはそのリーダーをやっている「勇者」イヴァン。一度は最強と呼ばれる相手と話をしてみたかったのだ。
「どういう理由でいないか知ってるか?」
「『アンブロシア』のルナリアさんに会いに行ったらしいですよ。告白をするとかなんとか」
「ああ、なんか聞いたことがあるな。上手くいく可能性は高いのか?」
「ルナリアさんの性格を考えたら、イヴァンの暑苦しい性格では無理じゃないですかね。それに今日は向こうの砦にも結構な人が集まっているらしいですよ。知り合いにチャットで聞いた話だと、こちらよりも長蛇の列になっているとか。会うことすらままならないかもしれませんね」
「『アンブロシア』には取り巻きのクランも多いからな。ゴスロリ集団『ブラックローズ』とか狂信的だし」
「うちのクラン、あそこに負けたんですよね……」
予定が狂ったり、嫌なことを思い出したりして、アッシュとミストの二人は溜息をつく。
そんなアッシュを見てレンはなんとか話を変えようとした。
「まあまあ、『ブラックジャック』さんにはほかにも有名な人もいるし、その人と話をしたらいいんじゃないかな? ほら『殲滅の女神』さんだっているし」
「そうだけど、あれは魔法使いだからな。俺としては近接武器で強い奴と話がしたいんだが」
アッシュの言葉にミストが口を開いた。
「なら『コレクター』はどうです? ブラックジャックの副リーダーも近接武器が主体ですよね?」
「あの女性か――そうだな。話をしてみるか。そういえば、ミストは誰か特定の人に会いに来たのか?」
「ええ、私の方は『プリマドンナ』に。もう一度歌を聞かせてもらえたら嬉しいのですが。以前聞いたときは素晴らしかったですからね」
「ああ、支援系のエキスパートか。現実でも歌手だとか。電子合成音が主流なのに珍しいよな」
アッシュのその言葉にミストは少しだけ意外そうな顔をした。
「おや? しかし、アッシュさん達のご両親は――ああ、いえ、すみません」
ミストが申し訳なさそうに頭を下げる。それに慌てたのがアッシュだ。
「いや、気にしないでくれ。もうずいぶんと昔のことだ――それにどうせあと少しでそれも忘れるからな……あ、すまん」
今度はアッシュがレンに頭を下げる。
「もう気にしないでいいって言ったでしょ。父さんと兄さんが一緒なら別に平気だから」
「そ、そうか。その、すまん」
「アッシュさん達のお父様というと、ヴェル・ブランドルさんですよね? 同じクランにいるとは知っていましたが、あの方もここに残るのですか?」
「そう言ってた。本人はこの世界に興味はないだろうが、たぶん、俺とレンのことが心配だからだと思う。元々この仮想現実に来たのも俺らが心配だったからみたいだし」
「兄さんもそこまで父さんのことを分かってるのに、なんでいつも喧嘩ばかりしてるの?」
「喧嘩したいわけじゃない。発破をかけているんだよ。親父と同じ仕事をして分かった。親父はすごいよ。今の親父は見る影もないけどな。だから昔の親父に戻って欲しかったんだけど……」
アッシュがそこまで言ったとき、砦の入口がある方から声をかけられた。早く入ってくれという声だ。
周囲を見ると、アッシュ達の前方には誰もおらず、後方には随分と人が並んでいた。
ミストがアッシュとレンを促す。
「色々あるとは思いますが、まずは中に入りましょう。そうだ、記憶がなくなるなら、聞かせてもらっても構わないですよね? ぜひ続きを聞きたいのですが。アッシュさんとお父様にはどんなことがあったんです?」
「……そうだな、なら最後に誰かに言っておくのも悪くないな。どうせ忘れちまうんだし」
「私も聞きたい! でも、こうなるんならAIさんへの望みで記憶を残したままにしてほしいって頼むんだったかなぁ」
「さすがにその望みは無理だろ」
そう言いながら、アッシュ達は砦の中に入った。
そこでは最後の時を楽しむ多くの同胞が楽しそうに歓談していたのだった。




