閑話:人生の意味
老人がテーブルに一人、ワインを嗜んでいた。
ローブを被り、目元くらいしか露出していない姿は胡散臭いと言ってもいいだろう。知り合いでもなければ声を掛けるのもはばかられる風貌だ。
老人はテーブルに置かれたワインをトクトクとグラスに注ぎ、香りを楽しんでから口に含む。ワインの趣味が合う仲間がいないのは不満だが、独占できるのは悪くないと、自分のペースでゆっくりと楽しんでいた。
ここはクラン「ブラックジャック」の拠点となる砦。今日は仮想現実が一度終わる最終日。
クラン戦争というイベントで優勝したクラン「ブラックジャック」には、他のクランからも多くのプレイヤーが集まっていた。最強クランのメンバーと話をしたいという人達であふれかえっている。
自身の部屋でゆっくりしていても良かったのだが、最終日くらいはと人の多い場所でとっておきのワインを飲んでいた。
老人は周囲を眺める。
周囲の喧騒は自分の心境とは違うものの、そんなことは全く関係ないとこちらの気分まで楽しくしてくれる。その周囲すら元気づける活気――生きる力こそが自分にはもうない若さの特権なのだろうと、少しだけ自嘲した。
資源枯渇という将来に期待ができない時代だが、彼らは違う。仮想現実という虚構の世界だが、そこには未来への期待がある。それが周囲の若者を活気づけているのだ。
若さは可能性だ。自分にもまだ可能性はあるが、若者の可能性に比べてたら微々たるもの。体力、気力、あらゆるものを時間は奪っていく。そして何かに挑戦しようとしても、自分の限界はおのずと分かる。それを打ち破ろうとする気持ちからして時間は奪っていくだろう。
だが、いまさらだ。いままで好きに生きてきた。これからも死ぬまで好きに生きる。可能性などと言っている場合ではない。どれだけ心安らかな余生を送れるかが重要だ。
ただ、思う。自分の人生に意味があったのだろうかと。
生まれて死んでいくだけの人生。生きているうちに楽しめればそれでいい。死んだ後のことなぞ知るものか。そうは思っても、自分の人生が何だったのかと思うことはある。
誰かに尊敬されたいわけではない。ただ、自分の生が意味のあるものだったと思いたい。
若い頃は感じなかった時の流れも、この歳になると一日一日を恐怖に思う。夜に寝て明日の朝に目が覚めるなんて約束が絶対ではなくなっているのだ。
そんなことを考えながら老人は自分の両手を見る。
細くしわだらけの指は年季を感じさせる。だが、いまだに自分の思い通りに動く。それはここが仮想現実だからだ。
自分の本体は特殊なコールドスリープで眠っている。もう、何年もログアウトはしていない。もしログアウトしたとき、自分の体は思い通りに動かせるだろうかと不安になる。
もしかすると、自分の体はもうすでになく、電脳化されているのではないかと思うときもある。
それならどれだけ素晴らしいことか。たとえ年寄りでも仮想現実なら体はいくらでも動かせる。それならいくらでも可能性があるといえるのだ。
だが、そんな都合の良いことはない。おそらく、ログアウトしたらまともに体は動かせない状態だろう。コールドスリープによる筋力の低下ではなく、単なる加齢。それは確実にある。
若い頃は死を恐れなかったが、この歳になると死を恐れる。死ぬことが怖いのではない。自分の生に意味がなかったことが怖い。
次の世界ならそんな恐怖も感じないだろうか。老人はそんな風に思いながら、ワインをもう一度口に含んだ。
「レリック」
女性の声で自分の名前を呼ばれたことに少しだけ遅れて気づいた。
ワインを飲みすぎて少しウトウトしていた。仮想現実だとはいえ、酔う、という状態も再現される。そして周りの楽しそうな喧噪にいい気分になってしまったのだ。
レリックはゆっくりと目を開けた。
一人で座っていたテーブルの向かいには顔見知りの女性が座っていた。
「ソニア」
レリックは目の前の女性をそう呼んだ。仮想現実に入る前からの知り合いであるソニア・ウェルアトだ。
黒い革製のジャケットにパンツ、それに合わせた黒いテンガロンハット。そして首元には赤いマフラーを巻いている三十代くらいの女性。
その女性は帽子をテーブルに置いて、白いショートの髪をかき上げた。
「もう寝ちまうのかい? 最後の日をもっと楽しみなよ」
「歳だな。秘蔵のワインを飲んでいたらウトウトしてしまったようだ。そっちは相変わらず若々しいな」
「訳の分からない薬の実験台にされたからね。まあ、見た目だけさ。仮想現実では見た目が反映されるからありがたいけどね」
「確かに。ところで今日は?」
「今日は現実を覚えておける最後の日だろう? チェスの勝負に来たんだよ。このまま勝ち逃げするつもりじゃないだろうね?」
「そういえば勝ち越していたか。分かった、最後の勝負をしよう」
「そうこなくっちゃな」
ソニアはアイテムバッグからチェスの一式を取り出すとテーブルに置く。
二人はお互いにコマを並べて、勝負を始めるのだった。
レリックとソニアとの間でもう何度も行われたチェスの勝負。お互いに手を知り尽くしているし、奇をてらった手は単に隙を生む。その慎重さが影響しているのか、いつもより勝負に時間が掛かっていた。
「そういえば、全員がこの仮想現実に残ることになったそうだよ」
「資源の枯渇が解消されそうとはいってもかなり先の話だから当然だろう。現実と仮想という違いはあるが、違いなんてそれだけだ」
「現実か仮想か、それが一番大事だと思うけどね。でも、レリックが残るとは思わなかったよ」
「私達には残るという選択しかないと思うが?」
「あの人のことはいいのかい? 何も見届けていないだろう?」
話ながらもチェスのゲームは進む。ソニアのその言葉にレリックは指が一瞬止まったが、すぐに次の手を指す。
「もう自分がやれることはやった。どうなるかは神のみぞ知る、だ」
「なるほどね。まあ、現実に残ったとしても結果を知ることはできないか。なら確かにこっちの方がまだマシだな。それにあそこの飯はまずくて仕方がないからね。せめて味覚を騙して食べさせて欲しかったよ」
「犯罪者にそんなことをするわけがないだろう。だが、これで脱獄したようなものだ。看守長の悔しがる顔が見られないのは残念だが」
「それは私も見たかったね――あ」
「チェックメイト。会話に集中しすぎだ」
「……汚いね。会話に集中しているときにいつもと違う手で来るなんて」
「手品と同じだ。何かに気をそらしつつ本命を仕込む……私達の仕事もそうだっただろ?」
「そりゃそうだけどね――どうかしたのかい?」
レリックの目に魔法使いの恰好をした少女が映ったのだ。
「いや、クランメンバーの一人が階段を上がっていった。どうやら屋上へ行ったようだ」
「ああ、殲滅の女神か。なかなか面白い子だ。気になるのかい?」
「少し。あの子は昔の自分に似ている気がする。見た目じゃなくて考え方だが」
「目的もなく力を求めるところがかい?」
「……何かを成し遂げるには力が必要だと知っている子だ。その何かを見つけることができたならいいのだが、見つからなければ私のように遊びで力を見せつけるようになる。同じ仲間だし心配ではあるな」
「気になるなら行ってやればいいんじゃないか? 私はここで秘蔵のワインとやらを飲んでおくから」
レリックはソニアの意見を検討する。だが、すぐに答えが出た。
「分かった。話をしても記憶はなくしてしまうだろうが、最後くらいは一緒にいても拒否されることはないだろう。なら、ソニア、一度お別れだ。次の世界で会おう」
「あいよ、じゃ、次の世界でね」
ソニアはそう言うと、ワインの注がれたグラスを軽く上げる。そして飲み始めた。
レリックは壁沿いに屋上へ行く階段の方へ歩く。その間、この場にいる人達を眺めた。
ドラゴンソウルのブランドル兄妹、アンデッドのミスト。知っているのはその程度だが、ベスト8に残ったクランメンバーもここに来ていることに少々驚いていた。
レリックにとって仮想現実は遊びでしかない。ゲームを本気でやるような歳でもないのだが、所属したクランがなぜかかなり強く、クラン戦争というイベントで優勝した。
楽しくなかったと言えば嘘になる。ここでは体の衰えを感じることなく自由に動くことができる。そもそも運動をするようなタイプではなかったが、疲れないという体ではいくらでも動くことができた。何度も同じ行動を繰り返し、仮想の身体に覚えさせる。現実の体はそう動かないだろうが、仮想現実なら制限はない。
足手まといにならないように頑張った結果、それなりの結果を出せたと言えるだろう。
たかがゲームに真剣になるなんて自分は何をしているのかと思うこともあったが、悪くない時間だったと少しだけ笑った。
「少々よろしいでしょうか?」
歩いている途中で声を掛けられた。見知らぬ女性の二人、レリックの前にいる。その姿はメイドだ。
「なにか御用でしょうか?」
レリックはソニアと話していたときとは口調を変える。そもそも砕けた口調はソニアに対してだけであり、それ以外の人には丁寧な言葉をつかっていた。
「イヴァンさんがどちらにいらっしゃるか、ご存じないでしょうか?」
イヴァン。レリックの所属するクラン「ブラックジャック」のリーダーだ。勇者と言われているが、強さは関係なく、難攻不落ともいえる女性へ告白すると知れ渡っているからこその二つ名だ。
レリックは少しだけ困ってしまった。イヴァンはここにはおらず、別の拠点へ行ってしまった。知らないと言うこともできるが、どうせ分かることだと、レリックは話すことにした。
「イヴァンは別の拠点に向かいました。ここにはおりませんが」
レリックの言葉にメイドの一人ががっくりと肩を落とす。まさにこの世の終わりという感じではあるが、深くは追及しないことにした。なんとかしてあげたいところだが、レリックには何もできない。
「お力になれず申し訳ありません」
特に問題がなさそうなメイドが頭を下げた。
「いえ、そんなことは。教えてくださってありがとうございます――お急ぎなのですよね? お引止めして申し訳ありません」
「お気になさらずに。では、失礼します――次の世界で会えたら、そのときはお力になると約束します」
レリックの言葉にメイドの女性は驚いたが、すぐに笑顔になる。
「はい、そのときはよろしくお願いします」
レリックは軽く会釈をしてから歩き出した。
(不思議なくらい口が軽い。ワインの酔いが残っているのだろう。それとも次の世界に対する期待で浮足立っているのか? どちらにしても悪くない気分だ)
普段の自分なら絶対に口にしないだろう言葉をあのメイドの女性に言った。言った後で照れ臭くなったが、どうせ忘れるだろうと目的の階段を上がる。
屋上に出ると、美しい夕日とそれを眺めている少女がいた。
レリックは美しいものが好きだ。だが、レリックの求めている美しさは整然とした秩序の中にある。いくつもの罠をかいくぐり、到達したときに手に入れられるもの――いや、過程にこそ美しさがあると思っている。
その美しさを得るために自分の知識、経験、金、すべてをつぎ込んだ。
その結果が犯罪者の烙印。
そこに後悔はないが、目の前にいる少女が同じようになるかもしれないと思うと、少し不憫になる。力を得る事だけが目的になると理由もなく力を使いたくなる。それは必ず不幸を呼ぶ。たとえ仮想現実でも同じだ。
自分と同じようになるわけではないだろうし、話をしたところで何かが変わるわけでもない。もしかしたら自分が変わりたいのかもしれない。それとも少女が自分と同じになることを望んでいるのか。
レリックはまとまらない考えのまま目の前の少女に近づいた。
「こんなところにいたのですか」
もう少しで世界は終わる。最後の日に自分と似た少女と話すことで人生に意味ができるわけでもないが、何かが変わるかもしれないと期待してレリックは少女に声を掛けたのだった。




