『身重の妃を守るため、親王は完璧な侍女たちと祭りを仕切ることにした ~セレスティア大収穫祭~』
十月のセレスティア親王領。 高く澄み渡る秋空の下、中心都市アクアパレスはかつてないほどの活気に沸き立っていた。
街を縦横無尽に走る水路には無数の提灯や色とりどりの装飾が施され、揺れる水面がその鮮やかな彩りを映してキラキラと煌めいている。 今年のアクアパレスでは、実に数年ぶりとなる『大収穫祭』が開催されるのだ。
例年であれば、親王妃のリゼリアと側室のセシリアが陣頭指揮を執り、華やかに祭りを差配するところ。 けれど今年は、二人揃って新しい命を宿す懐妊の身だった。
だからこそ、主である親王イリアードは決意していた。 愛する二人を心身ともに労わり、今年の準備は自分が徹底的に仕切ってみせる、と。
「リゼリア、セシリア。二人とも絶対に無理はしないでね。今年の収穫祭は、僕と優秀な侍女たちが完璧にやり遂げてみせるから」
朗らかに笑うイリアードの傍らには、頼もしい三人の侍女が控えている。 完璧主義者として名高い二十歳のベルナデット。 予知や念視の力を秘めた十八歳のロゼッタ。 そして、念動や念創の異能を操る十八歳のエミーナだ。
リゼリアに仕えるベルナデットと、セシリアに仕えるロゼッタとエミーナ。 三人にとっても、主たちの身体を守り抜き、最高の祭りを成功させることは何より優先すべき大務めだった。
準備期間に入ると、アクアパレスの親王府はさながら戦場のような慌ただしさに包まれた。
「領内各地からの搬入スケジュールを再確認いたします」
手帳を開いたベルナデットが、一切の無駄を削ぎ落とした完璧な工程表をイリアードへと差し出す。
「南部のフルヴィアルトからは、特産のガラス工芸品と高品質な綿花が届きます。北東部のソルトラグーンからは、セシリア様の人工塩湖で精製された極上の塩が。北西部からは大運河経由で小麦と米が、そしてここアクアパレス周辺からは完熟したアブラナの菜種油、獲れたての蓮根、仕込まれたばかりの里芋酒が運ばれてまいります。これらをいつ、どの埠頭で陸揚げし、会場へ配置するか……一分の遅れも許されません」
「頼もしいね、ベルナデット。君の指揮があれば、何一つ滞ることはなさそうだ」
イリアードが感心したように頷くと、今度はロゼッタが静かに一歩前へ出た。 彼女はそっと瞳を閉じ、予知の異能を集中させて未来の風景を覗き見る。
「イリアード様。祭りの二日前、北西部からの小麦を載せた船が運河の旋回場で一時的に滞留する気配が見えます。念のため、前日のうちに船頭たちへ通知を出し、水路の通行規制を一段階早めておくことをお勧めいたします」
「素晴らしいよ、ロゼッタ。混雑による事故を未然に防げるなら、これ以上の対策はないね」
イリアードは即座に書状をしたため、水路の警備隊へと指令を飛ばした。 ロゼッタが見通す未来のおかげで、大きなトラブルの芽は次々と摘み取られていく。
一方、現場での力仕事や会場設営で圧倒的な存在感を放っていたのはエミーナだった。
「エミーナ、あちらの巨大な歓迎アーチの設置だけど、大工たちだけでは少し人手が足りないみたいだ」
「お任せくださいっ!」
イリアードの声に、エミーナは元気いっぱいに頷く。 彼女が「念動」と「念力」の異能を巧みに操れば、重厚な木材も巨大なガラス装飾の木箱も、まるで羽毛のようにふわりと宙に舞い、寸分の狂いもなく指定の位置へと据え付けられていく。 本来なら丸一日かかるはずの設営作業は、彼女の力によって驚くほどの速さで完了していった。
そんな忙しくも活気あふれる様子を、離宮の穏やかな部屋から眺めていたリゼリアとセシリア。 二人はお互いの手をそっと重ね合わせ、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「イリアード様も、侍女のみんなも、本当に良くやってくれているわね」
温かな眼差しで庭を見下ろすリゼリアに、セシリアも柔らかな笑みを浮かべる。
「ええ、リゼリア姉様。私たちが手を出せない分、みんなが親王領の威信をかけて動いてくれています。当日はきっと、素晴らしいお祭りになりますわ」
◇
そして迎えた、大収穫祭の当日。 秋空は見事なまでに晴れ渡り、アクアパレスの街全体が祝福のような黄金色の光に包まれていた。
街中の水路には特産の綿花で飾られた華やかな小舟が行き交い、船上からはフルヴィアルトの職人が作り上げた美しいガラス花器に活けられた秋の花々が、誇らしげに咲き誇っている。
「これより、セレスティア親王領・大収穫祭を執り行う!」
親王府のバルコニーに立ったイリアードが高らかに開会を宣言すると、広場を埋め尽くした民衆から地鳴りのような歓声が湧き上がった。
大広場には領内の特産品が一堂に会し、豪華絢爛な市が立ち並んでいる。 ソルトラグーンの人工塩湖で焼き上げられた真っ白な特産塩は、北西部の小麦と米を使った焼きたてのパンや料理の旨味を劇的に引き立て、食欲をそそる香ばしい匂いが漂う。 屋台では、アクアパレス特産の獲れたて蓮根をサクサクに揚げた天ぷらや、搾りたての芳醇な菜種油を使った料理が飛ぶように売れていく。
「さあ、お試しください! 今年仕込まれたばかりの至高の里芋酒です!」
職人たちが振る舞う里芋酒は、とろりとしたまろやかな口当たりと濃厚な旨味で人々の心を鷲掴みにし、「これぞアクアパレスの味だ!」と絶賛の嵐が巻き起こっていた。
バルコニーの特設席では、身体を優しく包む上質な衣を纏ったリゼリアとセシリアが、仲良く並んでその光景を見守っている。 二人の前には、フルヴィアルト製の繊細なガラス杯に注がれた清らかな水と、身体に優しい蓮根のスープが用意されていた。
「ふふ、見ているだけで心が躍りますね」
セシリアが微笑むと、リゼリアも優しくお腹を撫でながら頷いた。
「ええ。この子たちも、お祭りの賑やかさを喜んでいるみたい」
その傍らには、大役を無事にやり遂げたベルナデット、ロゼッタ、エミーナが誇らしげに控えていた。
「ベルナデット、ロゼッタ、エミーナ。本当にありがとう。あなたたちのおかげで、こんなに素晴らしい収穫祭を迎えることができたわ」
リゼリアが心からの感謝を伝えると、普段は完璧主義者として表情を崩さないベルナデットも、今日ばかりは感極まったように目元を緩めた。
「もったいなきお言葉です、リゼリア様。私どもはただ、イリアード様とお二方のお役に立ちたい一心で勤め上げたまでにございます」
ロゼッタも優しく微笑み、エミーナは「お二人が無事で、お祭りが大成功して本当に良かったです!」と嬉しそうに声を弾ませた。
やがて夜が訪れると、アクアパレスの水路群には無数の灯籠が浮かべられた。 水面に揺らめく灯火と、フルヴィアルトのガラス飾りが光を複雑に乱反射させ、水の都はまるで宝石箱をひっくり返したかのような幻想的な美しさに包まれる。
イリアードはリゼリアとセシリアの肩をそっと抱き寄せ、煌めく街並みを見下ろした。
「数年ぶりの大収穫祭だけど、今までで一番温かくて、誇らしい祭りになったよ。来年は……この新しい家族も一緒に、みんなでこの景色を見ようね」
「はい、イリアード様」 「楽しみにしていますわ」
水路を渡る秋風が、民衆の笑い声と芳醇な酒の香りを乗せて、夜空へと優しく吹き抜けていく。 セレスティアの豊かな大地と水がもたらした大収穫の恵みと、未来へつながる新しい命の祝福。 アクアパレスの夜は、人々の幸せな歓声とともに、どこまでも深く、美しく更けていくのだった。




