奇妙な友情
「宗継?……おじい、さま?」
不思議そうに首を傾げる彩葉さん。自分の祖父の名前にピンと来ていない様子。
どうやら少しばかりボケているようだ。
「えっとですね、私は神栖 真人と言います。こっちは碓氷 朔馬。失礼ですが、ご自分のお名前は分かりますか?」
「わたし、水菱 彩葉……」
う~ん、どうしたんだ?なんだかフラフラしていて、未だに夢の中にでも居るようで、目の焦点が合ってない。
……思いの外、精神的に追い込まれていたのかもしれないな。
「真人さん、僕は雄司さんに知らせてきます。ここを頼んでも良いですか?」
「ああ、気を付けてな」
とにかく、こんな広い森の真っ只中でよく見つかったとしか言い様が無い。
車の状態を見るに、何かの拍子に山道からコースアウトして幸運にも開けた場所で停車することができた、ということか。
よく木と正面衝突しなかったな。
しかし、本来ならいるはずの人間が一人足りない。
「彩葉様、彩葉様の使用人である甘木 葉路さんは、どちらに?」
そう、彼女専属の使用人、甘木 葉路が居ない。
てっきり一緒かと思っていたのだが。
少なくとも、朔馬が言っていた営利誘拐や駆け落ちの類いではなかった、と断定できるが、これは……?
「葉路なら、助けを呼んで来るって。わたし、あたま、うっちゃって」
なるほど、出血は無いようだが頭部を打ち付けたとしたらヘタに動かすのはまずい。
いや、待て、葉路さんは、助けを呼びに行った?だったら何故屋敷に到着していない。いくら山道といっても十キロもあるわけじゃないのに。
3時頃に屋敷に着くように向かっていたとしたら万彩夫妻到着以前に駆け込んで来てもおかしくないはずだ。
……山道に出ずこの山の中を進んだ?確かにそれならまだ葉路さんが屋敷に現れていないのも合点が行く。
でも何故、山道に出なかった?
方向感覚を失ってどちらの方角に山道があるか分からなくなった?
山道に出る前に足を滑らせ、さらに渓谷側に落ちた?
どちらにせよ遭難という事実に変わりはない。そうなると身一つの人間を探す事になるが、この森の中から探し出すのは、彩葉さんを見つけられた以上の幸運に恵まれない限り不可能だ。
「ひっく、……ひっ、く。……怖かった。……怖かったよぉ」
「あ、ちょっ、彩葉様?いや、そんな、大丈夫ですよ。安心してください。すぐ御家族が待っている屋敷に行きますから」
「怖かったんだからぁぁ、……うわぁぁぁん!」
年の頃は、俺と違わないはずの人間がここまで泣くのか?留学経験とか、社交デビューとかで世間慣れしている人なのだろうと思っていたのだがな。
……いや、関係無いか。どんな人間であれ、事故った後で暗くなりつつある森の中、一人ぼっちで車に残され助けが来るのを待つ。やはり、怖くなって当然だな。
「大丈夫です、ここにいますから。もう一人で、耐えなくてもいい、ですよ」
ああ、もう。だから、俺はこの手の台詞が苦手だってのに。
口から吐き出すような言葉は、つっかえつっかえで聞き取りづらいし、言っている本人だって惨めなもんだ。
マンガやアニメの主人公だったら平然と口にする台詞はリアルの人間が口に出せる言葉じゃないんだろう。
きっと異世界の言語だ。二次元と三次元の壁は、あまりにも分厚い。
……何を言っているんだ、俺。そうじゃないだろ。
「……クスッ、……うん。……ありがと」
雨の音に溶けてしまいそうな程小さな声。
それでも、自分の近くに人が居るということは、少なからず彼女に安心を与えられたのかもしれない。
その言葉を最後に彼女は、意識を失ったようだ。
綺麗に整えられた化粧が涙に濡れて滲んでいるが、とても健やかな寝顔だった。
十数分後、雄司さんをはじめとした捜索班の朔馬、拓也、理一郎さん、一二三さんが駆けつけ、彩葉さんを寝かしたまま俺達が乗ってきた車まで運び、急いで屋敷に戻ることになった。
後部座席に彩葉さんを横たえたので送り届けるのは理一郎さんと一二三さんに任せて俺達年少組と雄司さんは、もう一度この辺りを探すことにした。
遠ざかるテールランプが見えなくなるまで見送って、一同同時に深呼吸で一息。
まだ行方が分からない人がいるとは言え、とにかく人一人の命が救われたのは、紛れもなく喜びに値するものだったのだから。
「いやぁ、とにかく見つかってよかったよ。真人、お疲れ様」
ねぎらいの言葉、ありがたいね、拓也。だけどさ、手放しに喜んでいられない状況だよ。
「でも、身一つの葉路さんをこの森から探すとなると、本気で人数が足りませんね」
朔馬の言っている事は正しい。しかも、マジで天気が悪化、夏場だってのに午後7時半を少し回っただけで辺りは暗闇と雨粒が周りを支配している。
そして、時折響く雷鳴、風も先程より強くなっている事を考慮すれば、あまり時間は残っていない。
今は、拓也達が乗ってきた車のヘッドライトで各々の位置を確認出来ているが、森の中に入ったら頼みの綱は、手持ちのライトのみ。
あまりにも心許ない装備に溜め息が出る。
「渓谷側を50メートル付近まで探し、それでも見つからない場合は一度切り上げるしかないだろうな。残念だが」
「……ですね。彩葉様の話通りなら、葉路さんは屋敷側に向かったそうですから屋敷周辺を探している弘矩達が見つけてくれていれば良いんですが」
俺と朔馬、拓也の三人が捜索に回り、雄司さんは、変わらず車で待機してもらうことにして都合三回目の山狩り。
一番山に慣れている理由から俺が先行し、後ろに朔馬は変わり無いがサポートに拓也が挟むようにカバー。
よく考えてみれば彩葉さんと葉路さんが事故ったのは、逆算して約五時間前。それから屋敷側に向かったとすれば、車の周辺に葉路さんがまだ居る可能性は低い。
だが、直後に渓谷に落ちたか、何らかの事情により身動き出来ない状態になっている可能性が捨てきれない以上探さないわけにはいかない。
「真人さんって結構、正義感強いんですね」
「え?」
そんなこと、言われるなんて思いもしなかった俺は、朔馬が何を言ってるのか理解出来なかった。
「だって、初対面の人達の家族に対して、そこまで真面目に探してあげられる人、そんなにいませんよ?」
「……んな訳ないだろ。単に仕事だよ。手ぇ抜いて給料払わない、なんて言われたらたまったものじゃない。ビジネス。ボランティアじゃなくて、単なる作業なだけだ」
この俺が、正義感強いって?そんなこと、言われたことなんて一度もないよ。
「作業、ですか?」
「そ、俺は、契約通り、額面通りの金額さえもらえれば、わざわざこんな悪天候に山狩りなんてしたくもない。ああ、そうだ、夏休み中に使える金さえ手にはいれば……」
「……」
なんだよ、この無言の間は。間違った事を言った覚えは無いぞ。
「まぁ、悪く思わないでやってよ。真人ってさ、誉められると逆に否定する奴でさ。照れてるだけだよ」
こら、拓也。何言ってんだよ。
「真人も少しは素直になれよ。そんな言い方してるから友達少ないんだぞ?」
「うっ、……別に、多ければ良いって訳じゃないだろ。それにゾロゾロつるんで歩くの嫌だし」
「でも一人ぼっちも嫌なんだろ?」
「それは……」
「ホントに素直じゃないな、真人は」
喧しい。
聞こえないふりしてずんずん前進。
別に、友達が多いから社交的とか、少ないから内向的とか、そんな偏ったパーソナル情報で人を判断するのは間違ってると思うんだが。
二人の声が聴こえなくなる程度の距離まで離れる事にした。
顔が赤くなっていることは、自分でも理解しているしな。
「口では、ああ言ってるけど良い奴だよ。なかなか本心言わないから誤解されやすいんだけど、困ってる人見るとほっとけない性格でさ。何だかんだ言いながら手を出して、俺と弘矩二人も巻き込んで大事になるんだよね」
「それは、まあ。さっきは、僕の事気にかけてくれたり、いろいろあったので、いい人だっていうことは分かりますけど。なんでそんなに本心を隠そうとするんでしょうか?」
朔馬の疑問は、だいたい真人と初めて会ったほとんどの人間が感じる疑問だ。
自分達もそうだった、と思い起こす。
「そうだなぁ、いつか真人と飲みに行きなよ。酔って口数が増えたら、ポロっとこぼすかもよ?」
拓也が真人の抱える闇の一端を悟ったのは、その時だったから。たぶん、一生かかってもその闇は、真人から消えはしないだろうと拓也は予感している。
子供の頃に刻まれた傷は、治ったと思っていても根深く精神の奥底に居座るものだから。それこそ、拭いきれない頑固な油汚れのように、後ろを向いたら、そこに予期せず存在するゴキブリのように。
人は、生きていく内にトラウマなんかを克服していける、なんて御題目を見ると拓也はヘドが出るくらいに思っている。
ーーいいじゃないか、別に嫌なこと、臭いものに蓋したってさ。
どっかの主人公みたいに諦めないとバカみたいに叫び続ける奴を拓也は、根っから信じる事ができないだろうと思っている。
ほどほどに矛盾や傷を背負いながら、文句や愚痴を日々口にして、それでも一握りの幸せってやつを追いかけて生きている人間が一番人間らしいと思っている。
そんな中でも真人や弘矩は、見ていて飽きない連中だ。
だからなんだろう、拓也が他の二人と一緒につるんでいるのは。
「拓也さんは、教えてくれないんですか?」
「ん~、プライベートなことだからね。それに、攻略ルートのネタバレ教えられたらやる気なくしちゃうじゃん?」
「攻略、るーと?なんですか、それ?」
ーーほう、無垢な子羊がいたものだ。人生のバイブルたるエ○ゲーを知らぬとは、人生の悦楽を知らぬようだな。よかろう、このバイト終わったら打ち上げやろうじゃないか。そして俺の聖域(押入れ)から選りすぐりを選別し、贈呈しようじゃないか、そうしよう。
……つまるところ、この二面性、人間の酸いも甘いも受け入れて、真面目に二次元を楽しむオタク魂を持つ人間が羽佐間 拓也という人格。
「おーい、なにやってんの?この先、崖なってっから、少し大回りして雄司さんとこ戻ろうぜ」
ちょうど真人が雨のヴェールから姿を表した。
三人で合流してから明るく光るヘッドライトの方角に回り込みながら昇る真人の背中を見て拓也は、ふと思った。
ーーこいつの後ろに隠れてる悪意。それがどれ程のモノであれであれ、こいつは今、他人を気遣う気持ちを持っている事に違いは無い。お節介とは分かっているが、手を貸したくなる。近所の年下の小僧みたいなやつで、なに仕出かすか、一番近くで見ていたくなる。
ーーもしかしたら、弘矩もそうなのかもしれないな。
ぬかるむ地面を踏みしめ、スキップする要領でその背中に追いつく。
「あまり遠くに行くなよ。視界悪いから見失ってしまいそうになるからさ」
「わぁったよ。てかな、聞こえてたぞ、誰が厄介事に巻き込んでるって?いつも二人して勝手に首突っ込んでくるんじゃないか」
「ハハハ。そのわりにいっつも相談してくるのは真人だろ?お節介焼きなんだよ、俺も弘矩も」
「~~っ。頼んだ覚えはないんだから感謝はしねぇぞ」
「ホンッと、ツンデレだよなぁ」
「誰がツンデレだ!誰が!」
いつもの調子。
いつもの会話。
いつものやり取り。
そんな日常が、屋敷に戻った時、音を立てて崩れることを二人は、まだ知らない。