43.洛中洛外、血の三日間。
孫次郎(長慶)と会った次の日〔天文8年7月18日(1539年8月31日)〕、武田信豊・義統親子は京の西の端である金閣寺・嵐山より山に入って、愛宕山の麓に当たる高雄に赴いて管領(細川)晴元と面会した。
「よくぞ我が前に出て来られたな!」
「申し訳ございません」
「謝って済む問題でないわ」
「面目次第もございません」
将軍と同じく、管領晴元も(武田)信豊に辛辣な言葉をぐちぐちと投げつける。
晴元の正室である三条の方を介して義兄弟と言っても、『兄者』などと呼べるほど親しくなく、父の元信は高国派として晴元派と戦った敵同士であった。
どんな思惑があったかは別として、財政難を助けるという救いの手を差し伸べてくれたことに信豊は感謝を述べた。
「改めまして、お初にお目に掛かります。武田義統と申します」
「その若さで、その武勇。あっぱれである。どうだ、こちらに鞍替えせぬか」
「ありがたきお言葉。将軍家に仕える者として、管領様に御仕えする所存、幕府の為ならば、なんなりとお申し付け下さい」
「あくまで将軍家を立てると申すか」
「はい」
「頑固だのぉ。だが、頑固のみでは国は立ち行かんぞ。若狭の財政はどうするか? 此度の上洛も苦しかろう。いつでも相談に乗るぞ」
「ありがたき幸せ。然れど、その件は無用にて」
管領晴元も意外な返答に苦虫を嚙みつぶしたような苦い顔をした。
若さゆえのやせ我慢、あるいは、無知とも思えた。
戦に勝って新たな土地を手に入れた訳もなく、財政が正常化しているなど思いもしない。
「治部少輔殿、息子殿はまだ若すぎるようであるな。国の運営をよくよくお教えなされ」
「某は負けた身でございます。管領様、その件に関しては口出し無用にお願い致します」
「そこともなら判っておろう。若狭を危うくするぞ」
「御心配無用。すでに菊童丸様の御配慮にて解決済みでございます」
信豊は大きな手を前に置いて管領晴元を止めた。
何故、そこでその名前が出るのか首を傾げた。
そうか、伊勢か!
管領晴元の思考は菊童丸の背後にいる伊勢 貞孝に辿り着く。
最近は、銅を精製して僧に売るなどで小銭を稼いでいると聞いていた。
他にも公家衆の珍妙な物を売り付けていると聞く。
また、米をあらかじめ買っておき、諸領主に売りさばいたとも聞く。
伊勢の手腕で幕府の財政も少しずつ立ち直ってきてきた。
忌々しい奴め!
そもそも信豊が戦に負けるか?
管領晴元は『太良庄の戦い』が狂言でなければ、他に何かあると疑っていた。
約束ごとを覆す為の口実であり、裏で暗躍するのは前々守護の(武田)元光の差し金に違いない。
そう、確信していた。
なぜなら、朽木の騎馬武者が縦横無人に敵陣を駆けると兵が自壊したと伝わっていたからだ。
“まるで示し合ったような不自然な崩れ方であったと!”
その戦いを見定めた僧は、『将軍の御嫡男、奇妙なれど、軍才あり』とも言っていたのだが、管領晴元の耳には届かなかった。
信豊の大きな手がその話を打ち切らせた。
改めて、義統が和睦を進めるが管領晴元は首を横に振り、武田信豊・義統親子は京に引き上げることになったのである。
◇◇◇
同日、妙心寺を孫次郎(長慶)らが睨み合いを続けている最中、洛中では大捕物が行われていた。
所司代が命じたのだ。
また、信豊・義統親子が孫次郎(長慶)と会談している間に、新守護代の内藤勝高が京を守護している法華宗の寺を訪れ、献金を納めて『三日間』のみ、武田の動向に目を瞑るという内諾を得ていた。
もう何も遠慮する必要などない。
伊勢守(伊勢 貞孝)が放った目の連絡を受けて、別所 治定と山県 元盛が傭兵500人を引き連れて寺に入って待ち伏せをすると、乱入した無法者らを取り押さえる所から始まった。
「武田家家臣、山県式部大夫である。おとなしくすれば、手荒なことはせぬ。縛に付くように!」
「我らは三好伊賀守の兵であるぞ! 御覚悟はよろしいか!」
「伊賀守ならば、好きにせよとお申しである」
「やれるものならば、やってみよ」
『殺レ!』
そういう槍を持った足軽がその大将を突き刺した。
「馬鹿な! わたしは…………」
それを合図に殺し合いがはじまった。
無法者らも判りましたと大人しく捕まる馬鹿はいない。
しかし、無法者に対して武田兵は容赦なく突き刺した。
躊躇がない。
僧兵も乱暴であるが、『三好家家臣』を名乗る大将首を刺し殺すのは控えていた。
孫次郎(長慶)の家臣でないのは明らかあったが、管領(細川)晴元の家臣である可能性は捨てきれない。
どこかの有力な子息だったことを考えて捕えることを優先していた。
武田家の家臣らはそんな配慮はなかった。
『菊童丸様の御庭を荒らす者は排除せよ』
守護(武田)義統の命令が絶対であった。
多勢に無勢、あっという間に半数が排除されてやっと縛に付いてくれた。
首は取らずに野ざらしであった。
寺の境内が血で染まった。
僧に手厚く葬って貰うように頼むと、武田総勢2,500名が100人組を組んで洛中・洛外に繰り出し、武田菱が翻り、洛中・洛外を縦横無尽と駆け巡った。
『御用でござる。御通し下され』
先頭がそう声を上げ、伊勢守から聞き及んでいる怪しい者の寝床を一斉摘発したのだ。
抗う者も少なくない。
幕末の池田屋事件のような惨劇が跋扈した。
京中の民が悲鳴を上げた一日であった。
屍は荷車に乗せられて河原に集められると火を掛けた。
まるで送り火のような焚火がずらりと並ぶ光景は地獄絵であった。
「武田は恐ろしいのぉ」
「容赦ない」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
摘発は翌日も続き、浮浪者や無頼漢等々も連れられてゆく、抵抗すれば、即座に死が待っていた。
取り締まった者も即決の沙汰(裁判)が行われ、乱暴狼藉は奴隷落ちとされた。
刃傷沙汰は追放、殺害に及んだ者は斬首であった。
即日、広場にて刑が執行された。
次から次へと首が討たれ、追放の者は腕に焼き鏝を打たれて放たれた。
見る人も悲鳴を上げた。
その内、喧嘩の仲裁や取引の揉め事まで解決してくれと要請まで入ってきたが、そちらは役所に行けと追い返した。
京の民衆は『地獄の3日』と嘆いたそうだ。
四日目の朝、武田軍がずらりと並び、その前に武田の兵が50人並べられた。
「この者達は町の衆に乱暴を振る舞った故に処罰いたす」
「お許し下さい」
「ならん。おぬしらは武田の名誉を傷つけたのだ」
『鞭打ち10回の刑に処す』
まぁ、酒を飲んで喧嘩をした程度であった。
上半身を裸にされて、竹の先端を潰した筒棒で鞭打たれた。
背中が真っ赤に染まって出ていった。
次は、その監督を任された頭であり、同じく、鞭打ち10回であった。
押し入り、刃傷沙汰に及んだ者は鞭打ち100回、金子を盗んだ者は100文に付き、爪の皮を一枚が剥がされた。
押し入った5人は貧しい家であったので200文に達しなかった。
『二枚剥がせ!』
ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!
通り掛かりに襲った者が3人で、その内一人が強姦に及んだ。
『お主らは菊童丸様の御庭を汚した。その罪を自ら贖え! 最初に言ったハズだ。殺した者は斬首。強姦に及んだ者は股裂きであると』
身なりのいい女の持ち物は価値にして二貫文も超えた。
つまり、すべての爪が剥がされた。
そして、最後に!
強姦に及んだ罪人の横に二頭の牛が用意された。
ぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
◇◇◇
「えっ、マジでやったの?」
報告を聞いた俺は耳を疑った。
確かに言ったような気がする。
まさか、本当にやるとは思ってもいなかった。
ドン引きだ。
京の民衆は俺のことを恐れていると言う。
そりゃ、そうだ!
「どうして本当にやってしまった」
「義統は菊童丸を神のように崇めているから言われた通りにすると思うわ」
「そうですな! 我が息子や家臣らも武神と称えておりますから反対せぬでしょうな」
紅葉は気軽く、源三郎は顎髭を触りながらにやけて言う。
守護と山県家が決めたことを覆す者はいないのか!
これからは発言に気を付けよう。
京では俺のことを閻魔様の息子に違いない。
逆らったら殺されるぞ。
武田の兵は触らぬ神に祟りなしと腫物扱いらしい。
『守護神様の兵』と呼ばず、『守護鬼様の兵』だと呼ばれているらしい。
「どうして鬼になる?」
「はぁ、武田の兵(元傭兵)が、あの方は鬼のように恐ろしい『鬼童子』と呼んでいたからだそうです」
あぁ、京でも俺の異名は『鬼童子』かよ。
悪名だよね!
鬼も童子も『鬼』って意味だ。
討伐される方だ。
俺を切った刀は『菊童子切丸』と呼ばれるぞ。
冗談じゃない。
武田が起こした三日間を『血の三日』と京の人は呼んでいる。
やってしまった。
もう少し、柔らかく言っておけばよかった。
あぁ~~~後悔しても仕方ないか!