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童子切異聞 <剣豪将軍 義輝伝> ~天下の剣、菊童丸でございます~  作者: 牛一/冬星明
第一章『俺は生まれながらにして将軍である』
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42-1.(おまけ)天文8年前期の史実。

三好 長慶(みよし ながよし)は10歳の折りに父元長を失って、三好当主となります。


作中では数えで数えられますので、11歳の時です。


管領(細川)高国を倒した元長を倒す為に(細川)晴元は本願寺と手を組んで、三好政長・木沢長政らの策謀で蜂起した一向一揆によって背後から元長を襲われて命を失います。


ところが、この一向一揆が治まらず、『享禄・天文の乱』へと発展したのです。


畿内はもう大荒れです。


これを鎮めたのが仙熊(長慶の幼名)で、正確には仙熊の名代が和睦を執り行いました。


(細川)晴元と本願寺の和睦を斡旋したのです。


仙熊(長慶)は和睦に応じなかった一部の一向宗が摂津越水城を籠っていたのでこれをうったのです。


(細川)晴元の家臣として振る舞っています。


ところが、翌年に(細川)晴元から騒動を起こしたとあり、仙熊(長慶)は潮江庄(尼崎市)で本願寺に味方して戦います。


そのときは木沢長政の仲介で(細川)晴元の元に帰参を許されます。


こうして仙熊(長慶)は阿波三好を率いて(細川)晴元の為に戦います。


天文8年正月、孫次郎(長慶)は(細川)晴元に年賀のあいさつ赴くと織田から持った鷹を所望し、その返しに観世能を催します。

その褒美に河内十七箇所(守口市)の代官職を求めたことから天文8年の騒動が始まったのです。


 ◇◇◇


この童子切異聞では、菊童丸が八瀬に避難するのではなく、朽木に避難したことを除くとほぼ史実通りに進んでおります。


孫次郎(長慶)が幕府に訴えたことで、幕府は(細川)晴元に河内十七箇所に返してどうかという協議が行われ、(細川)晴元も伊勢貞孝邸を訪問しております。


同年4月には政長が蟄居させられたことから孫次郎(長慶)の勝訴が確定したようですが、(細川)晴元は河内十七箇所の代官職を認めないようです。


ならば、河内十七箇所の榎並城を力ずくで奪う方針に変わったようですが、孫次郎(長慶)は幕府の許可を頂こうと動き出します。


5月17日に政長の被官である唐木崎開康が買得した大徳寺領を返還した記録があり、政長の被官を攻撃し、幕府の心証を悪くすることで、政長討伐の命を貰う算段が伺われ、閏6月13日に三好政長と決裂します。

孫次郎(長慶)の元に与同する伊丹次郎、池田筑後守、柳本孫七郎、三宅国村、芥川豊後守、木沢長政が賛同したのですが、ここで足利義晴より御内書が発せられ、出陣を一時取り止めになるのです。


閏6月16日、孫次郎(長慶)は摂津国上郡に出陣しています。


同日、将軍もきな臭く感じたのか、菊童丸らを八瀬に避難させています。


作中には書いていませんが、6月23日に孫次郎(長慶)の母が亡くなっており、中島崇禅寺にて葬儀を執り行われており、墓前で河内十七箇所を取り戻すというのは、よくあるシチュエーションですね。


(閏6月16日)孫次郎(長慶)が出陣すると、京に寺々に軍勢の乱暴狼藉、矢銭・兵糧の賦課、山林竹木の伐採、一揆乱入、課役の賦課を禁じる禁制を発給していますが、これは戦になった時に『乱取り』の対象にならないように『矢銭』を孫次郎(長慶)に納めたと考えています。


三好政長を支持する被官らが京で暴れたかは不明です?


一触触発の雰囲気であり、京の寺が孫次郎(長慶)有利と思っており、危機感を覚えたのか、6月17日に細川晴元が高雄(山城国)に引き退き、18日は和泉上半国守護(細川)元常や摂津中嶋郡の分郡守護(細川)晴賢ら一族を呼び集めています。


7月6日には高雄(山城国)滞在中の晴元のもとに伊勢貞孝が訪れて5種10荷を贈っているのですが、これが何を意味するのかはまったく判りません。


将軍の名代としてか、京を戦果に巻き込まないように頼みに言ったのか?


作中では、「ちょっと待ってくれ! よく話し合おう」ということにしていますが、この時点では、孫次郎(長慶)は摂津にいるハズなので、摂津の背後を襲う可能性も残されています。


どっちでしょうね?


作中では、三好政長も入ったことにしておりますが、この時点では判りません。


しかし、7月14日には三好政長が高雄(山城国)より妙心寺・西京に攻め入ったのを受け、山崎より三好伊賀守を金乗寺に出陣させるという記録が残されているので、6月17日に三好政長も駆けつけてきたと見るべきでしょう。


三好伊賀守が入ったとされる金乗寺は、どこにあったのか判りません。


滋賀県の金乗寺ではないのは確かですね!


いつという明確に日は判りませんが、治安が悪くなった京の治安を維持するように将軍から孫次郎(長慶)は申し付けられます。


閏6月16日から7月14日のどこか受けたと見るのが妥当でしょう。


政長の被官が暴れたかは疑問ですが、京の治安が悪くなったことは窺われます。


作中では、武田軍が上洛してきましたが史実では武田の上洛はありません。


ここから孫次郎(長慶)の反撃が開始です。


反撃って言っていいのかな?


一方的に孫次郎(長慶)〔アリ〕が(細川)晴元や(三好)政長ら〔ゾウ〕を振りましているように見えるのは私だけでしょうか。


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