第七章 契約
(穴が……ない)
瑚太朗は一年前朱音が落ちた場所に立ち、愕然とした。
地面の亀裂がなくなっている。
もっと早く来ていれば……。
だがそんなことを今さら言ってる場合ではなかった。
魔物の出現はこの付近から多発している。
なんとしても原因を究明する必要があった。
(そもそも、あの時……)
地面にヒビのような亀裂があちこちに点在していた。
それが何故なのか考えたこともなかったが、今思うとそれは明らかにおかしい。
ここは境界に近いから、空間の捩れのようなものはあっても、ヒビや亀裂などはあり得ない。
魔物が生成する空間にそういう不完全な部分などは存在しない。
それはこれまで長年境界付近を踏査した、実データに基づく確証があった。
(あの穴は、何か違う空間に繋がっていたのか……?)
考えたこともなかったが……。
そうだとすると、朱音が落ちた場所は――。
「…………」
地面をよく見てみる。
特に塞がれたという痕跡はない。最初からそんなものはなかった、としか。
顔を上げる。
木々の様子も以前と同じだ。……だが。
気のせいか空気が重い。
この感じ、どこかで……。
「……っ」
瑚太朗は正面の森の奥を注視し、急いで走った。
木に隠されていてよくわからなかった。
以前は森だった場所。
そこから断裂した空間の切れ目が見つかった。
「ここか……」
空間維持のために命を落とした魔物の生命線のようなものを感じる。
契約線に近い性質を持つが、魔物自体が飛ばす一種の電波のようなものだ。
魔物同士はこの電波にひかれあう性質がある。
命を落とす間際、本能的に他の魔物を呼び寄せようとして生命線を飛ばす。
それに他の魔物が引き寄せられていく。
そうやって空間を維持し続けているのだが。
ここがその生命線を放出する場所になっているようだった。
だが……。
以前ここはただの森だった。
こんなところに空間の切れ目などはなかったはずだ。
調査してみないとわからないが、もし空間の切れ目が他にも増えているとしたら……。
「…………」
瑚太朗は考えをまとめてみようと、道を引き返した。
もしかすると。
魔物が増えている原因は思っていた以上に深刻な問題なのかもしれない。
小さな滝のある場所で篝を待たせていたので、きっと退屈してるだろうなと思って戻ってみると。
篝は大量の魔物に取り囲まれていた。
「……っ?!」
慌てて武器を取り出したが、篝は瑚太朗に気づいた途端、大きく手を振って走ってきた。
「かっ、篝?!」
「パパ、撃っちゃ駄目! みんな友達だから!」
背後にいる魔物を庇うように両手を広げる。
篝の後ろにいるのは主にエント型の大型魔物、それに大型鳥類の魔物だった。
凶暴な魔物ではなかったので、ひとまず安心する。
武器をおさめて、篝の頭をコツンと叩いた。
「いたっ」
「心配かけんな。てっきり襲われてるのかと思ったぞ」
「ごめんなさい……」
「いや、放っておいたのは俺だし。悪かったな」
しかし……。
尋常な数ではない。
ざっとみても30体以上。
これを全部篝が一人で操作してるというのか。
この娘の魔物使いとしての才能は、ひょっとすると志麻子以上かもしれなかった。
「パパ、お仕事終わったの?」
「まあ、終わったというか、ひとまず区切りがついたとこだな。ここはあまり安全じゃないから早く帰ろう」
「みんなを連れてってもいい?」
「……みんなは置いていけ」
「えー?」
「そんなのぞろぞろ連れて歩くわけにはいかないだろ」
「護衛になるよ?」
「パパが護衛してやるから」
くしゃっ、と篝の髪を撫でる。
篝は不満そうな顔を浮かべたが、すぐに契約線を切って瑚太朗にしがみついた。
いつもこうだった。
この娘は魔物と契約していないと不安らしい。
不安を紛らわせるために父親に縋りつく。
そして離れようとしなかった。
嬉しいが、しかし。
「篝。もう赤ん坊じゃないんだから……」
年齢的にはまだ赤ん坊だが。
「だってパパとは契約できないもん」
「…………」
「なに?」
「人と人が契約できる方法、知ってるか?」
「え? そんなのあるの?」
「あるよ。パパとママがそうだった」
「なあに?」
「結婚、っていう契約」
篝はきょとんとして瑚太朗を見上げた。
「結婚?」
「篝にはまだわからんか……」
「それをすると契約できるの?」
「できるよ。それにずっと一緒にいられる。一生離れないっていう契約だよ」
「わあ、素敵」
「はは。素敵かどうかは、篝次第だけどな」
その意味を知る頃には、篝も好きな相手を見つけるだろう。
そう願って言ったのだが。
「じゃあ篝、パパと結婚する!」
「…………」
瑚太朗は目を丸くした。
確かに以前、そんなことを篝に向けて言ったような気がする。
深い意味などもちろんなかった。
娘に言われてみたいと、世の父親ならすべからくそう思うだろう。
その程度の気持ちだった。
……はずだった。
「…………」
何を考えている。
自分でもよくわからない。
だけど。
瑚太朗は胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。
「篝……」
「ね、パパ。篝と結婚してね」
腕にしがみついてくる娘を、瑚太朗は無表情に見つめた。
鼓動が激しく打っているのを無視するかのように。
わずか二週間程で新しい家が建てられた。
二人で住むのだから手狭でも構わなかったのに、前の森の家より頑丈で大きな造りになっていた。
「…………」
瑚太朗の実家より広い。
庭も大きすぎる。
おそらく魔物に襲われる可能性を考慮して、セキュリティを高めたのだろう。
だがこう広いと、管理するのも大変そうだった。
地下室もあるので、いざとなればそこに避難できる。
地下室というより……。
(地下フィットネスジム……か、こりゃ?)
篝が嬉しそうにトランポリンやマウンテンバイクに跨って遊んでいた。
設備が豪華すぎる。
射撃場まである。
明らかに吉野の趣味だった。
絶対後で何か見返りがある。そうとしか思えなかった。
「ねえ、パパ。ここ、お湯が使えるみたい」
「なにいっ?!」
驚いて洗面所に行くと、蛇口から簡単にお湯が出た。
貰った見取り図をよく見てみる。
自家発電設備。
電力は……。
「魔物……っ?!」
瑚太朗は慌てて屋上へと向かった。
給水塔にタービン、バッテリー、……それと。
一際目立つ建物の中に鍵を開けて入ってみると。
駝鳥によく似た魔物が巨大な歯車の中で回っていた。
歯車を止めたが、駝鳥型魔物は動きをとめようとしない。
契約線は切れている。だがオートで動くよう設定されているようだった。
もうこの魔物は命を使い果たすまで動くことしか出来ない。
(なんてことを……)
魔物を道具か何かのようにしか使っていない。
街の人間たちはこんなことを平気でしているのか。
瑚太朗はやりきれない思いで魔物に触れた。
温かい。命はちゃんと通っている。
魔物だって命なのに。
(せめて……)
楽にしてやろうと、持っていたナイフを取り出した。
そのとき。
背後から篝が声をかけてきた。
「パパ……その子」
篝には見せたくなかった。
せめてドアを閉めておくべきだったと後悔する。
「篝。向こうに行っててくれないか」
「……パパ」
「すぐ終わるから」
篝はドア付近で佇んでいたが、やがて瑚太朗の側に近寄ってナイフを握る手を外した。
「篝?」
「その子、殺しちゃダメ」
「だけど」
「自由にしてあげて」
「篝、無理だ。もう契約線が途絶えている。命令は解けない」
「大丈夫」
篝は魔物の体にそっと触れると、目を閉じた。
その様子をジッと見たが、やがて。
篝の手から何か奇妙な光のようなものが出た。
「……?」
それは瑚太朗もよく知っている光だった。
手から出る……オーロラの……。
「篝、おまえ……」
駝鳥型魔物の動きがとまった。
そのままピクリとも動かなくなったが、やがて。
次第に翼をぱたぱたと動かしていく。
先ほどとは違い、自立型の契約線のようなものが、確かに感じられた。
「ほら、お行き」
篝が魔物の体を押すと、そのままドアから飛び立っていった。
よたよたとした動きだったけれど。
魔物はもう自立していた。
「おまえ、いま、何を……」
さっきの光は、間違いなく瑚太朗の能力と同じもののように見えた。
もう使えなくなってしまったけれど。
オーロラの刃と同じ光。
ただし、篝のは刃ではなく波打つような光だった。
「篝にもよくわからない。いつの間にか使えるようになってたの」
「何をした?」
「あの子の命を一度吸って、それからまた与えてあげただけ」
「……吸った?」
篝はこくりと頷いた。
魔物の命を、吸った。
そんなことが出来るなんて聞いたことがなかった。
聖女の力なのだろうか。
瑚太朗は首を傾げたが、しかし。
「……ありがとな」
篝の頭を抱き寄せ、額に軽くキスをした。
たとえ篝に不思議な力があるのだとしても。
この娘の優しい心だけで、救われるような心地がした。
to be continued……
篝の外見年齢に触れておりませんが、十歳くらいです。
瑚太朗のロリコン指数もだいたいそれくらいじゃないかなと。(おい)