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第三十一章 偏差



 篝をまだ身篭っていた頃。

 朱音は暇をもてあますかのようによくトランプ占いをしていた。

 だが――。

 瑚太朗が近づくと、彼女はトランプをかき集めて背後に隠した。

 一度だけ、それを問い質したことがある。なぜ隠すのかと。すると。

 言いにくそうに俯いて、震える手でトランプを並べた。

 瑚太朗には彼女が何を占っているのか、よくわからない。彼女も何も語らない。

 最後の一枚。

 それをめくると白紙が出た。

「何度やっても……こうなるの」

 朱音はその予備のカードをまたトランプの中に埋没させた。

 だから、そのカードを抜き取ろうと瑚太朗が手を伸ばすと。

「……駄目」

 その手を押さえた。

 なぜ?

 そう問いかける。

「これは、瑚太朗だから」

 意味がよく――わからなかった。






「……? なんだ、それ?」

 左手に何かくすぐったい感触を感じて、視線を向けると。

 篝が瑚太朗の左手の薬指に、赤くて細い糸のようなものを結びつけていた。

 リボン結びにして。

 それは。

 篝の持つリボンと同じ性質を持つ糸だった。

 糸状に加工して、それを瑚太朗の指に結びつけていた。

「……。どういう意味?」

 篝の顔を覗きこむ。

 だが微笑み返すだけで、何も語らない。というより表情からわかる答えが見つからない。

 左手の薬指。

 まるで誓いの指輪みたいだった。

(リボンだけどな……)

 篝はそっと薬指のリボンにキスをした。虹色の光で包みこまれる。

 これでちょっとやそっとでは外せなくなってしまった。

 もっとも外すつもりもないけれど。

「よくわからないけど……。ありがとな」

 篝の頭を撫でる。

 するとまた寄り添って、瑚太朗を求めてきた。

 ちなみに二人とも裸のまま。

 篝の幾重にも重なるリボンだけしか纏っていない状態だった。

 リボンが瑚太朗を誘うように身体の上を這い回る。

 篝の意思そのものでもあるリボンの動きに、嬉しいやらくすぐったいやら情けないやら、いろんな気持ちが綯い交ぜになった。

「か、篝……。タフなのは結構なんだけど、その、そろそろやめにしないか?」

「……」

 篝は渋々といった感じで離れた。

 恨めしそうに瑚太朗の胸に指をあてる。

 唇を尖らせ、拗ねたようなその仕草に、思わず抱きしめたくなったが――自制した。

 これ以上流されてしまうと、篝の役割にも影響が出る。

 恋をし、初めての突き動かされる情欲に身を委ね、気持ちの高ぶりを抑えきれない篝を。

 本当なら心ゆくまで想いを受けとめてあげたいのに。

(こんなに変わるとは思わなかった……)

 だけどこれは――錯覚だ。

 快楽を味わった、そのことによる擬似的恋愛感情。

 生物の本能のようなもの。

 そのことを篝とて理解しているはずだが。

 理解はしても気持ち的に抑えがきかないのだろう。

(知識欲旺盛だから……)

 もっと知りたいと顔が言っている。

 それは瑚太朗がいなければ知ることの出来なかった感情だった。

 ずっと一人でいることを強いられ、またそれを当たり前なものとしていた篝。

 瑚太朗が現れたことで。

 人間が抱く感情に興味をもってしまった。






 この世界の時間はあってないようなものだが。

 現象は移り変わっていった。

 桜の木々がいつの間にか消え、今度は。

 むせかえるほどの香りを放つ薔薇の花が、辺り一面に咲き誇っている。

 廃墟の街に、住宅街に、森のあちこちに、それらは咲いていた。

 篝の愛情がすくすくと育っているかのようだった。

 薔薇を一輪手に取る。

 小鳥の手で世話でもしないとこうまで見事に咲かないだろうというような、見事な薔薇だった。

「どうすりゃいいんだ……」

 頭を抱えながら住宅街を歩きまわっていた。

 篝の変化。

 それは世界の均衡を脅かす。

 並列世界では何らかの影響がすでに出ているはずだ。

 怖くてとても見ることなど出来ないが……。

「でも、そうでもしないと……」

 篝の生命力を回復できない。

 そもそも自分のせいで彼女の力のバランスが崩れてしまった。

 それは本当に止めようがなかった……いや。

 あのとき絶望などしなければ。

 だが遅かれ早かれ気づいていた。

 気づいたところでどうしようもないことなのだと、あのとき理解していれば。

 すべて過ぎたことだ。今さらどうすることもできない。

 あのとき現れた朱音は、まだこの世界のどこかにいる。

 本当は探すつもりなどなかったが。

 放置しておくわけにはいかなかった。

「出て来いよ。そこにいるんだろ?」

 気配もなにもなかったが。

 見られている感じはずっとしていた。

 人気のない住宅街。

 ここを選んだのは、なんの思い入れもない、あってもなくてもどうでもいい場所だから。

 やがて。

 正面から歩いてくる人影が、月明かりに照らされて姿を現した。

 制服姿の、あのときの朱音だった。

「来てきてくれるとは思わなかったけどな」

「そうね。そんな殺気がなければ、現れるつもりもなかったけど」

 確信した。

 彼らは瑚太朗に殺されることを望んでいた。……今までずっと。

「訊いてもいいかな。そうされたい理由は?」

「役目はもう終わったから。消えるしかないの」

「それは俺に、篝を殺させるという役目なのか」

「というより、自覚して欲しいだけ」

「自覚……ね」

 そんなことをちはや(仮)も言っていた。

 自覚をすれば篝を確実に殺す。

 そういうことなのか。

 彼らが篝に直接手を下さない理由。

 それは――。

「俺にしか出来ないことだというわけか」

「そのために存在しているのだということを理解して欲しいだけよ」

「朱音さんの言葉とも思えないね」

「わかっているでしょう。私は」

「あなたは朱音さんだ」

 朱音の姿をとった者。

 それはもう一人の自分ではあるけれど。

 自分の中にいる朱音は、もうひとつになって、溶け合っている。

 朱音という存在そのものは失われた。

 だが自分の中で生きていた。

 だから目の前にいる彼女もまた、自分であって朱音でもあった。

「朱音さん。俺はあなたを殺せない」

「……それはどういう意味かしら」

「自分を殺すことは出来ないという意味だ。いろいろ考えてみた。あなたがいることでこの世界のバランスが崩れる。篝の精神状態が形象化されているのもそのひとつだ。それをあなたもわかっている。なぜなら負のエネルギーというものは、空間断層に許容できる範囲のエネルギー質量の限界値がある。その許容範囲を超えると元の形態を維持できなくなる。つまりエネルギーが拡散する。狙いはそれだろ?」

「ご明察。事象密度が高い今の瑚太朗なら、エネルギー収容物質がなくても、パス自体は繋がっているから」

「残念だったな、朱音さん。俺はあなたの命を因果収束過程において自分の本質と融合させた。だからあなただけは殺せない。俺と同じ運命を辿ってもらうことになる。失敗だったな。その命はもう、俺のものなんだよ」

 朱音の姿を象った者は、はじめて。

 その本質を垣間見せる歪んだ表情を浮かべた。

 これが本来の自分か。

 それがわかっただけでも、彼女を引きずり出した意味はあった。

「それは……おまえが二人いるという意味になるけれど」

「そういうことになるな」

「それでもいいと?」

「俺の目の前にいなければどうでもいいことだ」

「おまえにとって朱音とはその程度の存在なの?」

「俺の中にも朱音はいる。あなたも朱音さんだけど、俺は二人も朱音はいらないよ。それに……」

 篝がいる。

 彼女の存在だけが、今の自分のすべてだった。

「穏やかに過ごしてくれ。この世界にいる限り事象の変化はない。もっとも」

 それを崩すかどうかはあなた次第だ。

 そう言い残し、瑚太朗はその場から立ち去った。






to be continued……


偏差とは、本来は数値的意味ですが、この話の場合。

恋愛というものを基軸に瑚太朗を見た場合、篝との間に生じる偏差。

そして瑚太朗の本質に溶け込んだ朱音と、その朱音の命を使った瑚太朗本来の実存意識との間に生じる偏差。

この二つの意味をさします。(わかりにくくてすみません)

まあ要するに、恋愛というものと自らの本質というものは、埋めることのできない差があるということです。

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