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第一章 発端


 瑚太朗は目覚めた。

 自分の部屋だった。

 最初はそこが何処なのかわからなかった。

 ただおそろしく長い夢を見ていて、自分が何者かすら目覚めてすぐにはわからなかった。

 夢……。

「現実、だ……あれは」

 辺りを見回してみる。

 暗い。窓からさす月明かりだけがほんのりと部屋を照らしていた。

 そうだ、ここは――夜が規定された場所。

 現象の一部として存在している自分。

 丘の上には篝が居るはずだった。

「…………」

 怖い。

 初めて彼女に会うのが怖くなった。

 会わなければと思う。会わなければ何も事態が進まない。

 だけどもしそこにいるのが、本当に「篝」なのだとしたら……。

「…………」

 瑚太朗はベッドの上で手を握りしめた。

 唇が震えている。

 なぜ思い出した。

 いや、――なぜその記憶がある。

 矛盾しかない記憶。

 自分という存在がわからなくなる。

 この記憶はあってはならないものだ。

 なのに、なぜ自分に内包されて、この場所で収束してしまったのか。

 意味があるから?

 それとも自分にしか持ちえない記憶だから?

 ……わからない。

 だけど。

「……確かめないと」

 篝が可能性を探っている枝世界。

 そのどこかに、今の記憶に関する記録があるはずだ。

 あの枝の一本一本に人類の歴史すべてが刻まれている。

 本来はあってはならない歴史だ。

 だが必ずそこに記されているはず。

 それを確かめねば……。

 怖い。

 きっと見たら自分は砕けてしまう。

 自分自身の存在を根底から否定してしまうことになる。

 もしかすると篝のことも……。

 もう「篝」はどこにもいない。だけど……。

 もし因果の矛盾が起きているのだとしたら……。

「…………」

 瑚太朗は意を決して立ち上がった。

 丘にいる篝に会うために。






「瑚太朗ー! ごはんー! 出来たわよー!」

 よく晴れた日だった。

 魔物がコントロールしている空は、定期的に天候が移り変わる。

 世界の果てに近いこの場所ではいつもどんよりとした薄明かりだが、瑚太朗と朱音が暮らしている森の中の家では、まだ魔物の力がわずかに及んでいたため、晴天や雨などは時々訪れていた。

 そんなときの朱音はわりと機嫌がいい。

「いま行くってー!」

 瑚太朗は測量計をリュックに入れてすぐ近くにある我が家へ帰る支度をした。

 朱音が身篭っているのがわかったのが、三日前。

 瑚太朗は浮かれていた。

 仕事もなかなか集中できない。だが嬉しいのだから仕方ないと思うことにする。

 名前は何にしよう。男かな女かな。どっちでもいいな。

 そんなことばかり考えていた。

「ん……?」

 地面をふと見ると、地割れのようなヒビが広がっているのに気づいた。

 それは自分の足元からも伸びていて、小さく細いが、あちこちに点在している。

「地震……? そんなわけないか」

 ここは魔物が作った空間であり、現世のような地殻変動など起こりえない。

 だが境界に近いこの場所で、こんなヒビがあることは、何か良からぬ前兆に見えた。

「……。朱音にも話しておくか」

 危ないから近寄らせたくない。

 彼女は身重だから外に出歩かせる仕事は控えさせている。

 まあ、まだお腹も目立っていないけど。

 貰った新婚向けの本には、妊娠初期が一番気をつけないといけないと書いてあった。

 そう思って朱音にはいろいろ注意しているが。

 逆にそれが「うるさい」と言われ続けてしまっている。

 最近では何か言うたびに顔を顰めさせる羽目になっていた。

「ちゃんとうまく話さないと……」

 尻に敷かれているなあ、とは思いつつも、悪い気もしていないのだった。






「ヒビ?」

「そう。ここから近いから、あんまり外出歩くなよ」

 朱音が作った食事は、自給自足の野菜と小麦で作ったパンと貰ったチーズ。

 火が使えないので基本冷たい食事だが、最近朱音は料理ばかりしているので結構腕をあげていて美味しかった。

「出歩くなって言ったって、茸とか山菜とか取りに行かなくちゃいけないじゃない」

「俺が取ってきてやるよ」

「嫌よ。瑚太朗が取ってくるの、毒茸混ざってたりするもの」

 ぐっ、と言葉に詰まる。

 確かに以前そういうこともあった。

 まだそういう知識が足りないので、手当たり次第に持ってきてしまうことがある。

「今は少しはわかってるってば!」

「どうだか」

「朱音さん。家にずっと居て退屈なのはわかるけどさあ」

「わかってるなら連れてってよ!」

「境界は危ないって何度も言っただろ。空間が捩れてる場所があるんだ。下手に踏み込むと」

「瑚太朗は危なくてもいいってわけね」

「俺は気をつけてるんだって! ……わかったよ、じゃあ明日森から離れた丘までピクニックに連れてってやるから」

「ほんとっ?!」

「ちょうど測量したデータを集計できたところなんだ。当分は暇……って、うわっ!」

 朱音が背後から抱きついてきたので、思わず持っていたフォークを落としてしまった。

 首筋や頬に唇を寄せてくる。

「ありがと! 瑚太朗!」

「わわ、わかったから、ちょ、ちょっと離れ…」

 くすぐったくて瑚太朗は喘いだ。

 スキンシップしてきてくれるのは嬉しいが、朱音は瑚太朗の弱点を知り抜いていて、そこを重点的に責めてくる。

 完全に舐められていた。

 でも悪い気はまったくしなかった。

 むしろ幸せだった。

(俺、どんどん駄目になっていくかもしんない……)

 朱音の指と唇に反応してしまう自分が情けなかった。






 最初に気づいたのは音だった。

 何かが破裂する音。パチパチと不自然に聞こえた。森の奥から。

 やがてそれが朱音の足元から聞こえてくるとわかるまで、そう時間はかからなかった。

「…朱音っ!」

 楽しそうにバスケットを抱えて歩く前方の朱音に手を伸ばしたそのとき。

 朱音の足元で巨大な穴が口を開けた。

「……っ?!」

 間に合わなかった。

 地面が突然巨大な亀裂を発生。その真上にいた朱音を直撃した。

 穴に吸い込まれていく朱音を瑚太朗は成すすべもなく見つめた。

「朱音ぇーーっ!!」

 虚無の闇だった。

 穴の底が何も見えない。

 瞬間的に瑚太朗は飛び込んだ。朱音のいない世界などなんの未練もない。

 だが何かが瑚太朗の行く手を阻んだ。

 穴の途中で見えない壁があったのだ。

 朱音の姿はもうどこにも見えなかった。

「う……そ……だろ……」

 壁をガンガンと叩いて、血が出るほど叩き割ろうとしたがビクともしない。

 なぜこの壁に朱音が引っかからなかった?

 見上げると、落ちてきた地面の亀裂がすぐ真上にあった。手を伸ばせば届く。

 だが自分だけ助かっても……。

「意味ねえんだよ、ちくしょうっ!!」

 ガンッ、ともう一度壁を叩く。

 朱音は身篭っていた。

 愛する人と生まれてくる子供。二人同時に失った。

 瑚太朗は死を思った。

 もう生きていても何の意味もない。

 一緒に生きていこうと誓った。

 ずっと償うために自分のために生きて欲しいと。

 なのに、こんな別れ方って……。

 目の前が絶望で真っ暗になっていたそのとき。

 暗いと思っていた前方から、うっすらと篝火のような灯りが燈るのが見えた。

「……?」

 壁を地面にして立ち上がる。

 どこまで続くのかわからないが、この壁は穴の途中を塞ぐように広がっていた。

 瑚太朗はたとえ落ちても構わないと思い、灯りのある方向へ歩いた。

 信じられないものを見た。

 灯りだと思っていたそれは、朱音の身体だったのだ。

「……っ!!」

 朱音の身体はうっすらと仄かな灯りに包まれている。

 駆け寄って抱き上げると、命に別状はなく、ただ気を失っているようだった。

「あ……か、……ね……」

 涙で顔が歪む。

 だがいつまでもここには居られなかった。

 急いで逃げないと。

 瑚太朗は元来た道を急いで走ると、地面の明かりが見えるところまで一目散に目指した。

 やっと落ちてきた場所まで辿り着くと、思いきって跳び上がる。

 能力がほとんど消えているので無茶かとも思ったが、なんとかギリギリ上がることが出来た。

「朱音! ……おい、朱音っ!」

 頬を軽く叩いて呼びかけたが、朱音は気絶したように眠っている。

 心臓に耳を当てる。

 穏やかな鼓動だった。

 脈もとってみたが、異常はない。

「よ、……良かっ……た……」

 やっと心の底から安堵し、瑚太朗は朱音を抱きあげてその場を急いで離れた。

 後ろを振り返る。

 穴の亀裂は変わらずそのまま残っていた。

 ここは絶対に近寄ってはならない。

 固く決意をし、そして二度と振り返ることはなかった。






 朱音の意識が戻ったのはそれから二日経ってからだった。

 瑚太朗は看病していた手をとめて、朱音の肩を揺すった。

「朱音! 大丈夫か、気分は……っ?!」

 目を瞬かせて瑚太朗を見た朱音は、やがて目の前にいるのが誰なのかわかったのか、顔を綻ばせて言った。

「……泣き虫ね、瑚太朗」

「バカ……やろう……」

 朱音を抱きしめる。

 自分が泣いていることなどどうでもよかった。

 ただ朱音が無事に戻っただけで、それだけで十分だった。

「もう心配……かけんな……」

「うん……。ごめんなさい」

「無事で良かった、本当に……。どっか痛いところとかないか?」

「…………」

「朱音?」

「お腹……空いた……」

 朱音の言葉に思わずぷっと吹き出した。

 だが食欲があるのなら本当に心配はいらないようだった。

「待ってろ、今なんか持ってきてやるから」

「…瑚太朗」

 ベッドから離れようとする瑚太朗の手を朱音が握り、見下ろすと、彼女はいつになく暗い顔をしていた。

 それは瑚太朗の不安を掻き立てるに十分な表情だった。

「どうした?」

 朱音の手を握りしめ、近寄ってみる。

 だが朱音はなかなか逡巡する理由を話そうとしない。

 瑚太朗は辛抱強く朱音が話すのを待っていた。

「…………。…………。…………。あの……」

「なんだ? 何でも言ってくれ」

「赤ちゃん……」

「赤ん坊がどうしたっ?!」

「女の子、みたい……」

「……え?」

「わかるの」

「な、なんで?」

「見たから」

「何を?」

「…………。瑚太朗と……」

「俺と? 俺となんだ?」

「瑚太朗と、一緒にいるところ……見たの」

 朱音の言葉の意味がよくわからない。

 生まれる前の赤ん坊が、自分と一緒に、いた。

 未来視とか、そういうものだろうか。

 それはあの穴に落ちたのが原因なのか、それとも聖女の力によるものなのか。

 瑚太朗にはいまいち判断がつかなかったが。

 なんにせよ、喜ばしいことであることに変わりない。

 だが。

 朱音の表情は暗かった。

「どうした? 何か嫌なものでも見たのか?」

「…………。いや……」

「え? い、いやって……」

「瑚太朗は……私の……私だけの……なのに……」

「朱音……?」

「どうして……? 私は……こんなの……望んでな……」

「朱音っ!」

 ぽろぽろと涙を流す。

 瑚太朗はうろたえた。

 何か様子がおかしかった。

(俺を子供に盗られるようでいや、とか……?)

 それにしては。

 切羽詰った……焦りのような……恐慌に近いような……。

 朱音は「いや」という言葉だけを繰り返し、そのまま泣きながら眠ってしまった。






 瑚太朗は森の外れに調査員達を出迎えて、今まで踏破した場所と危険区域の地図を渡した。

 一通りの事務手続きと物資の補給を受け、荷物をカートに入れようとしたとき、それを手伝おうと一団の中にいた吉野が荷物を持ってくれた。

「悪いな、吉野」

「一人で持って行けるのかよ」

「まあこれくらいは。一度に持って行かないとマズイし」

「そりゃそうだな」

 久しぶりに会う吉野はすっかり日焼けして健康そのものだった。

 毎日汗水流して働いていることが窺える。

 それを好ましく思いながらも、心の奥底で沈んだ気持ちがやはり浮上してくるのを止められずにいた。

「……なんかあったのか?」

 隠そうとしても無理があるか、と瑚太朗は吉野と少し二人になりたいと調査員達に告げた。

 快く承諾してくれた彼らが遠ざかるのを待ってから、思いきって切り出してみる。

「実は……妻が身篭ったんだ」

「本当かよ?! そりゃめでてぇじゃねえか」

「でも……なんていうか……マタニティブルーってやつかな……日に日に落ち込んでさ」

「なんだと?」

「しきりと生まれてくる子供に俺をとらないで、って言ってる。これって普通なのかな」

 吉野はため息をついた。

「吉野?」

「のろけもいい加減にしやがれ。おまえそりゃ、先輩さん……いや、奥さんなりの愛情表現だろ」

「…………」

「おまえ、ちゃんと満足してやってるのかよ? おまえがわかってなきゃ奥さんだって不安だろが」

「そう、……か」

「子供ってのは女の身体にとっては異物だ。だから拒否反応だって出る。つわりとかそうだ。そういう肉体の変化だけじゃなく、精神にもよくないもんだ。だから男にはどうすることも出来ねえよ」

「じゃ、どうしろってんだよ」

「そんなのはてめえで考えろ! 身体のことはどうしてやることも出来ねえが、心を満たしてやることくらい出来るだろ。それっくらいのこともわかんねえのかよ!」

「……いや、済まん。おまえの言うとおりだ」

「くそっ! ……俺だって早く彼女見つけてやらあ」

 顔を顰める吉野の肩を軽く叩いて慰め、瑚太朗は少しだけ落ち着いた気分になった。

 そうだ。

 自分が彼女を支えてやらないと。

 そんなこと、吉野に言われるまでもないことだった。

 森の奥の家に視線を向ける。

 今日はずっと傍にいてあげよう。落ち着かせるまで抱いてあげよう。

 そう思った。






 朱音が穴に落ちた事件から三ヶ月。

 そろそろ朱音のお腹が目立つようになってきた。

 だが。

 医学書や専門書を読んでみたが、普通は三ヶ月で身体の変化が目立つことはない。

 不思議に思っていたが、朱音は時折陣痛にも似た苦しみを訴えていた。

「朱音! 大丈夫かっ?!」

 苦しみながら瑚太朗にしがみついてくる。

 もしや早産の可能性が……。

 瑚太朗の脳裏に嫌な予感がした。

 病院に連れて行かないと。

 だが永久追放された身だ。もう市民権も剥奪されている。医者になどかかれない。

 そうも言ってられるか。

 瑚太朗は携帯している鳥型の魔物を取り出した。

「だめ……」

 朱音が瑚太朗の手を両手で押さえつけていた。

「だけど……! このままだと朱音が……っ!」

「私なら……まだ……大丈夫、だから」

「大丈夫なわけあるかよ?! こんな……」

「大丈夫、絶対、産む……から。産まないと……駄目」

 朱音の決意の固さに瑚太朗は目を剥いた。

 それは、瑚太朗だって同じだった。

 新しい命だ。産んでもらいたいのは当たり前だ。二人で育みたい。

 二人でだ。

 一人じゃ意味がない。

「朱音。病院に行こう。緊急事態なんだ、臨時政府だって許可してくれる」

「病院は、……駄目」

「どうしてっ?!」

「堕ろされる……から」

 瑚太朗は息をのんだ。

(そこまで考えて……)

 いや、考えがちらっと浮かばなかったわけではない。

 だが堕胎など考えるより先に、朱音の身体を気遣うことのほうを無意識に考えていた。

 それに。

 瑚太朗にとって何よりも大切なのは……朱音だ。

「朱音……。俺は君を、失いたくない」

「……瑚太朗」

「君の気持ちはこの上なく嬉しいけど、だけど、このまま放っておくことなんて」

「私なら大丈夫……。まだ……。まだ大丈夫。生きられるの。わかるの」

「な……?」

「お願い、私を信じて。……この子は、産まなくちゃ駄目なの。……瑚太朗のために」

「俺の?」

「瑚太朗。……名前、考えてくれた?」

 朱音の言葉を聞いて、思わず涙が零れそうになった。

 泣くな。

 朱音が必死になって頑張っているのに。

 涙を飲み込んで笑顔で語りかける。

「ああ。……篝、って名前にした。篝火の、篝」

「……篝」

「君を見つけたとき、それが見えたんだ。ぼんやりとしていたけど、確かな道しるべみたいだった」

「ありがとう。……いい名前」

「女の子にぴったりじゃないかな。……朱音。頑張れよ。俺がついてる」

「うん……」

 朱音をぎゅっと強く抱きしめる。

 神様。

 どうか生まれてくる子供と、朱音に……無事を。

 それだけを祈った。






to be continued……

続きます。

テーマは「篝」誕生物語です。完全オリジナルです。

そして近親相姦の予定です。(……)

おそらく18禁にはならないと思いますけど。

気分次第、……ですね。(自分でもよくわかってない)

プロット組んでみて、オリジナルだけど、一応つじつま合ってるっちゃ合ってる、と思って書いてみました。

どれくらい続くのかわかりませんが、よろしければお付き合い頂けると嬉しいです。

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