カエルの王子様
『魔術辞典ー変化の章』
《カエル変化の術。どんな人間もカエルに変身させる術。定められた方法を取らないと、解除不可能。解除方法については童話カエルの王子様を参照のこと》
「カエルの王子様って、アレよね? 悪い魔女だか魔法使いにハンサムな王子がカエルに変えられてしまうんだけど、最後は愛する人、美しい姫にキスされて元に戻って、二人は結婚するって言うお話よね〜。ロマンチックだわー」
いいなーわたしも悪者にカエルに変えられて、リュヌ王子様にキスされたい〜キャー。
両手を口に当てるぶりっ子ポーズで 目をハートにして叫ぶミーファ。
「代われるものなら代わってあげたいわよ! まったく」
ミーファの脳内を覗いたらきっと、パステルカラーのお花畑が広がっていることだろう。
羨ましいことだ。
「荒れとるのぉ。ラナ」
コルシア織りの深緑の絨毯の上で、不貞寝しながら膨れる私の頬をレミじぃが突つく。
「だってこの魔術辞典の書き方、嫌らしいと思わない? 解除方法は童話を読めって………。具体的に何をすればいいのか分からないじゃない」
「お姫様にキスされればいいのでは?」
「お姫様じゃなくてカエルを真に愛する人間でしょ。ハードル高いわ………」
どこの世界にカエルを心の底から愛する人間がいると………あれ?
とある事実に思い至った私はガバッと起き上がった。
そう言えば兄に比肩しうるへんた、じゃなかった変人がもう一人いたではないか。
私のすぐ側に。そう、カエル狂いの第百八王子。リュヌ殿下が。
女嫌いの殿下に人間の姿の私がキスしてもらうのと、彼の愛するカエルの姿の私がキスしてもらうのとどちらが実現可能か、答えは簡単じゃないか。
「ひょっとして割とイージーモードだったりして。オーホッホッホッホッ。首を洗って待ってなさい。バカ兄貴! 元に戻った暁には泣いて土下座して許しを請うまでボコボコにしてあげるわ」
すっかりテンションの上がった私は、後ろ足二本で立ち上がると、左前足を腰? に当て右前足を口元に当てて高笑いをした。
カエル暮らしを極めると、こんな離れ業も可能となるのだ。さすがラナちゃん、天才!
「ラナって、たまにヘンなスイッチが入るのよね。特にソレイユをシバいている時によく入る気がする。あれが俗に言うドSってヤツなのかな」
「よいかミーファ。ミーファはあんな大人になっちゃいかんぞ」
早くも勝利を確信し、高笑いが止まらない私をミーファとレミじぃが離れた所から気味悪げに見ている。
そんなこんなで舞い上がっていた私は、カエルの王子様に別バージョンの話があることをすっかり忘れていたのだった。
『さぁ、美しい姫よ。約束どおり君のそのしなやかな腕の褥に僕を迎え入れておくれ』
緑の影がピョンと跳ね上がり姫の横たわるベッドに入り込むと、 絹を引き裂くような悲鳴が上がる。
『まぁ。なんてイヤらしいカエルなの! 汚らわしい畜生の分際でわたくしの寝床に潜り込むなんて。許せない!』
姫の白魚の指がカエルの胴体を掴み全く手加減のない勢いで投げた。哀れなカエルはなす術もなく壁に叩きつけられる。
『おやすみなさいカエルさん。永遠にね』
姫の可愛らしい嘲笑が響く中、私は悲鳴と共に目を覚ました。
「今の………ゆめ」
荒い呼吸を繰り返す。
全身が汗でしっとり濡れている。
そうだ。どうして忘れていたのだろう。カエルの王子様が人間に戻る方法。キス以外にもう一つあったじゃないか。
池に落ちた金の玉を拾ってくる代わりにカエルが要求したのは、姫と同じ床で眠ることだった。
しかし姫は激怒し、カエルを壁に向かって投げつけてしまう。壁に全身を強打したカエルはなんと人間の姿に戻り二人は結婚するという結末。
「どちらが正解なの? 」
キスならばいい。ハズレだったとしても、別の方法を試せばいい。
でも壁に叩きつけられたのにハズレだった場合、私はどうなるの? 最悪の場合、死………。
ゾッとした。
そもそも考え得る方法はその二つだけなんだろうか。カエルの王子様には、他に私の知らないバージョンがあって、また違う解除方法が記されている可能性だってある。
暗闇の中、身ぶるいした。
世界はまだ夜の底。
夜明けまでまだ時間があったから、部屋の中は重苦しいほどの闇に沈んでいる。カーテン越しに漏れる月の弱々しい光だけが頼りだ。
精霊たちは私を殿下の部屋に送り届けると、寝床に帰っていった。
殿下は公務で留守だから、この部屋には私とアルジェントしかいない。
「私、本当に元に戻れるの? もう嫌だ。かえりたいよ」
カエルに涙腺はないから涙こそ出なかったけれど、泣きたい気分だった。
こんな姿にされて初めて兄を恨めしいと思った。
不意にカタッと音がする。ハッと植木鉢の方に視線を移すと、ポトスの茂みが揺れていた。
だけど目を凝らしてもそこに銀色の姿はない。
代わりにその場所にはミミズが置かれていた。
先ほどまでなかったものだ。
私の心の中にほわっと暖かいものが広がった。
あの、どんな事にも我関せずの銀色君が。どんな顔をしてミミズを置いて行ったんだろう。
「ありがとう。アルジェント」
呼びかけても応えはなかった。
ありがたくミミズを頂戴すると、私は幸せな気持ちで再び眠りについたのだった。