物書きの矜持
小説家の佐藤直樹が可児を訪れたのは、儀式が行われた数日後のことだった。太田豊の茶店「ラクカ」で、根古親司と顔を合わせる。
「根古さん、お久しぶりです。実は、山田さんから少し話を聞いて」
「山田さんから? あの人、結局何も書かなかったはずだが」
「書かなかったんです。だからこそ、私に話してくれたんだと思います。“これは記事にはできないが、誰かが物語として残してもいいかもしれない”と」
根古は少し眉をひそめた。
「小説にする、ってことか」
「事実そのままではなく、あくまで“フィクション”として。名前も土地も変えます。命のビザの子孫の話も、石室の話も、直接には書きません。ただ、“帰る場所を探す人々”の物語として、書きたいと思っています」
太田がカウンターの向こうから口を挟んだ。
「佐藤さん、それはつまり、真実を隠すための創作ってことですか」
「いえ、逆です」佐藤は静かに首を振った。「事実を暴くことが、必ずしも真実に近づくとは限らない。時には、フィクションという形にすることで、初めて誰かが安心して読める真実もある。そう思っています」
根古はしばらく黒猫のヤマトの背を撫でながら、考え込んでいた。
「一石さんや、木下さんに、断りは入れるのか」
「もちろんです。お二人が“それなら”と言ってくださらなければ、書きません」
その後、佐藤は木下千恵と一石誠二、それぞれに会って丁寧に説明した。木下は少し考えてから頷いた。
「祖母の話が、誰かの心に残る形になるなら……いいと思います。名前は変えてくださいね」
一石も、静かに応じた。
「フィクションという名の器に入れることで、真実が守られることもあります。我々としても、それは有難い形です」
可児署の雨月雅之は、この一連の顛末を聞いて、苦笑いを浮かべた。
「記者は書かないと決め、小説家は形を変えて書くことにした。この町の“事件”は、いつもこうして、誰かの選択の上に静かに終わるんだな」
小倉裕司も、多治見署の窓から山の方を眺めながら呟いた。
「静かに終わる、それが一番いいんだろうな。少なくとも、今回はそうだった」
可児の夏の終わりに、また一つの物語が、記録ではなく記憶として、そっと町に残された。




