紋章持ち
クロエが所用で城壁の内部にある第13騎士団の詰所から、城壁の外にあるバルト領の騎士団駐留軍統括事務所に向かって渡り廊下を歩いていると、ばったりとアルトと遭遇した。
「あ、どうも……ええと……」
「クロエよ、アルトくんだったかしら、あなたもダンジョン探索に同行するんですって? よろしくね」
クロエはそう言って笑顔を見せたが、アルトは少し驚いた様子であった。
「え、ということはクロエさんも行くんですか? すいません、ほかにどなたが行くのか把握してなくて……」
アルトが大変申し訳なさそうな顔をするので、クロエは恐縮してしまい、
「い、いや、そんな落ちこまなくても……隊長はブラスト殿という方で、経験豊富な、頼りになる方だから心配はしなくて良いわよ」
「それなら安心ですね」
アルトがホッとしたように笑ったので、クロエも少しホッとした。
と、クロエとアルトが話をしていると――
「あらぁ……久しぶり、クロエじゃない」
数人の女騎士がクロエに近付いて来た。その真ん中にいるツインテールの女騎士は、ニヤニヤしながらクロエを見ている。
「アリス……何の用?」
アリスと呼ばれたツインテールの女騎士は、口元に手を当てて、小ばかにしたように笑った。
「クロエ、今度ダンジョンの探索に行くみたいだけど、少しは腕前が上達したのかしら? そんな下級官吏とお話ししている暇あるの?」
「余計なお世話よ」
「あら、聞いちゃいけなかったかしら? ウフフ」
クロエの返答が刺々しく、苛立ちがにじみ出ていたため、アルトは、アリスの言ったことはクロエにとってあまり面白くない話であると理解した。
その上で、2人の間の空気が悪いのを察し、アルトはわざと困った様な表情を作って、1歩後ずさり、2人から距離を取った。
「高名な騎士を幾人も排出しているカーネスト家の一員なんですから、家名に泥を塗らないよう頑張らなくちゃね」
アリスがそう言うと、アリスの横にいた、取り巻きのような女騎士が驚いたようにアリスに聞いた。
「え、この人、カーネスト家の方なんですか」
「そうよ、クロエ・カーネスト、カーネスト家の宗家のご息女様」
「そうなんですか、凄い、さぞお強いんでしょうね」
「……だってさ、クロエ、どうなの? ウフフフ」
クロエの実家はアリスの言うように、飛び抜けて実力のある騎士を幾人も輩出している家系であり、クロエの父や兄弟もほかの騎士とは一線を画す実力で、騎士団でも重要な地位についていた。
にもかかわらず、クロエの実力は並の騎士以下であるため、カーネスト家の落ちこぼれと言われていた。
「今はまだ全然及ばないけど、いつかきっと父や兄のような騎士になって見せる」
クロエは睨みつけるようにアリスを見て言った。
「ふうん……それなら、魔法の方をどうにかしなくちゃね、剣技はまあまあだけど、魔法が戦闘で使い物にならないんじゃどうしようもないわよ」
「あなたに言われなくても、分かってるわよ」
そのとき、アリスの別の取り巻きが思い出したように呟いた。
「クロエ・カーネストって……もしかして、紋章持ちの?」
クロエとアリスがピクリと反応し、2人揃ってその女騎士を見た。
アリスはつまらなそうな顔で口を開いた。
「あなたよく知っていたわね、でもその話はしない方が良いわよ」
「え……なぜですか?」
「別に面白い話じゃないし、それに、あんまり言いふらしているとクロエのお父さんにお仕置きされるわよ」
「は、はい……すいません」
紋章持ち、端的に言うと、聖なる加護を持って生まれた者のことで、生まれつき身体のどこかに神聖な紋章が刻まれている。紋章持ちは、類まれなる力を持ち、幼くして騎士団の団長に匹敵する力を持つ者が多い。というが、クロエはその紋章を持って生まれたにも関わらず、その実力は並以下。カーネスト家最大の汚点とも呼ばれ、カーネスト家ではクロエが紋章持ちであることについて決して触れようとしなかった。
「そろそろ行きましょうか、それじゃあねクロエ、無事帰って来れると良いわね、ウフフフ」
そう言ってアリスはクロエを押しのけるようにして第12騎士団の詰所へと入って行った。
クロエは無意識に左わき腹を押さえた。
ここに紋章が刻まれている。
鏡で見るたびに憂鬱になる。自分の身体の中で、左わき腹だけが嫌いで、できるだけ見ないようにしていた。傷をつければ、紋章は見えなくなるのではないかとも考えたことがあるが、自分で傷をつけるのは怖くて、それもできなかった。
「だめだめ、そんなこと気にしてもどうしようもない!」
クロエは自分の両頬を叩き、
「じゃあ、私はこれで失礼するわ」
とアルトに告げて、事務所に向かって歩き出した。
夕刻、アルトは家路に着きながら、昼間のクロエとアリスのやり取りを思い出していた。
カーネスト家やらは知らないが、紋章については聞いたことがあった。魔族やほかの種族には現れず、人間にだけ与えられる紋章。父ペイルワルスも、紋章持ちの人間のことを警戒していた。
アルト自身はあまり詳しくはないが、何となく興味をそそられたため、今度調べてみようと思った。
そんなことを考えながら、街を抜け、西の外れの一軒家の自宅に着くと、玄関の前に何やら小包が置いてあった。
アルトはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認してから小包を開いて見ると、鎧兜姿のデフォルメされた2頭身の猫のキャラクタのぬいぐるみが入っていた。
「これは、まさか……」
アルトは目を煌めかせてそのぬいぐるみを取り出すと、まじまじと眺めた。
「間違いない、発売即完売したキャットン騎士ヴァージョン(限定版)ではないか!」
アニマル・ファミリーシリーズ。猫や犬、鳥などのキャラクターが仲良く暮らす世界を舞台にした、スペリアム王国に限らず人間の国で大人気のキャラクター・シリーズである。
数十年の長い歴史のあるシリーズで、アルトは幼いとき、オルレウス魔王国にたまに出入りする人間の商人に頼んで、こっそりとグッズや漫画などを手に入れていた。
魔王の地位を剥奪され、国を追放された後、本当はアニマル・ファミリーのアンテナショップがあるスペリアム王国の王都に住みたかったが、その思いを押さえて旧知のマーガレットがいるバルト領ベルディに住むことにしたという経緯もあった。
ふと、ぬいぐるみに手紙がついていることに気付き、アルトは手紙を開いた。
『手に入ったので差し上げます。これで貸し1つですよ』
手紙の主はマーガレットであった。
「マーガレットめ、一方的に送り付けて来て貸しだなどと……魔族にもおらんぞ、そんな奴」
アルトは苦虫を噛みつぶしたような顔で、手紙とキャットン騎士ヴァージョン(限定版)を見ていたが、
「くそっ……」
と吐き捨てて、ぬいぐるみを大事そうに持ったまま家に入った。
キャットン騎士ヴァージョン(限定版)は、ついに数日前に発売されたもので、アンテナショップの限定版で、かつ、数量限定ということもあり、アルトは入手を諦めていた。
それが、目の前にあるのだ、マーガレットに借りを作るのは面白くないが、キャットン騎士ヴァージョン(限定版)のためならば、アルトは甘んじて借りを作ることにした。
アルトは、居間のテーブルの上にぬいぐるみを座らせると、再びマーガレットの手紙を開いた。
手紙には続きがあった。
『鍵の1つは、どこかのダンジョンに眠っているそうです。どこのダンジョンであるかは特定できていませんが、スペリアム王国内である蓋然性が高そうです』
耳聡い婦人だ。アルトがダンジョンの探索に赴くことを知っての情報提供であろう。
実のところ、アルトは魔王国に住んでいたころ何度かダンジョンに潜入したことがあり、どのようなものかを理解していた。だから、今回の任務に対しては特段の不安もなく、ただ面倒だなという思いしかなかったが、マーガレットの手紙で心持が変わった。
「鍵」を入手できる。確実なものではなく、可能性でしかないが、それでも「鍵」に一歩近付いたようにアルトは感じていた。