11 思い出の料理(ライザの過去)
「隊長、尻尾を出すでしょうか」
ハルトが声をひそめて言った。
「分からん。だが、『究極の料理人』のスキル持ちを名乗りながら、その辺の定食屋が出すような料理しか作れなければ、スキルの詐称の詐欺容疑で別件逮捕するつもりだ」
ライザも声を落として答えた。
「応援を呼びましょうか」
「奴1人を逮捕するだけなら、お前と私で十分だ」
「でもあいつが黒だった場合には、バックに何があるのかまだ分かりません。念の為に応援の部隊も待機させておきましょう」
(あのアレクという若者が、黒なら、魔王レベルの魔物がバックにいることになる。それが出てきたら二人だけでは対抗できない)
「分かった。応援を呼べ」
「はっ。では隊員たちをここに呼びます」
ハルトが食堂から駆け足で出てゆくのと入れ替わりに、ウェイトレスがエールの入った陶器ジョッキを2つ持ってきた。
「お連れ様は?」
「すぐに戻ってくる。それはここに置いておけ」
冷えたエールに口をつけた。
ライザが魔物の手先ではないかとアレクを疑うのには根拠があった。1人でジャンを連れ戻してきたという状況だけが理由ではない。あの身のこなしや、目付だ。血反吐を吐いて剣術の修行をしたライザは、アレクの動きや、目の使いかたが只者ではないことを感じていた。
(あれは、武術を徹底的に修行しないとできないような身のこなしや、目付だ)
武術家は一点を凝視しない。視野が狭まり、敵の攻撃が思わぬ方向から来ると対応できなくなるからだ。それに自分が意識を向けている先に視線を集中させれば、その目線で相手に自分の攻撃を悟られてしまう。そうなると避けられたり、カウンターをくらうことになる。だから一流の剣士は、焦点が合っていないような目つきをしている。遠くの山を眺めるような目とも言われる。
アレクは、いつもその目つきをしていた。どこを見ているか外からでは分からない。それでいて、自分の周辺の動きをちゃんと全部見ている。
その目も、スキのない身のこなしも、完全に無意識で行っているようだった。身についてしまっていて、おそろしく自然なのだ。なのに、スキルが『料理人』だなんて人を馬鹿にした話だ。
(あれは帝国軍の剣士として通用するレベルだ)
だが、ライザはアレクの生い立ちにも素性にも関心は無かった。剣の達人の料理人がいたところで、ライザにとってはどうでもいいことだった。
ライザの関心は一点だけだ。
アレクが魔物と関わりがあるかどうかだ。
ライザにとっては魔物を殲滅することがすべてだった。
しばらくするとハルトが戻ってきた。ハルトは黙って頷いた。伝令を飛ばしたので待機している隊員たちがこの食堂に集結するという意味だ。
ハルトは少しぬるくなったエールを飲んだ。
「お待たせしました」
アレクがお盆にのせた料理を運んできてライザの前に皿を並べた。
「これは……」
「肉包揚げと、エビのすり身を皮に包んで揚げたものです。そのままでも味がついていますが、味変でこの三種類のタレや塩をつけて召し上がっていただけるようにもなっています」
「嘘……」
思わずライザはつぶやいた。
「温かいうちにどうぞ」
ライザは少し震える手で肉包揚げを口に入れた。皮はカリッと揚がっているが、中からジューシな肉と野菜の旨味が溢れ出してくる。口の中を火傷しそうになる熱さだ。
「エビのすり身もどうぞ」
エビのすり身の揚げ物は優しい味だった。
ライザは目をつぶった。
まぶたの向こうには優しい母の姿が浮かんできた。
「ライザ、おやつよ」
「わあー、大好物の揚げ物ね」
「そうよ。あらあら、熱いから気を付けて。一度に頬張ると火傷するわよ」
「あふぁ、あふい」
舌を火傷しそうになり、口をパクパクさせるライザに、母は「ほら、言ったでしょ」と言って、冷たいミルクを持ってきてくれた。
(母さん……)
ライザは涙がこぼれそうになった。
(この食感、この味、母さんが作ってくれたのと同じ……)
ライザの大好物だった。だが母の手作りの料理はもう永遠に食べることはできない。それは魔物に殺されたからだ。
魔物は先の大戦で勇者や剣聖や大賢者の力により征伐されて封印された。そういうことになっていた。しかし、討ち漏らした魔物は森の奥深くや山岳地帯、北の大地に潜んでいた。組織化された軍勢としての魔物は討伐したが、散発的なローンウルフの魔物の襲撃は無くなってはいなかったのだ。しかも、魔物は人間より体が頑強で、寿命も長い、50年や60年程度では魔物たちは絶滅しない。
母が殺された現場にはライザもいた。
父と妹は庭で遊んでいた。ライザは台所で母の手伝いをしていた。
突然玄関のドアが開き、父が妹を抱えて飛び込んで来た。
「逃げろ!」
そう絶叫した。
何かが父の後ろに迫ってきた。
父の背中が鎌のような前腕で切り裂かれた。
母はとっさにライザを台所の棚の中に押し込めて扉を閉じた。
だが、ライザは扉の木の節目の穴から外をのぞくことができた。
父はひっくり返されて、今度は腹を切り裂かれた。
カマキリの姿をした怪物だった。
ライザはそれが、伝承で聞いていた魔物というものだと直感的に理解した。
カマキリの魔物は父の腹から内蔵を引きずり出し始めた。まだ息のあった父は苦しそうな叫びを上げた。
母が父の横で呆然としている3歳になる妹を助けようと魔物に近づいた。
魔物の鎌が一閃して妹の首が落ちた。
その時の母の悲鳴は一生忘れることはできない。
魔物は母に近づくと母のことを八つ裂きにした。
そして、父や母や妹の血を吸い内臓を食べた。
一通り家族の肉を食らうと、魔物は部屋の中を見回した。
まだ人間が残っていないか探しているようだった。
ライザは棚の中で息をひそめた、恐怖とショックで体が震え、吐きそうだった。だが、今、音をたてたらあの魔物に食われると思うと体が硬直し、足元から体が冷たくなり、視界が狭まり、世界は色を失い、白と黒しか無くなった。
そして、世界はブラックアウトした。
次に気がついた時は、台所の床に寝かされて、誰かに揺り起こされていた。
「しっかりしろ、大丈夫か」
ライザは目を開いた。
「おーい。この子は生きているぞ! 生存者だ。医療班をすぐに呼べ」
ライザは泣き出した。
「大丈夫だ。君は助かったんだから」
そう言われても何の安堵もわかなかった。ライザの脳裏には家族を惨殺され光景が何度もリプレイされ続けていた。
(私の家族を殺した魔物は絶対に許さない)
ライザはそう決意した。
襲ってくる魔物の恐怖のトラウマと家族を失った寂寞とした思いに生きる気力が失せそうになるのを留めたのは復讐心だった。あの魔物に復讐してやるという思いがライザを支えた。
ライザは最年少で軍に入り、ひたすら武術の訓練に明け暮れた。正規の訓練の時間が終わっても、深夜や早朝に1人で稽古をした。
そして成人のスキルの開示式で『魔物狩り剣士』という剣士のスキルを引き当てた。
魔物と戦うのは自分の天命であるとライザは思った。
ライザは魔物を調査し討伐するための帝国の特殊部隊である特務調査隊に入隊し、史上最年少で第1班の隊長になった。
「いかがですか」
ずっと黙ったままだったのでアレクがライザに訊いてきた。
「どうしてこの料理を……」
「御口に合いませんでしたか」
「いや。そんなことはない……」
「うまい。いやこれはうまい」
ハルトが肉包揚げを食べて言った。
「こちらのタレも試して見て下さい」
ハルトが真っ赤な油のタレにつけて食べた。
「辛いけど、これもうまい。エールのつまみにぴったりだ!」
「エビのすり身を揚げたものは、こちらの酸味の効いたタレや、塩で食べるといいですよ」
「おっ、これもいける。お前さん、大した料理人じゃないか」
その時、応援の部隊が到着した。
「あっ、お連れさんがいるんですね。じゃあ、追加を揚げてきます」
アレクが厨房に戻った。
「隊長。これ本当に美味しいですね」
「うん、まあ……」
ライザはどう反応していいのか分からなかった。
肉包揚げは家庭料理だ。
余り物の食材を利用した帝国北部地方でのみ食されているローカルな家庭料理だから帝都の店のメニューにはないし、軍の食堂でも出てくることはない。
だからライザがこの料理を食するのは母が殺されてから初めてだった。
思い出の料理は家族と一緒に暮らしていた時の幸せな記憶を蘇らせてくれた。
「隊長、どうしたんですか」
ライザの頬には涙が流れていた。
「なんでもない。その辛いオイルのせいだ。目にツンときた」
そう言うとライザは思い出を洗い流すかのようにエールを飲み干した。
「行くぞ」
「えっ、まだ追加が来てません」
「なら、私は先に帰る」
「隊長、どうしますか」
「何をだ」
「アレクです。逮捕しますか」
ライザは言葉に詰まった。
「その必要は無い。奴は料理人だった……」
そう言い残すと、ライザは揚げたての肉包揚げが出てくるのを待つ隊員たちを残して席を立った。
宿の外に出た。
空を見上げると星空が広がっていた。
(母さん……)
ライザは嗚咽が漏れないようにして慟哭した。
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